【出版社物語】伽鹿舎:本恋う鹿は笛に寄る 第3回

誤算
 
 レーティングもジャンル制限もせず投稿を受け付けた上で、これはと思うものはどんどん世に知らせるべく公開し、本にし、「文藝」を信じきってやっていく、そういう場をつくりたい。
 
 そう言って伽鹿舎を始めるに当たって、まず最初にそれをいいねいいねこうしようああしようと一緒になって考えてくれたのは木間だった。そもそも木間が「やろう」と言ってくれなければ伽鹿舎は誕生すらしていない。よくある友人同士の、こんなものがあったら面白い、という盛り上がるだけ盛り上がった挙句に消えていく「何か」になる可能性はそれなりに高かった。が、そうはならなかった。
 発想の出発点は「自由な投稿サイト」だったから、スタートがWEBであることは即座に決定した。木間の本業はエンジニア、いわゆるプログラマだとかSEと呼ぶべきものだから、ある程度のものを作る事が出来る。
 木間と話し合い、ただ投稿サイトを用意するのではなく、投稿サイトを経た結果、これはと太鼓判を押せるものをピックアップして毎日更新される、そういうWEB文藝誌が良い、と話がまとまった。つまり、表に見えているのはWEB文藝誌のみだ。ほかにクローズドで投稿サイトを作り、そこでは投稿は出来るが作品は参加者にしか公開されない。
 では誰が「セレクト」するのか、が問題だった。木間はあっさりと、まずは加地さんがとそう言った。
 通常「編集」というと、誰もが出版社に勤務する「編集者」を漠然と想像するのだろうと思う。作家のところに原稿を取りに行き、待たされてじりじりする、なだめたりすかしたり怒ったりしながらなんとか原稿を貰う、そういうステレオタイプの編集者像はドラマやマンガでも見掛けることがある。
 だが、「編集」というのは、私たちが日常的におこなっている事でもあるはずだ。誰しも日々、洋服の組み合わせを決め、家具の配置を考え、何に優先順位を付けるか無意識に考える。それらは広く言えば「編集」だと言って良い。
 そういう広い意味での「編集」なら確かに出来る。
 だったらそうしよう、と思った。加地はそう特殊な人間ではないから、大多数がそっぽを向く、というようなセレクトにはならない。だが、無くて七癖と同じく、選ぶものは確実に一つのテーマを孕むはずだ。それは否応無くそうなる。それを提示してみるというのは面白い。書店で書店員さんがどんな本を選んでどう並べるのか、それによって棚の個性が決まるように、そんなWEBサイトになれば良いと考えたのだ。
 そこでもう一つ、方向性が決まった。加地が九州の人間だから、じゃあ九州でセレクトする、ということにこだわってみようじゃないかと。「伽鹿舎」全体の「編集方針」は「九州」になったわけである。
 木間は実は九州には全く関係が無い。出身も学校も職場も現在の居住地だって九州ではない。それでも、この方針を面白いと言ってすぐに賛同した。現在までに集まったスタッフは、誰もが「面白いから」と参画の理由を口にした。
 幸いにして、以前に手伝ったWEB投稿サイトのお陰で書店員さんたちとの交流が続いていた。せっかくなら、「セレクト」に彼らに参加してもらえたらもっと面白いなと思った。九州の書店員はどんな作品を選ぶのか。ある種の土地の傾向があるのかないのか、静岡での本の賞のように、独自の「編集」が誕生すれば絶対に面白い。
 この「投稿サイト」は面白くなると思えた。木間と何日も掛けて構想を詰めた。詳細は次回以降に譲るが、実現すれば楽しいだろうと思えたし、見回しても今のところ、今現在に至るまで、似たことをやっている投稿サイトも見当たらない。
 これで行こう、と決め、WEBデザイナーを次にスタッフとして迎えた。
 投稿サイトとWEB文藝誌サイトの二つを同時に作らなければならないから、構築を依頼した。文藝誌は4月の本の日に始めようと話はまとまった。正式公開まで4ヶ月足らずである。投稿サイトなど一夜で出来るものではないから、仕組みが出来上がるまでは、純粋に原稿を募る、あるいは依頼するしかない。すぐにその仕事にとりかかった。わくわくしたし、楽しかった。面白いものが出来るだろう、とそう考えていた。
 
 WEB文藝誌の誌名を「片隅」と付けてくださったのは大分の井野裕先生だ。
 九州は日本でも中心からは実に遠い。そういう場所から敢えて、という気持ちを篭めた「片隅」という誌名を我々はとても気に入っていた。
 「片隅」のロゴは加地が作った。そうそう資金があるわけではないから、自分たちで出来ることは全部やる。続けて木間と舎名を決めた。カジカ、というのは、魚とカエルの二種類存在している。どちらも美しい清流にしか住まない。九州らしいんじゃないか、と思った。カエルのカジカは鹿のような綺麗な声でなくから河の鹿なのだという。九州は山が近い。鹿は身近な生き物だ。カジカの音を貰い、鹿の字を使って、さて残った「カ」をどうするかと考えて「御伽草紙」から「伽」をとった。その頃には合流してくれていた青木は室町時代が専門の研究者だ。「いいじゃないか、御伽草紙のように、ずっと残り続けるものを、と願いを篭めよう」とそう言った。決まりだ。
 そうと決まってから舎のロゴの依頼をした。こればかりはどれだけ木間と二人でこねくり回してもどうしてもしっくりいかなかったのだ。手書きの文字で、真ん中の鹿の字だけを象形文字のような、それ単独でイラストとしても使えるようなものをと方向性は決まっていたというのに、どうやっても巧くいかない。困り果てた挙句に、以前から手掛けるデザインがとても好きだった福岡のテツシンデザイン事務所さんに連絡を取った。図々しくお願いをした我々に、テツシンの先崎さんは「やろうとしていること、面白いと思います。応援しますよ。つくりましょう、ロゴ」と快く引き受けてくれた。「だけど難しいなあ、ここまで出来ているとね」と困った顔をする彼に、「だからとびきりのプロにお願いしたいんです」と頭を下げた。ごく親しくなさっているというとある書店の店主をして「あの人はマエストロだからなー!」と言わしめる先崎さんは、苦笑したのちに笑ってうなづいてくれた。「少し時間をいただきますけど、引き受けました」
 
 準備は万端だった。WEB文藝誌がうまくいけば、そこから連載作品を一冊にまとめる、あるいはアンソロジーとして作品をまとめて一冊にする、そういう風に出版も出来るのではないか、と考えた。WEBはすぐにでも始めることが出来るが、出版はそうではない。だから、二年か三年後に、本が出せるように頑張ろうと、そんな話をした。
 書店員さんを初めとして、興味を持ってくださった方には躊躇わずにこれらの話をした。誰もが応援すると、楽しみにしていると言ってくれた。きっと面白い本が出来ると気の早いことに予約しますよと言ってくれた人もいる。
 そんな中、既に面識のあった、熊本市在住の作家で建築家で、要するに芸術家と呼ぶのが早いかもしれない新政府総理大臣こと、坂口恭平さんにお目に掛かった。そもそもは坂口さんの、東京のとある展覧会に行きたいがフーが(奥様だ) 航空券買ってくれるかっていうと難しそうだなあ、というTwitterでの呟きに、加地が「じゃあ航空賃を出しますから、代わりにレポートをWEB片隅に書いてくれませんか?」と声を掛けたのがきっかけだった。
 熊本市内でも指折りに素敵な書店である橙書店さんの、隣接するOrangeというカフェで落ち合った坂口さんは、話を聞くと大きな眼を更に大きくして言った。
「それすっげーおもしろいじゃん。面白い。でもどうやって金にすんの?」
「WEBでそう簡単にお金になるとは考えていないんです。いずれ、出版に結びつけば、そこから少しずつでも資金が出来ればと思っています」
 ふうん、と気のなさそうに言って、しかし直後、坂口さんはおもむろにスマートフォンを取り出した。
「加地さ、それすぐやったら良いじゃん。いつかとか言ってないで、本、出せよ。あのさあ、俺が昔、すげー昔ね、描いた絵があんだよ」
 話の方向が見えずに目を点にしていた加地に、坂口さんはにやりと笑った。
「百枚だよ、百枚。アフリカの絵。ルーセルの『アフリカの印象』って知ってる? あ、知ってるんだ。あれのね、絵を俺が勝手に描いたの百枚。面白いでしょ?」
「それは面白いでしょうね! すごいな!」
「うん、だからそれ加地にやるから、本にしなよ」
 スマートフォンを操作して繋がった先の相手に、もう坂口さんは言っていた。ここに熊本で出版やりたいって面白い子がいんの、俺の絵をさ、あげようと思ってさ、そっちにあるでしょ、探しといてよ、よろしく!
 ここから始まる大誤算のパレードの、最初の一つがこれだった。
 
(つづく)

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