魂に背く出版はしない 第7回 渡辺浩章

第7回 予言

 
 前回に書いた夢の人=曾祖父の声を、数年後にも耳にしました。より適確に表現すれば、頭の中に言葉が走った、メッセージが侵入してきた、という感じです。[tcy]20[/tcy]世紀最後の冬、2000年[tcy]11[/tcy]月[tcy]19[/tcy]日日曜日の正午過ぎ、一人で富士山を登山中のことでした。
「身辺整理をしなさい。生活を立て直しなさい。」
 そのようなメッセージが頭の中で響いていました。
 当時、勤務していた男性週刊誌のテコ入れ問題で社内は紛糾していました。体制派はグラビア系週刊誌への変身を主張していました。私は存続派=少数派でした。結局、年明け1月に休刊となり、編集部は解散しました。
 その最終号に富士山での体験記が掲載されているので読み返してみます。
 
〈広い雲海を眺め、俺はあの世とこの世の境目に立っているような気分になった。そして頭に言葉が走った。“『週刊○○』とはお別れだ。生活を立て直せ” と。〉
 
 このような声は自分の内側から発せられているようにも思うのですが、その正体はもちろん分かりません。ともかく声に従い実行しようと試みました。でも実際には雑誌休刊に伴う諸事情に対応するだけで手一杯となり、しばらくはそんな余裕はありませんでした。それでも、営業へ異動してから1年余りの時間をかけて、身辺整理、生活の立て直しなど、予言のとおりに実践しました。
 一段落ついたころ、2002年8月[tcy]20[/tcy]日の午後、白石一文さんと初めてお会いしました。単行本『僕のなかの壊れていない部分』のサイン本を作る会場で。翌年2月には次作『草にすわる』の刊行に携わり、2004年2月には、白石さんが出版社を退職して独立後初となる作品『見えないドアと鶴の空』が発売され、私はその営業に注力しました。
 このとき、作家独立記念として白石さんの地元・福岡の紀伊國屋書店でサイン会を行いました。その2日前に私は福岡入りして、白石さんと会い、サイン会や地元の書店廻りやラジオ番組への出演などのスケジュール確認を行いました。喫茶店でコーヒーを飲みながら、ひと通りの説明を終えて、打ち合わせが終了すると、白石さんが不意に、質問しました。
「ところで渡辺さん、いまつき合っているひとはいるの?」
 いえいえ、と私。離婚を経て、いまは独身を楽しんでいます、池袋の北口にハルピン出身の男が営んでいる餃子屋があって、そこの常連は[tcy]30[/tcy]代、[tcy]40[/tcy]代の独身男ばかりで、私もその店に入り浸って夜を過ごしています。そんなことを私は話しました。
「それでは渡辺さん、東京に帰ったらお見合いしてください。二人でその餃子屋に行ってください。」
 福岡での仕事を終えて東京に帰った週末に、私はその女性を餃子屋に案内しました。現在は鉄筆社の経理や事務を担う私の妻との出会いです。いまにしてみれば、福岡での白石さんの言葉のなかには、すでに予言のようなものが含まれていたのかもしれません。
 鉄筆社を起ち上げるときには、こんな助言と予言を授かりました。
「独立するからにはやはり最初が肝心、業界があっと驚くようなことをやってまあそこそこです。鉄筆社の創立第一作は『翼』を文庫化して新しい文庫レーベルを創刊してください、それぐらいのことをやらないと。」
 白石さんに提案されたとき、まさしくその通りだと実感しました。そして予言は的中しました。最初に『翼』の文庫化があったからこそ、鉄筆社は3期目を迎えることができました。
 白石さんはさらにこんな予言も。
「『翼』の文庫化は絶対に話題になります。取材依頼もたくさんきます。すべての取材を断らずに受けてください。朝日新聞も必ず取材にきます。」
 もちろん的中しました。
 もうひとつ、忘れられない予言があります。2011年1月に『翼』を書き上げた白石さんの言葉です。
「この小説は必ず百万部売れます。」
 これも当然、的中すると私は信じています。
 黙っていても実現するということはあり得ませんが、いつか来るその日を楽しみにしながら活動に励んでいます。
 
(つづく)

 

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