【出版社物語】伽鹿舎:本恋う鹿は笛に寄る 第12回

そうだ、密林に行こう。――伽鹿舎、密林を九州領にと目論む
 
 
 

 仮面ライダーアマゾンは平成も終わりそうな今に至るまでの歴代仮面ライダーの中でもやっぱりかなり特殊な方向に突飛な存在だと思うのだがどうだろう。
 
 いきなりなんだ、というかどうした、と思われたみなさん、ご安心を。
 今回は別に恰好良すぎる野性味あふれる攻撃がどうの、という話をしたいわけではない。
 当舎は出版社なのだから、密林と言えば当然のように泣く子も黙るAmazonという巨大マーケットの話、である。ではあるのだが、しかしそれだけでもない。じゃあなんだ。
 ともあれ、Amazonである。
 前回、ようやく「片隅[tcy]01[/tcy]」の発行直前まで回顧したというのに、例によって事件は現場で起きるのであり唐突に起きるのであって、またもや時計はぐるっと回って現在の話だ。いや、当時の話も交えるのだけれど。
 
 伽鹿舎は、九州限定の出版社だ。
 少なくとも、初版が完売し重版が掛かるまでは九州以外の書店には卸さない、というのが多分最大にして他に今のところ類を見ない特徴である。
 出版する、となったとき、もちろん、密林に思いは馳せた。何といっても今や一大マーケットどころかほかが駆逐される勢いでこの密林は増殖しているのであって、呑み込まれる書店は数知れず、脅威も感じるが同時に未来感もあっちゃったりする、まさに激動の過渡期の申し子なのである。
 おまけに、世の中というのは一度出来た流れがそう簡単に変わるものではない。密林が世界を席巻してしまった以上、もはや密林にない本はこの世に存在しないがごとき扱いを受ける。
 例えば、密林で検索して出ない本は「なにこれどうやって買うの?」と訊かれてしまうし(実際に訊かれた)、密林のランキングにない本は話題にして貰えないし(確かにリンクも貼れない)、密林にないばっかりにいくつかの本にまつわるインターネットサービスで見つけても貰えなかったりするし(読書メーターさんも、あまたの書評サイトも、まあたいていはそうだ)、当然アフェリエイトの発生しようがないからブロガーだって取り上げてくれたりもしない(アフェリエイトの為だけにブログを書くわけじゃないのは承知ですので念のため)。
 こうなると弱小駆け出し出版社としては密林で売らないとしても、登録くらいはしてほしい、というのがどうしたって正直な希望である。
 だが、そもそも「九州の書店を応援したい」が柱のひとつである当舎として、密林は九州じゃないし実店舗でもないのだから、出来ればガンガン利用して欲しくもない。そのために自舎で通販もしているのだし、書店さんにも出来るだけやってくださいとお願いまでしている。つまり、密林さんには本の存在は認知して欲しいが、バカスカ売って欲しくはないのだった。さてそういう無理難題はどうしたら通るのか。はっきり言って密林側からしたら「ふざけんのも大概にしろ」な言い分なのである。
 だが、密林の利点は「欲しい本がすばやく買える」ことだ。実店舗の書店さんの利点は「知らなかった本が目に付く」「知らなかった本を勧めてもらえる」「並べ方で興味を惹かれる範囲が広がる」なんてところにあるので、実は競合しないのではないか、と思うことも沢山あるのだ。いっそ逆に「密林で知ったので実店舗で買います!」と思ってもらえるように、こっそり(?) 伽鹿の主義主張を交えて商品を登録したら、新しい未来が見えるのでは?
 となると、密林で、伽鹿の望む文言で商品を登録し、かつ売れても伽鹿が赤字にならない方法を追求しなければならない。
 結論から言えば、当時の我々の判断は「諦める」にあっさり傾いた。
 まず伽鹿舎は大手取次に口座を持っていないから、出版社取引コードを持っていない。これが何かというと、取次と書店の間では書店も出版社も全部コード(書店の「番線」なんて言葉を聞いたことがある方もいらっしゃるはずだ) で処理されるので、通常は口座を開設したときに自動的に与えられるコードのことだ。密林は、このコードを持っている前提でしか話をしてくれない。
 仕方ないので問い合わせた。密林さん密林さん、出版社取引コードないんですけどご機嫌いかが。返事はとても速かった。じゃ無理なのでe託利用してね!
 ですよねー、と我々は頷きあった。e託とは、要するに密林に直接登録して、取次等を通さずに商品を出品する仕組みだ。当たり前だが、年会費も必要だし送料は出版社負担だし掛率は何が何でも書籍は6掛と決まっている。
 つらい。
 密林に出せば売れる可能性はある。伽鹿を知ってもらえる可能性も飛躍的に高まる。利点は沢山ある。あるが、日本の大多数である九州外の人々がそれを利用したとしたら、伽鹿舎は取次に65%で卸しても原価ぎりぎりなのに売れたら売れただけ赤字になるという最悪の事態を招く。それはちょっと流石に幾らなんでもない。
 商売をする気はないが慈善事業をしているわけでもないのである。お前、非営利って言ったじゃないか! とおっしゃる向きもあるかもしれないが、非営利であることと慈善事業であることは別の話だ。営利を追求しないだけで、恵んでやろうとか思っているわけじゃないのである。あくまで、書店さんと、読みたい読者さんと、九州という島と共にがんばりたいのであって、どこかにせっせと貢ぐつもりはないのだ。というか、貢ぐなら出版などせずにその分の現金を貢いだ方がよほど効率がいい(たぶん、なくなってほしくない書店さんに「使ってください!」と現金を差し上げればその書店が閉店する日を数日でも先延ばしには出来る) のだが、そういうことをしたいわけじゃないのである。何しろ自分たちの欲しい本が欲しい、というのも動機の一つなんだから、書店さえあればいいという物ではないし、支援したい出版社があればそれでいいかと言ったらそういう事でもないのである。
 もう一つ言うと、当時はいまいち素人丸出しだったので、舎の直接販売のように手数料上乗せしたいけどそれってどうしたら出来るんだ、というあたりで全員で顔を見合わせてへらへら笑って諸々が停止した。
 そんなわけで、伽鹿舎の本は密林に冒険に出掛けることをやめてしまったのだ。元より密林で生きていくだけの体力があるとも思えないもんな。暑いし(?)。
 
 が。
 やはり密林は密林なのだった。
 密林に存在しない本はほぼほぼ認知されない。書店で並ぶだけで買って貰えるほど当舎の本は目立たない。無数にある本の中から見つけ出してほしいと望むのはなかなかに無茶だ。
 こうなったらやはり密林にも九州領になってもらうしかないではないか。
 方法はそもそも一つしかない。e託の利用である。
 よくよく考えてみれば、そもそも伽鹿舎の本は再販制に噛んでいない。再販制ってなにかと言えば、要は定価から値下げとかしちゃだめですよ、という取り決めだ。そうやって書籍は全国どこでも同じ値段で買える、ようになっている。なっているのだが、その再販制を担保しているのは出版社と取次との間で交わされる契約であって、伽鹿舎の場合、それがない(ないが原則的にほかの本と扱いを変えると大変でもあり、もともと利益率が低いが為に、安売りする書店さんは基本的にないのだけれど)。
 
 そうだ、密林行こう。
 
 定価を好きに変えればいいのだ。手数料分を乗せてしまえばいい。密林の便利さを求めて九州に来てくれない読者さんなら少々お金が掛かっても許してくれるだろう。便利さには対価が必要だ。仕方ないではないの、だってコンセプトが九州を本の島にしよう、なんですものほらしょうがないではないの。
 余談だが、そもそも伽鹿舎の定価税込千円均一はちょっと失敗だった。エンドユーザーである読者から逆算してしまったのだが、そんな事情など書店さんには知ったことではないから、たいていの出版社と同じく送料や振込手数料の負担を求められるケースが多く、結果的に取引が成立しない場面がかなりある。
 なんで? と言われても、話は単純で、なにしろギリギリ過ぎて、送料や振込手数料を伽鹿舎で負担したら赤字になるのであって、出来ないものは出来ないのである。書店さんも利益3割の中からそんなもの負担したんじゃやってられない置き場の代金にもならんよ、と言われてしまえばそうですかというしかなく、それでもやっぱりなんとか税込千円を維持したいせいでお断りしてしまった書店さんには本当に申し訳ないことをした。まったくもって書店になくなって欲しくないと言いつつ助けになってるんだかどうだかはなはだ怪しい。打開策は延々と考えているが決定打は未だ浮かばず、ますます伽鹿の本は知られる機会を失っている。
 こうなったら、最初から掛率6割の密林で遠慮をする必要はないではないか。どうせ送料だって出版社もちである。掛かる経費分は貰うしかない。密林専用価格である。
 
 と。
 そんなわけで、密林に納品を始めることにした。
 まずは『片隅[tcy]01[/tcy]』(割高です!) と『幸福はどこにある』(こちらは全国解禁したため定価ですが、逆に言うとご近所の書店から取り寄せられますので、出来たら書店でお求めください!) から登録してみた。残りの本も順次登録する予定だ。
 当舎から直接買うより、九州の書店さんから買うよりずっと高くつく。つくのだが、密林じゃないと嫌だ! という方にはぜひともご利用いただきたい。ぜひとも。
 そうじゃなくても、ひとにお勧めするのにちょっと簡単にはなるかもしれない。なんでこんな高いの? と言われたら、実はこれこれしかじかだから、直接だったら普通に買えるんだけどね☆ なんて会話も弾む(?) かもしれない。
 密林も、九州領になるのだ。
 
 でもさ。
 本音では、九州に来てみて欲しいな、と思っている。
 素敵な書店があるから。そこで熱心に売ってくださっている書店員さんがいるから。その出会いは貴重で愉しいから。
 だから、九州の書店で買ってほしいなと思う。その体験そのものが、その本を更に特別にするのだ。
 本は。
 それ自体も物語を孕んでいる。だからこそ「物」「語り」だと信じている。

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