魂に背く出版はしない 第1回 渡辺浩章

 世の中に、出版社は星の数ほどあります。いわゆる五大出版社を除けば、あとは小さな出版社がひしめいているのが出版業界です。
 そんななか、本当にごく小さな出版社さん、敢えて地方である九州でがんばっている出版社さんに、今この時代に出版社をやっていることの意味を、是非とも語っていただきたいな、と思い立ちました。
 トップバッターで登場してくださったのは、福岡出身の渡辺浩章さん。やわらかい物腰の渡辺さんは、いたずらっぽく目を輝かせて、伽鹿舎を応援するよと言ってくださいました。その渡辺さんに、お忙しい中、お願いしてコラムを執筆していただきます。
「100年後に残る本を」と、しっかりした目で選び抜いた本を出版する「鉄筆」さんの物語、ぜひ、堪能してください。(加地 葉)

 
 
第1回 カネに魂を売るな
 
 誰にでもありえることだと思いますが、半世紀余りの人生の中で、私にもいくつかの運命的な出会いがありました。それらはすべて、[tcy]50[/tcy]歳を目前にして小さな出版社「鉄筆」を起ち上げたことに強く影響を及ぼしています。
 ですから、「何故出版社をやろうと思ったのか、出版社とはなんだと思っているか」についてお話しするには、私が運命的に巡り会い、影響を受けた人たちについて語ることを避けて通れないのだろうなと思っています。
 また、「どのような本をつくりたいのか」という問いに対しても同様です。創業して最初の仕事が鉄筆文庫の創刊となったいきさつや、「魂に背く出版はしない」という奇妙な社是を掲げた理由などについて説明しようとすれば、やはり、先に述べたような人たちとの出会いについてお話しするのがもっとも分かりやすかろうと考えている次第です。
 今回、小さな出版社・在九州の出版社によるコラム用に原稿を書け、と加地さんに熱心に誘われましたので、私は在九州ではないけれども福岡出身者であるし、確かに弱小出版社を経営してもいるので、加地さんの期待に応えられるようなものを書けるかどうかは分かりませんが、与えられたテーマにできるだけ沿った内容になるようにこれから執筆していきたいと思います。
 
 私が出会った運命の人たちは、みな奇妙な人たちでした。そして、私が最初に出会った奇妙な人は、私の父です。
 私は1964年に北海道の札幌で生まれ、翌年には父の転勤に伴い福島に移住しました。ですからもの心ついた土地は福島です。社宅の庭先には犬小屋があり、私は縁側に座って犬に向かい何かものを投げつけたり、話しかけたりした記憶が残っています。父の運転する車の後部座席に座って毎日のように郊外へ出かけては、野山を駆け回っていました。昭和[tcy]40[/tcy]年代の福島は、私の記憶では相当な田舎でした。そして父は、平日の日中に会社を抜けだして子どもと遊んでいたのです。
 父にとっては、夜の酒場こそが仕事の主戦場でした。父は生命保険会社の営業職であり転勤族でした。福島に異動した時には[tcy]30[/tcy]代後半で、日本各地の営業所を相当渡り歩いていたようです。行く先々の酒場で挌闘した結果として、これまた相応のつけが溜まっていたそうです。
 父は[tcy]40[/tcy]歳目前にして、突然会社を辞めてしまいました。会社の方針に納得できず、上司に反発した結果なのだそうです。とても潔い話に聞こえますが、その後の生活の保証はまったくありませんでした。しかも飲み屋のつけは大量に残ったままでした。
 無計画のままに夜行列車に飛び乗って、一家で東京に移動をしました。巻き込まれた妻子を憐れに思った父の大学の先輩が、自分の会社の社宅を住処として提供してくれたそうです。そのような状況下にもかかわらず、父は突如、母校の大学ラグビー部の監督を始めます。仕事はどうしたかというと、周囲のすすめもあり、保険の代理店を開業しました。当時としてはまだ珍しかった代理店業ですが、多くの仲間の協力もあって、いつのまにか親子5人が暮らせるほどには成長しました。しかし、それでもまだ飲み屋のつけは大量に残っています。これをどうするか、それも問題でした。
 父は福岡の唐人町というところで生まれ育ち、高校卒業までを地元で過ごしました。幼馴染の中には地元の名士も大勢います。そこから自然に知恵も集まり、開発中の宅地を購入して、金融機関から購入資金を借り、その一部をつけの支払いにあてる、という方法が父に提案されました。父は実践します。そして、すべては解決、解消されました。
 そんな父がよく口にしていた言葉があります。
「金の力に負けるな」
「金に魂を売るな」
 お金に執着しすぎてはいけない。お金の誘惑に負けてはいけない。金儲けの誘惑に負けて人間として大事なことを見失ってはいけない。お金なんかに人生を左右される男になってはいけない。事あるごとに父は息子につぶやき続けました。
 私が[tcy]50[/tcy]歳を目前に大手出版社を辞める決意を固めた際には、打算なく突然会社を辞めた父の行動と、このお金に対する父の姿勢とが、もっとも参考になりました。多くのひとから無謀と言われながらも会社を辞めて独立する私に最も影響を与え続けた人物は、奇妙な私の父なのでした。(つづく)

 
画:井上よう子「希望の光」
 

【鉄筆の本】

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