魂に背く出版はしない 第3回 渡辺浩章

第3回 人類のためだ。

 
 今、7月[tcy]30[/tcy]日発売予定の、単行本の編集作業に没頭しています。『人類のためだ。』というのが本のタイトルで、著者はスポーツライターの藤島大さん(以下、大(だい)さん)。ラグビーエッセー選集です。
 第1章は「反戦とスポーツ」。冒頭エッセーの書き出しはこうです。
「夏、スポーツと平和を考える。スポーツをすれば平和が訪れるのか。そんなに甘くはない。」――「体を張った平和論」より。
 ナンバー、ラグビーマガジン、東京(中日) 新聞、J―SPORTS HP、スズキスポーツHPなどで[tcy]30[/tcy]年余り執筆し続けてきたコラムやエッセーのなかから[tcy]50[/tcy]篇を選りすぐり、一冊の思想書としてまとめ上げました。
 果たして、スポーツことにラグビーを観点とした反戦論は成立するのか。私が編集者として挑んだその成果については、ぜひ『人類のためだ。』を読んで確認していただきたいと思います。
 
 鉄筆社を起ち上げ、この本を刊行することもまた、私にとって必然でした。このテーマは、連載3回目にしてすでに命題になりつつあります。
 大さんとの出会いは[tcy]32[/tcy]年前。[tcy]18[/tcy]歳、私は福岡の修猷館高校を卒業し、早稲田大学に入学しました。大さんは、私が門を叩いた、早稲田大学ラグビー部の先輩でした。
 文学部5年生。4年のシーズン終了後は現役を退き、残された単位を拾う学業の傍ら、週刊誌の専属ライターとして活躍していました。卒業後はスポーツ新聞社に入社、退社後はフリーで執筆しながら、都立国立高校や早稲田ラグビー部のコーチもしています。筋金入りのラグビーマンです。
 大さんは、よく飲み、よく語る人です。私の大学入学早々から、現在に至るまでも、酒場の議論といえば、その中心人物は大さんです。大さんの記事を読み、飲んで、語って、多くのことを学びました。
「東大は真剣勝負のラグビーをすべきだ。人類のためだ。」
「われわれは戦争をしないために、戦争をさせないために、ラグビーをするのだ。」
「ラグビーをすれば、大人のズルや、きたないことが分かる人間になれる。目の前に積まれた大金を拒める人間になるために、ラグビーをするのだ。」
 こんなこと断言するスポーツライター、滅多にいません。(大さんは必ず断言します。)
 私が、名付け親の野口定男先生(前回紹介) から「新聞記者になれ!」と言われたにもかかわらず、出版社(光文社) に就職した理由の一つは、大さんの次の言葉があったからです。
「新聞は自由に書けない。」
 大さんの実体験を経たこの言葉は、私の進路に強く影響を及ぼしました。(実際は、出版社ですらも自由は消滅しつつあります。)
 
 これは、ずいぶん後になって知ったことですが、大さんの父親と私の父(第1回で紹介) は福岡の唐人町という海辺の町(当時) で共に育ち、家も近く幼馴染? だったのだそうです。そして二人とも、修猷館高校に進学し、ラグビーを覚えました(同級ではありません。) 高校卒業後は、大さんの父親は早稲田へ、私の父は立教へ。最上級生の時には両者ともラグビー部主将を務め、「早稲田には一度も勝てなかった」と酔うたび必ず悔しがる私の父は、大さんの父親に嫉妬し続ける人生を送ってきました。
 大学卒業後、大さんの父親は共同通信社に勤め、早稲田ラグビーの監督就任時には日本一を達成しています。私の父親は保険会社勤務を捨てて独立し、突如、立教大学ラグビー部監督となり「明治には勝った」というのが自慢です。とくに対照的でもない二人なのでこれ以上のエピソードは記しませんが、その息子たちが今、出版業界で共同作業を始めたことは、当事者の私にとって、とても感慨深いものがあります。
 出版社にももはや自由は存在しないと見切りをつけ、自由を求めて独立し、いよいよ大さんの本を編集し、出版する……。
 これは、必然なのだ、と。(つづく)

 

【鉄筆の本】

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