世界で初めての地下鉄が運営された頃、日本はまだ江戸時代だった。新撰組が結成された年だ、と書けば、ロンドンの地下鉄の歴史を少しは感じてもらえるだろうか。
いや、そんなことを知らなくても、実際に乗ってみればいい。
ロンドンの地下鉄は、ひどく狭い。幅も狭いように思うし、なによりも天井が低い。時折、頭を低くして地下鉄に乗車する英国紳士、なんていう光景を目にするのも珍しい事ではないのだから。
ロンドンの地下鉄車内が狭いのには、理由がある。当時の技術では、これ以上おおきな「穴」を掘ることが困難だったというのだ。不可能ではないが、コストがかかりすぎる。「シールド」と呼ばれる円筒形の掘削機を使い掘り進んだ結果、その形状から「チューブ」と呼ばれるロンドンの地下鉄は完成した。
網目のように張り巡らされた地下鉄は、ロンドナーにとって無くてはならないだけでなく、私のような観光客にも便利な交通手段だ。観光地をめぐり、地下鉄でホテルに戻る。大英博物館もロンドンブリッジも、バッキンガム宮殿だって地下鉄を使えばすぐだ。
博物館の帰り、テムズ川沿いを散策しながら地下鉄の駅に向かう。鈍色の空からは今にも雨が降りそうだが、誰も傘なんて持っていない。
幸いにも降り出す前に地下鉄の駅が見えた。良かった、と胸をなで下ろした時、入り口に柵が降りている事に気がついた。
「どうしたの?」
通りすがりの英国人女性が、柵の前でうろうろしている私に話しかける。「この駅、日曜日は閉まっているのよ。隣の駅を使いなさい」
泣き出しそうな空の下、棒になりかけた足を引きずって仕方なく私は歩き始めた。こんな事なら博物館のそばから、地下鉄に乗っておけば良かった。
明けて月曜日、地下鉄は通勤客でごったがえしていた。狭い車内で、背の高い英国人の頭は天井にくっつきそうだ。
窮屈そうに首を竦める紳士の姿に、ああ、ここはロンドンなのだと改めて感じるのだった。