魂に背く出版はしない 第6回 渡辺浩章

第6回 起きんか! ひろあき

 死ぬかと思った……という体験を何度かしました。
 4歳のころ。無邪気に走りながら車道に飛び出して、眼前で車が静止するまでの、スローな数秒間。
 7~9歳にかけて。深夜、団地の階段に響き渡る軍靴のような足音、近づいてくる気配に目を覚まし、連れ去られる、という観念に脅えて、トイレに籠っていた数時間。
 高校時代。ラグビーの試合中に脳震盪をおこして意識不明となり、丸一日たって、この世に意識が戻ってからの数分間。
 週刊誌編集者時代。肛門から脳天まで貫いた激痛に絶叫し、大量の下血、友人に担がれて、病院へと運ばれていく最中。と診察室での触診。
 さらに週刊誌編集者時代。冬の真夜中、ガレージの中で車のエンジンを掛けたまま居眠りをして、一酸化炭素中毒に……。ボーン、ボーン、ボーン、柱時計の音。眼の前には、和服姿で腕組みをした、眼光鋭い、短髪で白髪の、口髭を生やした老人が立っていて、
「ひろあき! 起きんか!」
 強い口調で言われて、今度は本当に意識が戻って、よく見ると、車から這い出て床に腹ばいになっている自分がいる。しかも失禁している。ああ、死んでたな、と思いました。
 この奇妙な体験を母に話すと、「あなたの曾祖父(ひいおじいさん) だね」という返事。後日、どこからか曾祖父の写真を探し出してきて、私に見せてくれました。眼光、風貌、まさしく夢で会ったあの人です。以後、私は夢の人=曾祖父に対して強く興味を抱くようになりました。
 夢の人は私の曾祖父でありながら、姓は渡辺ではなく「香江」という、福岡でも希少な名字でした。香江と書いて「こうのえ」と読みます。唐人町の医者で香江家の六代目、誠さん、それが私の曾祖父です。
あるとき、香江誠さんの四男・順四郎が、男子の跡継ぎのいない渡辺家を継ぐために、香江家を出て養子となりました。ここから新しい渡辺家の系譜が始まります。(あくまでも男の血筋の話ですが。) 渡辺順四郎の子が私の父・雄二で、孫が私。逆進すると、私の父が渡辺雄二、祖父が渡辺順四郎、曾祖父が夢の人、香江誠です。
 公になっている香江家の家系図があります。香江家の六代目から遡って見ていくと、二代目は、こちらも養子でした。

(2)白石氏道格之養子トナル
 道悦

 

 家系図にはそう記されています。
 白石(道悦) 氏、道格(香江家初代) の養子となる――。なんと香江家の二代目は、白石家からの養子だったのです。
 あれ、と思いまいました。「白石」の姓は福岡で珍しいというわけではありませんが、それでも、香江家二代目となった白石道悦氏と、白石一文さんの祖先が、もしも血縁関係にあったなら……と、つい想像してしまいます。なにしろ、渡辺も香江も、血脈(あくまでも男の) を辿れば「白石」の血を引き継いでいる事実が、家系図に明記されているのですから。白石さんも私も共に福岡出身です。実際に、白石さんと血縁関係にあるかどうかは分かりませんが、私のルーツは「白石」だったと知って、特別な感情が沸いたのは事実です。
 
 白石一文さんと初めてお会いしたのは2002年8月[tcy]20[/tcy]日。小説『僕のなかの壊れていない部分』が光文社から刊行されたときでした。当時、私は文芸書の営業担当者でした。この小説を読んだ私は、なんとしてでもこの本を売るぞ、強くそう思い、行動しました。その後も、白石さんの作品の営業に、私は深く関わっていくことになります。
 私は出版社入社から退職までずっと書籍編集志望だったのですが、一度も配属されぬまま、2009年2月、とうとう書籍編集部への異動を断念せざるを得ない立場(営業管理職) に追い込まれました。その時に捻りだしたアイデアが、書店向け広報誌「鉄筆」の創刊です。この「鉄筆」誌上で連載小説を掲載して、本を作り、販売する。つまり、自分で作って、自分で売る。
 組織のルールに抗うような無茶な提案を、当時の会社はよくぞ受け入れてくれたものです。そしておそらく、白石さんはそのような行動をとる人間が大好きで、「鉄筆」創刊を誰よりも熱く応援してくださいました。もちろん、「鉄筆」に最初の連載小説を書いてくれたのは白石さんです。この試みは未完のままで休止しましたが、一年の後、白石さんから新たな書下ろし小説が届きました。『翼』です。一読、痺れました。身体を電気が駆け巡る衝撃。
「ひろあき! 起きんか!」
 と、夢の人の声も脳内に響きます。
 2010年の暮れから、2011年の大震災をまたいで『翼』の編集作業は進み、「鉄筆」誌上で連載後、6月に単行本を刊行しました。『翼』は、作品の持つ精神性(霊性) のみならず、あらゆる意味で、前職時代の私にとっての最高傑作です。
 その『翼』を文庫本として刊行し、「鉄筆文庫」を創刊することが、小さな出版社・鉄筆を起ち上げた私の最初の仕事となるのですが、この話は、また後日にします。
 
(つづく)

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