魂に背く出版はしない 第5回 渡辺浩章

第5回 独考独航
 
りかからず」
 詩人の茨木のり子さんが残した言葉です。
 

もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない
もはや
できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや
できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくない
ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある
倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ
(詩集『倚りかからず』筑摩書房刊より)

 

 かつて、茨木さんは早稲田大学ラグビー部のグラウンド近くに住んでいたと聞いたことがあります。だからなのか、少なくはないラグビー部員が、茨木さんの詩に接して、なにかしら影響を受けた時期がありました。私も学生時代に茨木さんの多くの詩を読み、感化された経験があります。
 
「独考独航」
 好きな言葉です。こちらは、作家の辺見庸さんが、サイン会で著書にサインをするときによく書かれていたメッセージです。
 独りきりで考え、独りでわたり歩く。私とは、人間とは、いったい何者であるのか。私の存在する世界とは、いったい何なのか。誰にも寄りかからず、独りきりで、どこまでも深く考え、生きていくほかに道はない、という覚悟の語でしょう。
 
 辺見庸さんとは、私が週刊誌の編集者時代に知り会いました。1996年3月、前年末に刊行された小説集『ゆで卵』の著者インタビューでした。
 1995年、1月[tcy]17[/tcy]日未明(午前5時[tcy]46[/tcy]分[tcy]52[/tcy]秒)に阪神・淡路大震災発生。同年3月[tcy]20[/tcy]日午前8時、地下鉄サリン事件発生。事件に遭遇した辺見さんは、当時は共同通信社に勤務、独考独航ののちに小説「ゆで卵」を発表しました。以下、インタビュー記事を抜粋。

<仕事場近くで地下鉄サリン事件に出くわす。「座り込んでいる人もいたけれどいつも通り機械的に会社へと行進している人たちもいて」テレビはバタバタ倒れる被害者たちなど分かりやすい風景しか映そうとしない。
「水槽に真っ赤な熱帯魚がひらひら泳いでいる前でへたっている人と通勤客と。異様だったな。俺だったらあの光景を撮るな」
 どんな大事件も報道されるなかで脚色されたり作りものになり、消費されていく。むしろ、〝俺〟が過ごした「食って飲んでヤッてタレて寝る」一日のひとつとして3月20日を描いた。生きてゆで卵を食べる〝俺〟とそのにおい・味が呼びおこす死の記憶。五感で受けた刺激を言葉にしたぶん、リアルだ。それにしてもベストセラーになった『もの食う人びと』の硬派な印象とは違って……助平ですね。
「人間って単層だけから成ってるんじゃないから、ね」。初めて、ニヤリ、と笑った。>
(「週刊宝石」より)

 鉄筆文庫で復刻した『反逆する風景』の精神そのままに、助平な週刊誌のインタビューに快く応じてくださいました。(『反逆する風景』は、当時も今も、私にとってバイブルです。)
 日記を繰ると、取材当日は「辺見氏取材、六本木カラオケ→ゴールデンガイ 朝まで」と記されています。辺見さんはとにかく酒が強かった。ラグビー部で胃袋も鍛えていたはずの私は、ついていくのがやっとでした。以後、おもにゴールデン街の酒場で、何度かお話を伺う機会を得ました。
 辺見さんは早稲田大学の先輩ですが、早稲田の先輩後輩の付き合いを、縦横斜めほとんどすべての繋がりを嫌っていた風に感じました。
 学生運動が盛んだったころ、辺見さんも少しは運動に参加した季節があったそうです。あるとき大学は、体育会の運動部員を駆り出して、デモ活動を行う学生を、大学構内から排除する動きをとりました。雇う大学も、請け負う体育会の学生も、どちらも許せなかった、と辺見さんは語っていたと記憶しています。
「でも、早稲田のラグビー部だけは違う。特別なんだよ。ラグビー部だけは、大学側のデモ排除に手を貸さなかった。だからお前とは飲む」
 そう聞いたとき、私はラグビー部の先輩たちのとった態度に共感し、ラグビー精神の意義をあらためて認識しました。
 そして、群をなして行動することをよしとせず、独り体制に抗う自由を追求することと、個人の自由を尊重し、何事にも寛容であろうとするラグビー精神とは、深い部分で結ばれている気がします。
 その後、辺見さんとは飲む機会はあっても仕事をする機会は数えるほどしかありませんでした。にもかかわらず、私が光文社退職を決意した時には、白石一文さん同様、熱く応援してくださいました。
 出版社・鉄筆は、鉄筆文庫の創刊からスタートしましたが、初の単行本は、辺見さんの『霧の犬』です。「鉄筆社創立記念」として書下ろし小説の原稿を託されました。編集者として、これほど嬉しいことはありません。このコラムを読んでくださっている方には、一度は『霧の犬』を読んでほしい、そう切望します。
 
 初めて辺見さんとお会いした日、私は、『ゆで卵』にサイン執筆をお願いしました。そしてもちろん、私の『ゆで卵』にも、辺見さんからのメッセージは記されています。それは、「独考独航」ではなく、「どんぶらこ」。
 どっこう、どっこう。どっこどっこ。どんぶらこ……。
 私の祖先は、遠い昔、独考独航、どんぶらこっこと、大陸から海を渡って、九州に移り住んだと言い伝えられています。なんとなく、私と鉄筆社には、「どんぶらこ」のほうが似合っている気がします。(つづく)

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