魂に背く出版はしない 第8回 渡辺浩章

第8回 未知との遭遇

 
 前回の投稿日を見直すと[tcy]12[/tcy]月5日となっているので、3カ月近くこの連載をさぼっていたことになります。そこで、今回は読者サービス? のつもりで少し脱線して、筆を滑らせてみようと思います。
 これまで、私の出版活動に強く影響を及ぼした身近な人々について書いてきました。そこで今回は、強く影響を受けたけれども縁もゆかりもない人ども、さらには現実には存在しないと思われているもの、たとえば幽霊、つまり未知との遭遇について、その実体験を簡潔に書いてみます。なぜこのような書き出しになるかというと、鉄筆の社是「魂に背く出版はしない」にある魂について、さらに理解を深めてもらうことができるのではないかと期待するからです。
 
 最初のお話は、二十歳のころの真夏の夜の出来事です。私は大学三年生。ラグビー部の練習はオフでした。それでも夜になると自主トレを行う者が少なからずグラウンドに集まって、夜間照明の下で汗を流していました。
 熱帯夜でした。私は自主トレを終えてシャワーを浴びて、部室でタオルを手にしていました。そのとき、尋常でない蒸し暑さに耐えきれず、私は裸のまま部室の外に出て、身体に夜風をうけて涼むことにしました。
 部室の出口から眺めると、ラグビーグラウンドの手前にはサッカーグラウンドがあり、そのサッカーグラウンドのタッチラインに沿って走る人影が眼に入りました。白いTシャツが一人静かに走っています。
 時刻は0時だったか1時だったか。それ以前にはサッカー部員の自主トレ姿を見かけなかったので、こんな深夜になって自主トレを始めるとは熱心な人だ、と感心しながら見つめていました。走るフォームが良い。体格も良い。これはなかなかの選手に違いない、と私は直感しました。
 大向こうを左回りに走る白いTシャツはコーナーを二つ曲がって私の前を通りすぎ、階段状になっている観戦用スタンドの裏に姿を隠しました。そのまま直進するとラグビーグラウンドに突入するから、次のコーナーを曲がってまた姿を現わすだろう、と熱帯夜の風景を凝視します。けれども[tcy]10[/tcy]秒……[tcy]20[/tcy]秒……いくら待っても白いTシャツは現われません。
 転んだのか。それともスタンドに腰掛けて休んでいるのか。[tcy]30[/tcy]秒も過ぎたころ、私は一歩を踏み出して、スタンドの裏側を覗きに行きました。白いTシャツの姿はありません。
 さてはラグビーグラウンドまで走っていったかと、そちらにも足をのばしてみましたが、そこにも白いTシャツの姿はありません。これは、その先の塀をも乗り越えて、いきつけの飲み屋にまでも走っていったに違いない。この熱帯夜に汗を流してから飲むビールはさぞかし美味しいことだろう。そう結論づけて私は帰路に着きました。
 
 ラグビー部の寮に帰ってみると、予想外な深夜の賑わいが待っていました。笑顔なき賑わいです。聴けば、サッカー部の先輩が夜の首都高速で交通事故に遭い即死したのだといいます。それから先の話は上手に聞くことができませんでした。関東代表でもあり将来はもっと上の代表を狙えるほどの名選手だということをかろうじて理解しました。
 事故の状況などを聞いている最中、白いTシャツの自主トレ姿が脳裏に浮かんできて、動揺し、身体は凍えて震え、涙が止まりません。そのときに私は何を思っていたのか、これは当時も今も上手く表現できません。
 先輩の魂はそれからは、昼夜の別なくグラウンド近くを彷徨っては皆を驚かせ、ついには神主に鎮魂されていったと聞きます。先輩の魂は成仏したのだと聞かされたとき、思いが一つ生まれました。ああ僕は、たとえ明日死んでも悔いを残すことのないように生きよう、と。先輩は悔いを残しただろうか? そもそも自分が死んだことに気づいていなかったのではないだろうか……。
 
 明日死んでも悔いを残さぬよう生きるというのは、なんだか潔い生き方に思えますが、では具体的にはどのような生き方をすればよいのかと考えてみると――これはなかなかの難問です。目標に向かって努力を重ねて、レギュラー選手になったとしても、ライバル校に勝利をしても、たとえ日本一になったとしても(実際には決勝戦で負けました)、その瞬間、明日死んでも悔いなし、とは実感できないものです。多少の達成感を得ることはあっても、その先の生に思いが及んでしまいます。
 生きるとは何か。人間は自分一人幸せに生きるだけでなく他者の幸せのためにも生きなければならない。しかし生きるために人間は他の生物の命を食らう。人間は食うために他者の命を奪うばかりか、昔も今も、人間相互の殺しあいまで行っている。大規模な紛争となれば想像を絶する数の飢えに苦しむ人間を生みだしていく。このような世界で人間の生きる意味とはいったいなんなのだろうか。
 そのようなことを考えているときによく思い浮かべるのが、フランスのノーベル文学賞作家ロマン・ロランが戦争に対する強い怒りを込めて描いた恋愛小説『ピエールとリュース』です。昨年末にこの小説を鉄筆文庫で復刻しました。第一次大戦から第二次大戦にかけて、ロランは実生活において、このような問いに対する一つの答えであるかのように、ヨーロッパでの反戦運動を主導しました。『ピエールとリュース』を読み返すたび、同時代に生きることのなかったロランの魂に接近していく気分が生じます。
 私の場合、前述のような問いに対してもっとも密接に関連してくるのは、宮沢賢治の思想です。(当然ながら賢治とも出会ったことはありません。)その気分を賢治風に言い表わすとすれば、ぜんたい人々がみんな幸福にならないかぎり、私の幸福もありえない、というふうになります。これもまた難解な問いです。
 
(つづく)

 

【鉄筆の本】
新刊!

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA