空色の地図 ~台湾編~8 小籠包 久路

 昼時は地元の人であふれかえるという裏通りの店も、時間をずらせばすんなりと入店できる。繁華街から離れた場所にぽつりとあるその店は、朝の9時から小籠包を出すことで知られた名店だ。昼の飛行機で帰国する私達は、台湾を満喫し尽くそうと最後の小籠包を食べに訪れたのだった。
 初めて小籠包を食べたのは、実は香港でのことだった。こんな美味しいものがあるなんて、と衝撃を受けた思い出がある。今でこそ本格的な小籠包は日本でも手軽に食べられるようになったが、ほんの十数年前までは「ショウロンポウ」という名前ですらメジャーではなく、私もその存在を知ったのはガイドブックでだった。上海が発祥と言われる小籠包は中華圏であればたいていどこでも食べる事ができるが、有名店の台頭もあり、今ではすっかり台湾グルメの代名詞となった。豚肉の餡を薄皮で包み、蒸し上げる。皮が薄く肉汁がたっぷり入っているものが好まれる傾向にあるようだ。とりわけこの店の小籠包は肉汁がたっぷりとしていて、メニューにも「小籠湯包」と書かれている。オーダーシートで注文を済ませ、あとは待つだけだ。
 テーブルに運ばれてきた蒸籠の蓋を取ると、閉じ込められていた湯気が一気に立ちのぼる。このときにあまり顔を近づけてはいけない。湯気で火傷をしかねないからだ。カメラを構えるならひと呼吸おいてから。そうしないと湯気でぼんやりとしか小籠包が映らないし、そもそもレンズが曇ってしまう。
 そうして現れた小籠包は、蒸籠のなかに規則正しくつつましやかに並んでいる。ころんとまるみを帯びたフォルムは可愛らしく、絞られたようなてっぺんにはかすかに肉汁が浮いている。箸をのばすのはこのてっぺんだ。薄皮が破れないよう細心の注意を払ってそうっと持ち上げる。たぷん、と肉汁の中で餡が泳ぐ音が聞こえる。持ち上げた小籠包の下にすかさずレンゲをさしこみ、ぷるぷる揺れる小籠包をのせることができれば、成功だ。あとは千切りのショウガをひとつまみ、黒酢をかけてかぶりつく。
 猫舌の私だが、小籠包だけは口の中が火傷しようとも熱々で食べるのが好きだ。絞られた上の皮を少し囓ってスープを啜り、それから全体を口に入れるという作法があるらしいが、私は一口で頬張った。餡と肉汁のスープが口の中で渾然一体となり、えもいわれぬ至福の瞬間がおとずれる。
 旅の最後を小籠包で締めくくり、思いをはせるのは今回行けなかったあの名店の小籠包だ。次こそは、と思いながら帰りの飛行機に乗るのもいいものだ。そうして私は半年もせぬまにまた、台湾へ戻ってくるのだろう。

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