【出版社物語】伽鹿舎:本恋う鹿は笛に寄る 第16回

伽鹿舎の終わりってどんなだろう
 
 
 

 一冊目の単著『幸福はどこにある』は、文字通り幸福なスタートを切った。
 映画原作であること、発売がクリスマスシーズンに間に合ったこと。映画主演俳優サイモン・ペッグ氏の人気がうなぎのぼりであったこと。
 まさかの「九州限定」でフランス語で書かれて翻訳された小説が売れるとは恐らく誰も思っていなかっただろうし、実際に随分と色んな人に止められた。
 「業界」では「ガイブン」は3千部だって売れたら褒められる体たらくだという。それを九州限定で2千部売ろうとしたのだからそういわれても当然ではあった。
 本当に売れないのだろうか。値段が高いからでは? 翻訳文へのイメージが大昔のままの人が多いのでは? 「本」自体に「邪魔になる」「インテリアに合わない」という理由があるのでは? などと色んな想像をした。舎内で散々語り合って、値段を千円にし、手軽な文庫サイズに近いものにし、見た目の価値を高める努力もし、そうした結果が、それなりに好調な販売のスタートに繋がったのだ、とは思う。
 ただ、それは伽鹿舎としては、という意味で、通常の大手出版社なら、一週間で絶望しただろう程度には、地味な滑り出しだった。
 「片隅[tcy]01[/tcy]」を出版後、ひとに勧められてお目にかかり、伽鹿の本を置いてくださることになった熊本の古書肆「天野屋書店」(上通並木坂) さんは、この本を出す事になったと納品の相談に行くと「そもそもまたどうしてこんなもの熊本の出版社が出せることになったの?」と目を丸くした。
 経緯を語るのに夕食と移動後のバー二軒を費やした頃、天野屋さん(『本当は柏原さん、という立派な本名があるのだけど』(翻訳家・高橋啓さん談)) は「ぼくはその話が面白いと思う。出る本よりずっと面白い!」と手を叩いて大喜びしていた(勿論、酔っ払いである)。
 まったくもって笑っている場合ではない。本だって面白いんですってば! と刷り見本を押し付けていたら、天野屋さんは言った。
「あのね、ぼくなら、その話聞いたら面白すぎて本も買うよ」
 目が点になった。そんな事があるのか。人生の大先輩、しかも老舗の古書肆のご主人の言だ。思わず真顔になったら、続いたのは「だから、出版記念トークをやりましょう」という言葉だった。
 そこでどんなやりとりをしたのか、詳細には覚えていない。とにかく「いや、いや良いですけど、一体どこでやるんですかお金なんてありませんよ伽鹿舎には!」と言ったのは確かだった。後日、舎のメンバーに伝えたときにも全員が「どうやって? お金なんてないよ!」と言った。
 本当になかった。なにしろ有志で始めたうえに行き当たりばったりに出版に行き着いてしまったものだから、目の前にあるものをどうにかすることに精一杯で準備もへったくれもない。
「そもそもですね、可能なんだったら映画の再上映をやりたいくらいなんですよ! 映画原作なんだから!」
「そうねぇ、熊本ではその映画、どこがやったつね(やったの?)」
「電気館さんです」
「ふぅーん」
 電気館は、熊本市街地のこれまた老舗映画館だ。天野屋さんは思案顔になった。
「そりゃ僕が紹介してあげることは出来るけど、でもねえ、一回上映終わってるのはむずかしかろうねぇ」
「ですよね……」
 数日後、天野屋さんは連絡をくださった。
「あのね、トークの場所、決めといたから」
 !?!?????
 本当に決まっていた。満由美さんという素敵な元キャビンアテンダントさんがやっている喫茶だ。慌てて準備に奔走することになった。翻訳者の高橋啓先生にもあいさつ文を寄せてもいただいた。誰も来なかったらどうしようと冷や汗ばかりが流れたが、こうなったら運を天に任せるより他にない。ないというより、そもそも今まで全部それでやってきたのだから他の方法がわからない。
 トーク会場は満席だった。装画の田中千智さんも駆けつけて一緒に話をしてくださった。なごやかでとてもいい会だった。「幸福はどこにある」は売れた。
 ありがたすぎて気が遠くなった。そこで終わらないのが伽鹿舎だ。調子に乗って、やっぱり映画の再上映やりたいですと口走った。天野屋さんは、なんと「いいですよ紹介しましょう」と笑ってくれた。
 日を決めて、電気館に一緒に出向いてくださることになった。至れり尽くせり過ぎる。ついでに言うと、なにもかもポンコツな伽鹿舎と違ってトーク会場のファンタイムの満由美さんは完璧超人で、足らないものは全部「だと思った」と満由美さんによってカウンターの下からちゃんと取り出されたりした。至れり尽くせり過ぎる。上通すごい(並木坂かもしれない)。
 そんな後日、応接室で向かい合った電気館の窪寺さんは難しい顔をした。
「うちもね、三ヵ月後までイベント埋まってるし上映も決まってるし」
 当たり前である。
「ですよね、やるなら三月の連休がいいなあと思っていたのですが」
 お前、はなし聞いてる? といわれそうな事を口走る加地に天野屋さんは絶望的な顔をした。隣で絶句している。
「うーん、連休ねえ」
 窪寺さんは良い人だった。スケジュール帳を開いてくださった。
「ちょうどね、映画イベントやることになってるから、そのスケジュールがね……かぶらないなら良いんだけど」
「そうですか。もしかぶらなかったら出来る可能性ありますか? もし出来るなら、翻訳者の高橋啓先生をお招きしてトークイベントもやりたいんです」
 はっきり言って、熊本で翻訳者のトークイベントなんてほぼない。
「『幸福はどこにある』ですよね、あれは確かに良い映画だったよね」
 言って、窪寺さんは端整な顔をほころばせた。映画の好きな人なのだ。
「配給どこだったかなあ」
 即答できた。何しろアホみたいにお世話になったばかりである。窪寺さんは破顔一笑した。
「そっか、あそこでしたっけ。うち、仲良いんですよ」
「そうなんですか! 実は本にも、映画に出てきた絵を使わせてくださったり、本当に良くしていただいたんです! あ、これその本です、順番が後先ですみません! 良かったら是非どうぞ」
 一時間後、電気館を出ると天野屋さんが首を捻って言った。
「……話し始めたときに、これは駄目だ一つも見込みがないと思ったはずなんだけど」
「ですか」
「なんで今、三月にやる前提になって出てきたのかちっともわからん!」
 そうなのだった。窪寺さんは、予定しているイベントがかぶらなければ、という条件付で再上映を約束してくれたのだ。
 結果的に、これは実現した。予定のイベントは一週間早い週に行われることになったから、再上映は可能ですと連絡が来たのだ。時を同じくして、日田からは映画館の日田シネマテーク・リベルテさんから「上映をやりたいので本を扱いたいしイベントもやりたい!」と連絡が飛び込んだ。福岡ブックスキューブリックの大井さんには「トークイベント、いいよ、やろっか」と言っていただいた。まさかの3DAYSの実現である。
 高橋先生は喜んでくださった。初めての九州だと、還暦過ぎて、こんなに楽しいことがあっていいのかとまで言ってくださった。
 おまけにこの本には更におまけがついた。
 発売して一年が経つ頃、韓国の人気アイドルグループ東方神起のファンの方が「チャンミンが空港で買ったと話題になってた本、今なら日本語版買える」とTwitterで発言してくださり、火がついたように売れ出したのである。瞬く間に在庫が減り、止まらない勢いに年末だというのに急遽増刷を決めた。初の重版である。
 
 そんなうまい話があるもんか、と読んだ方は思っておられるかもしれない。
 だが、これは全部事実で、何も誇張さえしていない。
 勿論、同時並行していたWEB片隅は手が廻らなくなって酷い有様になった。執筆者にご迷惑もお掛けした。反省ばかりの顛末で、今でも申し訳なさで胃が痛くなったりもする。あまりにも、何もかもが手探りだった。それでも、伽鹿の名前は少しずつ、知られていった。泣くほどありがたい話だった。
 
 それで、考えたことがある。
 伽鹿舎は、どこで終わるんだろうと。
 いつだって綱渡りで、目の前にある偶然の幸運を無理矢理捕まえてこれまでをやってきた。そんな事がいつまでも続くわけはないし、続けられるわけもない。長期戦で売っているから、掛けた費用の回収には通常の会社が掛けているだろう期間の数倍を要している。出し続ければ、ある日、突然終わりがくる。だがそれはあまりにも困る。周囲にだって迷惑すぎる。
 だったら、どこまでなら続くだろうか。次の本、それともその次。
 凄い出版社だ、と言ってもらった。素晴らしい取り組みだ、ともたくさんお声掛けいただいた。ファンです、と言ってくれる人たちがいてくれて、伽鹿で書きたいといってくれる著者さんたちがいる。重版したいという目標も、伽鹿で本を出したいと願ってくれる著者さんが現れることという目標も、ブックイベントにお招きいただくという目標もクリアした。
 伽鹿舎が当初たてた目論見は、どうやらうまくいったらしかった。
 九州でしか売らなくても、それがガイブンでも、物凄く知名度がある著者だったりしなくても、ちゃんと買って貰えるんだ、ということはわかった。
 もし、これがうまく行くのなら、全国各地で同じようなことをやれば、きっと面白い事になるだろう。
 
 元より、有志による実験のような出版社だった。
 九州限定で、中央が出来ないことをやってみよう、それで辺境の、片隅の九州に、普段は届かない本を届けてみよう、本屋さんに、きっとそれで恩返しが出来るし、九州の未来のためにもなる、というのがその実験の目的だった。
 実験の結果は、概ね出た。
 基本的には、やっていける、という手ごたえが十分にあった。やっていける。新しい方法を、伽鹿は生み出していけるだろう。
 同時に、本屋さんにはあまりにも制約が多過ぎて、どんなに伽鹿が共闘したくても、そうは出来ない場合が多々あることも、わかった。
 有志がやっている週末非営利出版社だから、採算を度外視したけれど、それでは行き詰る(そりゃそうだ) のも身に染みてわかった。
 伽鹿舎は、やっていける。ただ、このまま同じ方法では、無理なのだった。
 まだやりたい事がいくつもある。
 書店を始めたい誰もが躓く「取次との契約」や「きちんとした実店舗」というハードルを下げる為に、小さな会員制の卸売店舗を作りたい。
 東京の神田まで行かなくても、九州の真ん中に位置する熊本で、誰もが足を運びやすい繁華街に、賛同してくれる版元の本が見本で置いてあって、会員書店さんなら手にとって自店に帰ってから発注できる、そうでない個人会員なら、その場でほしい本を数冊だけ仕入れて行くことが出来る、そんな場を作りたいのだ。
 そうすれば、誰もが小さく、それこそヒトハコで新刊書店を開くことが出来る。どこかの窓辺で、ベンチで、軒先で、喫茶店で、美容室で、好きな場所で。
 そうやって小さな書店が無数に出来れば、本に親しむ人も、それぞれに違うお勧めを求めて旅をする人も増えるだろう。それってきっと素敵な未来だ。
 書店のない町や村が消えるかもしれない。書店をやりたいひとたちが笑顔になれるかもしれない。
「九州を本の島に」
 伽鹿舎が阿呆の一つ覚えのように唱え続けたこの呪文を、みんなで共有出来るようにしたい。同じロゴをみんなで使って、みんなでそんな未来を目指すのだ。
 
 伽鹿を応援してくれる人は随分と増えた。
 それでも、爆発的に増やす方法はない、と分かっていた。誰もが口をそろえて「顔が見えないから無理だと思います」とそう言った。前回も書いたとおりだ。ひとの顔が見えなくても面白がってくれる人など稀少なのだ。実感として、それは事実だった。
 伽鹿のようなプロジェクトは、影響力のある誰かがシンボルとしてひっぱらないと広まらない。広まらないと動かない。動かなければ、行き詰る。最低限の資金はどこかで調達しなければならない。伽鹿のように長期戦で売るモデルを構築するには、数ヶ月で売り上げて売り抜けるような方法論は適用できないから、どうしても不足している期間の資金が必要になる。今のままでは、伽鹿にそれは用意できない。スポンサーがいるわけでもなく、超ヒット作を抱えたりもしていない(そもそも失くしたくない良作を出し、新人を送り出したいのだ、というポリシー自体がそんな風には出来ていない) 伽鹿には、このまま続けていくだけの体力はもうない。
 だから。
 伽鹿はもっと、違う方法を模索しなければならない。今の伽鹿舎は、そうやって、第一期を終わらせるのだ、未来に向かって。
 まずはこれまで、この二年間を熱烈に応援してくださったすべてのひとに、最大限の感謝を捧げたい。(つづく)

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