【出版社物語】伽鹿舎:本恋う鹿は笛に寄る 第4回

アクロバティックな無茶 ――九州限定配本
 
 坂口さんがご自分の書いた百枚のアフリカの絵をくれるという。
 その話をして別れた直後、加地が始めたのは「本ってどうやって流通しているのか」を再確認する作業だった。
 
 その前に一つ、説明しておこう。
 伽鹿舎のおそらく最大の特徴である「九州限定配本」である。
 伽鹿舎で、本を出す際には、九州限定で配本する。九州でしか、手に入らない本にするのだ。
 この、誰に言ってもまず「何故!?」と驚かれる方針を決めた理由だ。
 それは、伽鹿舎のメンバー全員が、伽鹿舎を本業にはしていない、ということから出来上がった必然だった。
 
 そもそも、伽鹿舎には出版関係者がひとりもいない。書店関係者すらいない。
 全員が本業を持ったままで伽鹿舎に参画している。逆に言えば、そうであるからこそ、やれている。食べていくだけの稼ぎは本業で得ているから制約なしに伽鹿舎を存在させられるのである。
 ということは、伽鹿舎の為に全面的に時間を割くことは出来ない。
 勿論、それは片手間という意味ではない。いや、それは片手間だよと言うひとも勿論あるだろう。だが伽鹿舎の人間は誰もそんな風には思っていない。
 無理はしないと決めた。続けていくためだ。だが手は抜かない、とも決めた。そうでなければ意味がなく、作品を寄せてくれる作家に失礼だからだ。
 伽鹿舎が名を残し、ゆるぎなく存続しなければ、そこに作品を寄せてくださっても誰にも届かないことになってしまう。私たちはこれが良いと思うのだと、ある意味で声高に触れ回り押し付けて回ろうとしている厚かましさがないなら、新人を世に出す、などと言えはしないし、それが名もない誰にも相手にされない出版社では意味がない。本はただ出せばいいのではなく売れなければ困るのだし、売れるには知名度が必要であり、知名度がなければそもそも売れないのである。はっきり言って、全部を同時に実現するなどというアクロバティックな無茶を要求されていると思ったほうがいい。
 
 本の作り方だけは知っていた。印刷所に入稿するだけのデータを作ることは、出来る。これは加地一人でも出来た。だが、それでは駄目だった。加地は素人で、物は日本中の人に欲しいと思ってもらわなければならないのだ。最低でも、デザインはしっかりとしたものでなければ「物」としての価値がなくなる。WEBデザイナーとして迎えた飯田に、書籍や紙面のデザインも手を貸してくれるように頼んだ。快諾を得て、本はさしあたって二人でメインになって作業をすることを決めた。それ以上の外注は考えない。何故なら、印刷代の回収以上のことを考えるには、伽鹿舎は資金もないし知名度もなさすぎる。
 本だけなら、それで出来る。
 問題はどうやって書店に並べるかだ。
 基本的に、出版業界というものは、出版社、取次、書店の三者で成り立っている。出版社が本を作り、取次に卸すと、取次が書店に配本し、書店は配本された本を売り、売上を取次に支払うし、売れなければ返す、というのが一連の流れだ。取次は出版社に対し、当面の売上を渡すが、書店から本が戻ってくれば渡した売上を取り返すか、残りの支払で調整する。つまり、書店は出た本を調べまわって注文して仕入れる作業から解放され、売れないリスクからも解放される。取次は出版社に対して売れないかもしれない本を仕入れるリスクを、返金させられるという仕組みで免れているし、出版社は自力で書店を開拓したり手続きをしたり発送をしたり膨大な集金や請求書の発送をする手間から解放されている。
 ところが、それで何が起こるか。お金のない出版社はとにかく新しい本を作りさえすれば初回の入金があるため、ひたすら本を出そうとする自転車操業に陥りやすいのである。
 そうやって、出版点数は天井知らずに増えていったし、溢れかえった新刊の山に埋もれて、書店は全部に目を通すことさえ困難になっている。
 それを受けて、この頃は直取引の小さな版元も増えてきた。取次を通さずに直接書店と取引をすることで、目の前のものをしっかり見据えて本作りをしようというわけである。
 どちらが正しい、わけでもない。どちらにも一長一短があるし、どちらだって、正しいやり方だ。
 では伽鹿はどうするのか。
 前述の通り、資金力も知名度もない以上は、そうたくさんの数を刷ることは出来ない。おまけに、扱ってくれる書店を一店舗ずつ回って開拓するなんて時間も本業がある以上は絶対に無理である。
 それどころか、全国からの注文の電話を受けることさえ無理だ。何しろ本業の勤務中になってしまうのである。
 それでも、せめて取り扱ってくれる書店には少しずつでも挨拶には行きたいし、並べてくださった本を確認にだって行きたい。だったら、主要メンバーの集まる熊本から、どうにか一万円以上を掛けずに日帰りできる範囲でなければ無理だ。単純に考えれば、九州の真ん中に位置している熊本からその円を描けば九州ということになる。
 だったら、九州にだけ卸せばいいのではないか。映画だって、東京から順に公開されるのである。九州は、たいてい東京から数ヶ月遅れる。下手すると半年くらいは遅れる。たまには逆があったっていい。九州で発売され、半年後にようやく首都圏でも売られる、そういうものがあったっていい。寧ろ、面白いじゃないか。九州限定の本である。ローカル雑誌なら聞く話だが、一般書籍でそんなことをやっているのはちょっと聞かない。スイーツがご当地限定で、キャラクターグッズがご当地限定なら、じゃあ本だってそうしたって良いんじゃないか。
 これは、思いついてしまえば実にいいアイデアのように思えた。何より面白い気がした。「片隅」からの逆襲である。たまには首都圏のひとびとに手に入らないと呆然とする体験をしてみてもらってもいい。首都圏コンプレックスと、言わば言え。「片隅」の我々は、首都圏でしか手に入らないものの為に死に物狂いでやりくりをして首都圏まで出掛けて行くのである。欲しいもののためなら、人はそのくらいのことはやる。そのくらいの情熱を持ってもらえるような、そんな本を作れたら最高じゃないか。
 当然、今までそれが存在しないと言うのは「そんなことうまくいくわけがないから」だという可能性は当たり前に考慮する必要があった。それでも、九州限定配本は、絶対に面白い気がした。
 最初は、そうして半年なり一年後には、全国にも展開すればいいのではと考えていた。タイムラグでいい。
 しかし、最終的にはこれは覆した。九州限定は、あくまで九州限定でなければならない。いずれ手に入るのなら、わざわざ出掛けなくても待つ、という人は幾らでもいるに決まっているのだ。
 偉そうに書いているが、それを教えてくれたのはお笑い芸人キングコングの西野亮廣さんだった。こんなところで突然ニシノアキヒロが出てきて仰天したかもしれないが、事実だからしょうがない。これについての詳細は別の機会に譲るとして。
 伽鹿舎は、九州限定配本をしよう、と決めた。ご当地キャラやご当地スイーツのように、本で九州に人を呼べる、そんな出版社を作りたかった。そうして、九州を本の島にするのだ。
「おもしれーじゃん!」
 そう坂口恭平さんが言ってくれた伽鹿舎の方針は、こうして誕生したのだった。
 勿論、その時点では数年後に実現するつもりだったのだ。
 
 だが、今、目の前に素晴らしい作家がいて、作品を提供しようと言ってくれている。
 飛びつくことにした。アクロバティックな無茶をやり遂げる方法などまだ何もわからない。わからないが、絶対にこれはチャンスに決まっていた。
 だから、最初にやったのは「どうやって書店に本を並べるのか?」という、しかも九州限定配本などという妙なことを実現するための、方策を探すことだった。
 
(つづく)

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