空色の地図 ~台湾編~11 九份 久路

 車が着いたのは、坂の上だった。待ち合わせの時間を確認し、車を降りる。晴天。見晴らしも良いし、何より台北市内よりいくらか涼しいのが有り難い。
 九份は台湾北部の山あいにある小さな町だ。台北から車で一時間と少し。山道をくねくねと走り到着したそこは、昔は鉱山として栄え、今は観光地として台湾有数の人気を誇っていた。なるほど、平日の午前中にも関わらず観光客が既に沢山見受けられる。雨が多いと聞いていたが、幸運にもこの日は綿雲の欠片が浮かんでいるだけで、雨の気配は欠片も感じられない。代わりに容赦ない日光が降り注ぐ中、私は目的地へと足を向けた。
 地図が描かれた大きな案内板の脇を通り、人の流れる方へついて行く。ほどなくしてアーケードがあらわれた。土産物や軽食、九份名物の芋圓屋台などがひしめいている。一時間のドライブで喉が渇いていた私は、かき氷を浮かべた芋圓を食べる事にした。初めて食べた芋圓のやさしい甘さは、私の好物のひとつとなった。
 土産物屋をひやかしながら歩いていると、屋台と屋台の切れ間に細い路地を見付けた。街中にあればうっかり通り過ぎてしまいそうなこの道こそが、映画などでも有名なあの「石の階段」だ。
 ひしめいていた店が途切れ、長い石段が山の中腹までずらりと続く。赤い提灯が道の両脇をかざり、急斜面には張り出るように「茶藝館」と呼ばれる台湾茶の店が建ちならんでいた。
 さほど広くない石の階段は、向こうの海まで続いているように見えて、僅かにうねりながら下へと続く。三人並ぶと窮屈な石段を、ひっきりなしに人が行き来していた。こちらでカメラを構える親子もいれば、あちらでは地面にイーゼルをたて絵を描いている人も居た。それに混じって時折猫も行き来する。首輪をしていない彼らは忙しない往来を横目にくつろぎ、顔を洗う。優雅に寝転ぶ猫の脇を通り、私はゆっくりと階段を下った。
 昼を過ぎると、石段にはいっそう人があふれた。カメラを構えるのもままならない混雑を避けて、目についた茶藝館に入る。趣のある木造の店内はアンティークを思わせる間仕切りで区切られており、心地よい風を通す造りになっていた。
 席にある囲炉裏形のコンロを使い、目の前で湯を湧かすのがこの店の淹れ方らしい。見慣れない茶具が運ばれてくるが、店員が日本語で丁寧に淹れ方を教えてくれた。一煎めはやってもらい、二煎めから見よう見まねで淹れてみる。沢山種類のある中から私が選んだのは、東方美人茶だ。ふくよかな香りと口に含むとひろがる甘さの印象的な、すっきりとしたお茶で、疲れた体にじわりとしみこむようだった。レトロな扇風機が空気をかきまぜる店内は、表の喧噪とは別の時間が流れているようで、ひどく居心地が良い。
 ふわあ、とさっき石段で見かけた猫のような欠伸をひとつ。待ち合わせまでは少し早いことだし、しばらくここで一服させて頂こう。鉄瓶で湧く湯の音を楽しみながら、私は三煎めを茶碗に注いだ。たちのぼる茶の香りは甘く、じわりとしみ入るようだった。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA