魂に背く出版はしない 第4回 渡辺浩章

第4回 闘争の倫理

  
 私の人生に強く影響を及ぼした奇妙な人たち。藤島大さん(以下・大さん) に続いて今回ご紹介するのも、早稲田大学ラグビー部の先輩たちです。大さんと作った単行本『人類のためだ。』も、元を辿れば早稲田ラグビーが発生源です。
 そもそも私が早稲田のラグビーを志向するようになったのは、大学対抗・早明戦をNHKの生放送で観戦したのがきっかけです。1981年12月6日。いまはなき国立競技場には6万人を超える観衆が集まりました。戦前の予想は「明治絶対有利」。平均体重で[tcy]10[/tcy]キロも体格差のある明治“重戦車” フォワードを相手に、早稲田の小さなフォワードは[tcy]80[/tcy]分間ひるまず戦い抜いて、見事な勝利を収めました。私が高校2年の冬の出来事でした。
 [tcy]10[/tcy]年に一度あるかどうかの番狂わせ。その真剣勝負を目撃してしまった多くの若者が、瞬時に心臓を鷲掴みにされ、口々に感動を叫びました。しかし、私が強烈に惹かれたのは、グラウンドに立っていた[tcy]30[/tcy]人の選手のなかの、「ただ一人の男」の存在でした。
 まるで修行僧のような風貌。破天荒すぎるプレーに、私は目を奪われ、仰天し、驚愕して、どうにも惹きつけられてしまったのです。背番号は7、私と同じ「フランカー」というポジション。フォワードの一員でした。
 渡邉隆さん、愛称は「ドス」さん。福島の高校時代にラグビー経験はなく、大学入学からラグビーを始め、4年生の秋になってレギュラーの座を摑み取ったという異色の経歴の持ち主です。
 [tcy]80[/tcy]分間走りに走り、攻撃では味方を助け、守備においてはチームの先頭に立って敵へとタックルに向かう、それがフランカーです。
 早明戦における「ドス」さんの異形を今でも忘れることができません。明治FWに顔面からタックルする姿は、小獣が巨熊に飛びつき襲いかかるかのようなスタイル。早稲田にはこんなラグビー選手がいるのか。こんなプレイヤーを輩出する早稲田ラグビーとは、いったいどのようなクラブなのか。探求心が突如、芽生えてしまったのです。
 大学は慶應でラグビーを、と思っていた私は、あっさりと進路を早稲田に変更。入学してすぐラグビー部に入部すると、異形のフランカー「ドス」さんを生んだ名指導者の存在を自分の目で確認しました。大西鐵之祐(てつのすけ) 先生です(故人)。ラグビー日本代表監督として数多の偉業を成し遂げた勝負師であり、もちろん、1981年の早明戦当時の監督です。
 ところが、私の在学中には大学教授でありながら監督・コーチの立場にはなく、大病を患っていたこともあり、大西先生から直接指導を受けることはできませんでした。
 私は違和感を覚えました。私の人生を一変させた、あの修行僧にして獣のような男「ドス」さんを生んだ早稲田ラグビーで過ごす日常は、想像とはほど遠いものでした。4年時には大学選手権準優勝、日本一まであと一歩という成績も挙げました。けれども、[tcy]81[/tcy]年のあの冬の一日に直感した、何かある、というその何かを体得することは叶いませんでした。私は途方にくれました。
 ラグビーのゲームは、そこに至るまでの訓練の日々も試合も、すべてが苛酷であり、残酷です。過酷さ、残酷さゆえに、人はラグビーの本質を見失いがちです。私も見失っていました。また、技術の取得や体力向上の日々、仲間たちとのレギュラー争いに明け暮れ、夢中になり、レギュラーとなっても勝負の駆け引きに溺れ、酔いしれてばかりいました。
 ラグビーの本質とはなにか。人間はなぜラグビーをするのか。ラグビーが人間に問いかけているものはなにか。早稲田に行けばその問いに対するヒントを得られるのではないか。そのような思考に先導されて進んだ道で、私は迷子になっていたのです。
 では、早稲田ラグビーで過ごした4年間に意味は無かったのか? そうではありません。1987年、私が現役生活に一区切りをつけて5年生となった春に、大西先生は『闘争の倫理 スポーツの本源を問う』というスポーツ哲学書を刊行しました。大さんの強いすすめもあり、読みました。またもや感動しました。
「無意味な戦争に血を流すのなら、現在の貴重な平和を守るために命がけで戦う覚悟が必要であろう。」
 そのようにまえがきで述べてから、スポーツの、本物の闘争の最中に、フェアなプレーを自ら選択することのできる人間を、スポーツを通して育成するのだ、と熱く語っています。ジャスティスよりもフェアネス。ルール上は合法であっても汚いプレーをしない。真剣勝負の極限の状況下でズルをしない。倒れている相手選手を蹴飛ばしてでも勝ちたいというときに、ちょっと待てよと、自分の意思でいいほうに選択していくことができる人間を育てる。その修練の場として、スポーツという闘争の場が必要であると説くのです。
 そのためには日々どうあるべきか。「闘争の倫理」を取得する目的は何か。私が見失っていた道が、『闘争の倫理』一冊のなかに、すっかり記されていたのです。出版社は二玄社。1999年に中央公論新社が復刻するも、また絶版に。
 2015年9月、『闘争の倫理』を鉄筆文庫として復刻します。この作業もまた、私にとって必然なのです。(つづく)

【鉄筆の本】

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