【出版社物語】伽鹿舎:本恋う鹿は笛に寄る 第9回

九州限定の出版社、ついに限定解除する
 
 
 
 大方の予想通りにというか、察しがついておられるに違いないというか、まったく更新しないまま随分と時が過ぎて、何をしていたかと言ったら金策だったりイベントだったり金策だったりし、今のところ最初と最後についてはなんと解決を見ていない。なんてこった。
 だが、話題の一冊『バッタを倒しにアフリカへ (光文社新書)』を読んだせいか、頑張っていれば土壇場でどうにかなるんじゃないか、と変な(?) 勇気をいただいたりしたので落ち込んだりもしたけれど、今日も伽鹿舎は元気です。
 この本、本当に傑作である。未読の人は人生の優雅で無駄で楽しい部分を何パーセントか損しているので是非どうぞ。
 
 などと全力で他社の本の宣伝をしている場合ではなく、そんな日々の間に伽鹿舎の本はと言えば初の「全国解禁」が決まった。『幸福はどこにある』である。
 当舎の本は「九州限定」で、しかし初版が完売したら、増刷分からは全国の書店で取り扱いを解禁しよう、というのがその主旨だ。
 もともと何度も何度も書くようにギリギリでマイナスの運営をしているから、広告宣伝費がない。知名度がないと本が知られず、知られないと売れないのでますますジリ貧である。困る。
 宣伝するより、じゃあいっそ本を全国にばらまけばいいというのが率直な話で、そしたら幾許かのお金になるわけだし、という魂胆のこんな無茶苦茶を実現させてくれたのはやっぱりH.A.Bookstoreを運営している松井さんだったりした。
 前回、ひなた文庫さんとの提携の話を書いた。
 そんな妙な事を「いや面白いです」と実現させてくれるくらいだから、松井さんだって十二分に変なわけで、そんな松井さんは取次としての役割も仕事として持っているのだから、相談しない手はなかった。
 一種類ずつ、増刷になる都度、九州限定を解除して全国解禁したい。
 どう考えてもむちゃくちゃである。そんなこと出来るのか。
 松井さんはあっさり「いいですよ、うちでやりましょう」と言った。「うん、面白いし」
 この人達は一体全体、大丈夫なんだろうか、ときっと松井さんに思われている伽鹿舎一同が、松井さんの事をちょっとだけ、この人は大丈夫じゃないのではと不安になったのはさておき、とりあえず実現できそうとなったら全力で寄り掛かる事を即決して、お願いしますと告げた。
 元より松井さんのファンになったとうっとりしていた弊舎の松本は「松井さんカッコいい」が殆ど口癖のようになっている。松井さんカッコいい。
 ともあれ、大手取次であるトーハンさんや日販さんに、そのままでは伽鹿舎の本は渡らない。何しろ取引がない(というより門前払いだった) から出版社コードだって持っていない。だが、HAB経由八木書店廻り大手取次行、というローカル線に乗せて貰えることになった。八木書店さんも八木書店さんで大丈夫なのか知らないが本当に熱心にお声掛けくださった。ありがたくて足を向けて寝られないのだが、何しろ全方位そればかりなのでご容赦いただくことにして。
 それにしても、なんだそれは。
 チンチン電車がどうしてか地下鉄乗り入れしていつの間にか更にJR直通になっていたので着いた駅はJRのターミナル駅でしたみたいな事になってるぞ。世の中の仕組みってよくわからない! さっぱりわからないがありがたい!
 そんなわけで、当舎の最初の本『幸福はどこにある』は大手取次でも注文できる本になった。ようやく「普通の本」になったわけだ。全国どこの書店でも取り扱える(取り扱ってくれるかは別問題にせよ) ごくごく普通の本だ。
 ええ、そうなんです。これを読んで「マジで?」と思った書店員さんは、今すぐ発注書をお書きください是非によろしくお願いしますペンがなければ指を切ればいいじゃない!
 
 ちなみに、この連載ではまだ最初の片隅すら刊行するに至っていないのに、月日は飛ぶように流れて既に片隅は4度も出て二巡し、間で出したQUINOAZも、「幸福はどこにある」「抄訳アフリカの印象」に続いて「世界のすべての朝は」が出た。
 「抄訳アフリカの印象」は白水社さんの「ふらんす」という素敵な雑誌で書評をいただいたし、「世界のすべての朝は」は豊崎由美先生のお蔭で3誌に書評が掲載され、更には図書新聞さんでも応援の書評をいただいた。
 正直、九州でしか売っていない本の書評が全国区の雑誌に載っている、という状況自体がとても面白くて、けっこうにやにやしてしまうわけだが、にやにやしてても売れるわけではないのでもっと知っていただく必要がある。
 だいたいこれを読んでいる人は伽鹿舎を知っているから読んでいるのだろうし、しかし読んでるから知ってるからって本を買うかは別問題だ。
 そこが大問題なのである。
 本は嗜好品でもあるから、どうやったって必ず買うものではない。
 ないのだが、伽鹿舎からQUINOAZで出たからには「いい」のだし、よしんば内容が良くてもガワが低レベル、かもしれないのは目をつぶっていただいて、出来たら伽鹿舎じゃないと出せないかもしれない未来の本の為に是非ともお買い求めいただきたい切実に。
 なぜ自舎の本なのに「いい」と断言できるかと言ったら、「ご縁があったら出す」方式のお蔭で、「すごく良いのに出ないんだ」「すごく良いのに絶版なんだ!」という声と共にQUINOAZ刊行作品がやってくるからだ。
 自分たちの目はちょっぴり信じられなくたって信じられる人の目は信じられる。当たり前である。
 だから声を大にして言うのだ。伽鹿の本は良い。ガワが駄目だとしても、絶対に読んで損はしないと。
 
 もちろん、ガワだって良くする努力はしている。
 二年の間にたくさん学ばせて貰ったし、現在進行形で学んでいる。ありがたいことに「ここがおかしい」と教えてくださる読者さまもたくさんいらっしゃる。全く期待していなければそれはしないはず、とポジティブに捉えてありがたく取り入れさせていただいている。
 もっと言えば「抄訳アフリカの印象」なんて各方面の名だたるフランス文学者の先生方に絶賛いただいて、そんなにすごい本だったのかと驚いている始末だ。高遠弘美先生にも、中条省平先生にも、「これは凄い仕事」と言っていただいた。訳した國分俊宏先生が全面的に凄いだけなのだが、出そうと決めた弊舎もちょっとくらいは凄いに違いない(無謀という意味で)。
 あまり出ないかもしれないという不安と、新訳していただく労力に見合わない低額の印税を少しでもマシにしようと、初版はほかのQUINOAZよりほぼ倍に増やして刷った。だから他の本が「重版」が条件である全国解禁を、この本に限って「半分売れたら」に設定している。
 のだが、なんと実はあと四二冊売れれば解禁出来るのだった。
 アフリカなんて行った事もないフランス人が言葉遊びだけで作り上げた架空の奇天烈な世界を、坂口恭平さんのユーモラスでカッコいいドローイングに並べて読み易く翻訳していただいた。おまけにフランス語の原文まで載っている。誰が読めるんだと言われる前に言うと舎員だって誰も読めない。
 でもこんな本はきっとほかにないのだ。手にとって、眺めてほしい。翻訳と並んだ恭平さんの絵は、海岸で巨大女がビームを吐いていたりしてもはや何がなんだか謎だらけだし、そこにつましく並んだ原文は妙に端正で、このギャップだけでも十全に面白い事を保証する。
 
 と、珍しくしこたま自舎の本をお勧めしたところで、なるはやで時系列を戻して現時点に追いつくべく、次回から筆を進めようと思う。
 もう、二年近くが過ぎた。
 まだ、二年すら過ぎていない。
 伽鹿舎には素人しかいないまま走り出してしまった。素人は、いつから素人でなくなるのだろう。
 それでも、いつになっても謙虚に本を作りたい。
 作らせていただいているのだ、と思って作りたい。
 あれこれ懸案事項は山積みで、頻繁に気が遠くなったりもするけれど。
 伽鹿舎は伽鹿舎の道を走るしかない。最初から、そうだったのだから。
 
(つづく)
 
 
 
 
 
 

 
 
 

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