【出版社物語】伽鹿舎:本恋う鹿は笛に寄る 第6回

『クラフトブック』をやりたいんだ――
 
 この度の大きな地震に際し、たくさんの励ましの言葉、ねぎらいと応援をいただきました。
 ここに厚くお礼申し上げます。
 徐々に日常を取り戻しつつある地域がある一方、未だ非日常の真っ只中に取り残されている地域もあります。
 伽鹿舎の熊本スタッフは、地域への支援を直接的に行うことの出来る仕事が本業です。精一杯、取り組むことで熊本の為になると信じます。
 それとは別に、伽鹿舎として何が出来るか、ゆっくり考えています。目の前の傷が塞がって、それで終わりでない事を、私たちはもうとっくに知っているはずなのです。911も311も、それを深く刻んでいきました。
 ひとは、目の前にないことに思いを馳せることがむずかしいものです。
 ですが、ひとは、ひとだけは、知らないものを、ありもしないものを、そしてあるかもしれない現実を「想像」することが出来ます。
 文藝は、きっとそれらのために、何かが出来るのだと、そう思っています。
 
 
 
 前回、この連載は「印刷所探し」で終わっていた。
 結論から言えば、印刷所は長野の藤原印刷さんになった。
 出来ることなら印刷も九州で、と考えたが、そこは「片隅」である以上、輸送費その他の条件で、どうやっても経費が嵩んでしまうのだった。
 伽鹿舎のやり方がうまく行けば、九州で本を作ることはもっと増えるはずだ。そうやって需要が出来れば、いずれ印刷をめぐる情勢だって変わる。
 その為に、まずは無理せずお願いできるところにお願いしよう―― そう決めて、全国幾つかの印刷所に問い合わせをした。
 基準はわがままだった。面白い印刷を手掛けているところが良かったし、印刷は当然綺麗でないと駄目だった。いわゆる写真集を手掛けられる精度のあるところ、というのが一つの基準にもなった。
 気に入った手持ちの本を引っ張り出し、奥付の印刷所を片っ端から確かめた。
 そうやって、辿り着いたのが藤原印刷さんだ。
 ためしにお願いした文庫3千部の条件に、余所の半額程度の見積りが返ってきて正直に言えば目を疑った。
 本当にこれで出来るのですかと言った加地に、藤原さんは笑って言ってくれた。
「面白いことには、参加しなくっちゃ! 応援しますよ!」
 今となっては、藤原さんはこれを少し後悔しているのでは、と疑っている伽鹿舎だ。何しろ、一冊目からとんでもない苦労を掛けることになった。この紙が良いだのああいうのが良いだの、軽くなきゃいやだだのカラーと一色で紙を変えたくないのでどちらも映える紙、だのと好き放題に注文をつけた。奔走してくださった藤原さんがいなければ、伽鹿の本は出来上がらなかった。ありがたすぎて、いつかもっと、たくさんの注文が出来るようになることで恩返ししたいと思っている。
 何故、長野なのか、と思ったが、長野は印刷の歴史が長い。切磋琢磨されていく中で、安価で上質な印刷をするところが生き残っているのだと、そう聞いた。いわば、印刷の町、だ。九州だって、だったら本の島になれるに違いない。
 
 伽鹿舎の本は、出せる、と目処がたった。
 印刷所が決まり、流通方法が確保され、入稿データを作成する技術はある。よし、作ろう、と思った。
 坂口恭平さんの絵のレーモン・ルーセルは、絵が届いてから考えるしかないし、そもそもせっかくなら新訳でやりたい、と欲張った。
 絵が百枚もある以上、最低でも百頁あるわけだから、大長編であるルーセルの「アフリカの印象」をそのまま収録するには頁が嵩みすぎる。第一なにより、平凡社ライブラリーさんから岡谷公二さんの訳で最高の本が今も出版されている。やるんだったら新しいことをしないと意味がない。じゃあ、と考えて、抄訳かつ新訳、に辿り着いたのは必然だった。
 恭平さんの絵と印象深い一節を並べて、詩画集であるかのように作るのがいい、と思った。
 ルーセルは難解だ。内容がというより、言葉がそもそも難しく、かっちりしていてとっつきにくい。それの何が面白いのかを伝えるための、軽くて楽しい本にしようと思った。何しろルーセルというひとは言葉の魔術師で、言葉遊びから「アフリカの印象」を作ったのだ。アフリカになど、彼は一度も行ったことがない。
 アフリカに一度も行った事のないフランス人が書いた言葉遊びの、しかし何故だか堅苦しくて難解な(そこが面白みなのだけれど) アフリカの小説と、アフリカに一度も行った事のない日本人の坂口恭平がルーセルの本を読んだだけで好き勝手にイメージして描いた絵。
 こんな愉快な組み合わせはそうそうない。
 とにかく新訳に挑んでくれる翻訳者を探さねばならない。これは長期戦になることが容易に想像できた。だが、やりたかった。そうでないなら出さなくて良い、とまで思った。
 なぜなら、伽鹿舎は「自分たちが欲しい本を創る」ためにあるからだ。
 
 この「自分たちが欲しい本を創る」というシンプルに過ぎる欲求は、実はクラフトビールに似ているな、と思っている。
 今や日本でもすっかり定着しつつある「クラフトビール」は、元はといえばアメリカで始まった。
「自分が飲みたいビールがアメリカにはない」
 アンカー・ブルーイング社のフリッツ・メイタグ氏がそう唸って始めたのがクラフトビールであるらしい。
 それは徐々に広まり、「自分たちの飲みたい味」「自分たちの飲みたいスタイル」を目指すクラフトビールは紆余曲折の後、市民権を得ることになる。
 既存のものでは満足できないなら、自分でつくればいいじゃない!
 クラフトビールに出来たことが、本で出来ないとは思わない。
 伽鹿舎がやろうとしているのは、いわば「クラフトブック」なのだろう。
 熊本に伽鹿舎が、他の土地には他の出版社があって、それぞれにご当地でしか買えない本があったら愉快に決まっている。
 本を求めて日本中をふらふら旅し、旅の合間に本を読み、ご当地の美味いものを食い、自然に触れ、面白いことを体験する。
 そういう生活が当たり前になる未来を信じている。
 
 こんな風に、伽鹿の本作りは始まった。
 
(つづく)

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