空色の地図~台湾編~1「あさごはん」 久路

 夜明け前の街にぽつぽつとあかりが灯っている。それを頼りにホテルの裏道を行けば、むわんとした蒸気に乗って、ほのかに甘いような香りが漂ってきた。朝ご飯専門店が、いっせいに仕込みを始めているのだ。
 前日から水に浸してふやかした大豆を、朝の4時から機械ですりつぶし、さらに鍋にかけて煮ていく。その蒸気が漂い出て、大豆特有の甘い香りとなる。
 豆漿と呼ばれる、ここ台湾では定番の朝食だ。
 豆乳が苦手な私に、手にしたガイドブックが語りかける。台湾に来て、これを味わう事無く帰る無かれ。ええい、ならば覚悟を決めるしかない。
 塩味と、甘い豆漿を両方、それから台湾風クレープの蛋餅を。注文を終える間に、気づくと数人の客が店の前に列を作り始めていた。白み始めた空とともに、街も目覚めたかのようだ。
 豆漿の大きな鍋をかき混ぜながら、店の女性は手際よく隣の鉄板で蛋餅を焼き始めた。
 別の店員が豆漿をテーブルに置いていく。コーヒーチェーン店の一番大きなサイズよりもさらに大きなカップに入った豆漿には、うすいセロファンで蓋がされている。
 触れるとほの温く、突き刺したストローで思い切ってひとくち。
 大豆の香りがふわあと鼻腔に広がって……そう、これが苦手な原因のひとつだ、だが。
「おいしい!」
 甘い豆乳は、やわらかな大豆の風味を連れてすとんと私の胃に落ちた。身体に染み渡る味だ。滋味あふれる、という言葉を私は身をもって理解した。一口啜ると、また次が飲みたくなる。
 続いて持ってきてくれたのは塩味の豆漿だ。こちらは大きめのどんぶりに入っていて、ラー油や油條のトッピングがされている。酢が混じり、おぼろ豆腐のようにゆるく固まった豆漿を、添えられたさじで掬う。口に含むとあたたかく素朴な味が広がり、お腹がぐうと鳴った。不思議なことにこの豆漿というのは、食べるほどにお腹が空くのだ。
 ひとりで両方とも平らげた私の所へ、出来上がったばかりの蛋餅が運ばれてきた。これがまたとてつもなく美味しい。香ばしく揚げ焼きにした蛋餅は、生地のもっちりした感触と焦げてサクッとした食感とが相まって、たまらない。
「好吃(ハオチー)!」
 数少ない私の知っている北京語で『美味しい』と言うと、蛋餅を焼いていた女性がこちらを見て笑った。

魂に背く出版はしない 第1回 渡辺浩章

 世の中に、出版社は星の数ほどあります。いわゆる五大出版社を除けば、あとは小さな出版社がひしめいているのが出版業界です。
 そんななか、本当にごく小さな出版社さん、敢えて地方である九州でがんばっている出版社さんに、今この時代に出版社をやっていることの意味を、是非とも語っていただきたいな、と思い立ちました。
 トップバッターで登場してくださったのは、福岡出身の渡辺浩章さん。やわらかい物腰の渡辺さんは、いたずらっぽく目を輝かせて、伽鹿舎を応援するよと言ってくださいました。その渡辺さんに、お忙しい中、お願いしてコラムを執筆していただきます。
「100年後に残る本を」と、しっかりした目で選び抜いた本を出版する「鉄筆」さんの物語、ぜひ、堪能してください。(加地 葉)

 
 
第1回 カネに魂を売るな
 
 誰にでもありえることだと思いますが、半世紀余りの人生の中で、私にもいくつかの運命的な出会いがありました。それらはすべて、[tcy]50[/tcy]歳を目前にして小さな出版社「鉄筆」を起ち上げたことに強く影響を及ぼしています。
 ですから、「何故出版社をやろうと思ったのか、出版社とはなんだと思っているか」についてお話しするには、私が運命的に巡り会い、影響を受けた人たちについて語ることを避けて通れないのだろうなと思っています。
 また、「どのような本をつくりたいのか」という問いに対しても同様です。創業して最初の仕事が鉄筆文庫の創刊となったいきさつや、「魂に背く出版はしない」という奇妙な社是を掲げた理由などについて説明しようとすれば、やはり、先に述べたような人たちとの出会いについてお話しするのがもっとも分かりやすかろうと考えている次第です。
 今回、小さな出版社・在九州の出版社によるコラム用に原稿を書け、と加地さんに熱心に誘われましたので、私は在九州ではないけれども福岡出身者であるし、確かに弱小出版社を経営してもいるので、加地さんの期待に応えられるようなものを書けるかどうかは分かりませんが、与えられたテーマにできるだけ沿った内容になるようにこれから執筆していきたいと思います。
 
 私が出会った運命の人たちは、みな奇妙な人たちでした。そして、私が最初に出会った奇妙な人は、私の父です。
 私は1964年に北海道の札幌で生まれ、翌年には父の転勤に伴い福島に移住しました。ですからもの心ついた土地は福島です。社宅の庭先には犬小屋があり、私は縁側に座って犬に向かい何かものを投げつけたり、話しかけたりした記憶が残っています。父の運転する車の後部座席に座って毎日のように郊外へ出かけては、野山を駆け回っていました。昭和[tcy]40[/tcy]年代の福島は、私の記憶では相当な田舎でした。そして父は、平日の日中に会社を抜けだして子どもと遊んでいたのです。
 父にとっては、夜の酒場こそが仕事の主戦場でした。父は生命保険会社の営業職であり転勤族でした。福島に異動した時には[tcy]30[/tcy]代後半で、日本各地の営業所を相当渡り歩いていたようです。行く先々の酒場で挌闘した結果として、これまた相応のつけが溜まっていたそうです。
 父は[tcy]40[/tcy]歳目前にして、突然会社を辞めてしまいました。会社の方針に納得できず、上司に反発した結果なのだそうです。とても潔い話に聞こえますが、その後の生活の保証はまったくありませんでした。しかも飲み屋のつけは大量に残ったままでした。
 無計画のままに夜行列車に飛び乗って、一家で東京に移動をしました。巻き込まれた妻子を憐れに思った父の大学の先輩が、自分の会社の社宅を住処として提供してくれたそうです。そのような状況下にもかかわらず、父は突如、母校の大学ラグビー部の監督を始めます。仕事はどうしたかというと、周囲のすすめもあり、保険の代理店を開業しました。当時としてはまだ珍しかった代理店業ですが、多くの仲間の協力もあって、いつのまにか親子5人が暮らせるほどには成長しました。しかし、それでもまだ飲み屋のつけは大量に残っています。これをどうするか、それも問題でした。
 父は福岡の唐人町というところで生まれ育ち、高校卒業までを地元で過ごしました。幼馴染の中には地元の名士も大勢います。そこから自然に知恵も集まり、開発中の宅地を購入して、金融機関から購入資金を借り、その一部をつけの支払いにあてる、という方法が父に提案されました。父は実践します。そして、すべては解決、解消されました。
 そんな父がよく口にしていた言葉があります。
「金の力に負けるな」
「金に魂を売るな」
 お金に執着しすぎてはいけない。お金の誘惑に負けてはいけない。金儲けの誘惑に負けて人間として大事なことを見失ってはいけない。お金なんかに人生を左右される男になってはいけない。事あるごとに父は息子につぶやき続けました。
 私が[tcy]50[/tcy]歳を目前に大手出版社を辞める決意を固めた際には、打算なく突然会社を辞めた父の行動と、このお金に対する父の姿勢とが、もっとも参考になりました。多くのひとから無謀と言われながらも会社を辞めて独立する私に最も影響を与え続けた人物は、奇妙な私の父なのでした。(つづく)

 
画:井上よう子「希望の光」
 

【鉄筆の本】

空色の地図 ~ロンドン編~1 あさごはん 久路

 ある英国紳士がテレビで言った。「焼いたトーストはこうして立てておくんだ。熱い時にバターを塗ったりしてはいけない。溶けたバターがトーストを台無しにしてしまうからね」
 ほほう、それでロンドンで出されるトーストはどれも薄くてサクサクしているのか。

 納得した私は、翌日会った英国人の知人に「英国人は温かいトーストを食べないんだね」と言った。すると彼は憤慨したように「その人は変わっているね、バターの沁みた熱々のトーストこそが最高さ」と反論する。
 かように同じ英国人でも好みの分かれるトーストだが、ロンドンの朝食には欠かせないもののひとつだ。日本では滅多と見ないほどに薄く削がれたパンを、全体がきつね色になるまで焼く。英国にはトーストたてなるものが存在して、4等分にカットされたトーストは大抵そこに恭しく並べられている。
 バターとマーマレイドを塗って、冷めたトーストを囓る。さく、さく。乾いた音が内側から耳に響く。軽くて香ばしい。何枚でも食べられそうだ。初めてロンドンに来たときには薄さに驚いたものだが、今ではこのトーストを食べる事が旅の目的のひとつになっている。
 つけあわせには焼きトマトや、大きなマッシュルームソテーが良いだろう。焼いて甘くなったトマトは美味しくて、今でも思い出して時折作ってみる。マッシュルームはひとつでお腹がいっぱいになるほどの大きさだ。勿論スクランブルエッグだってお勧めだし、たまには趣向を変えて目玉焼きにしてもいい。イギリス式にたっぷりの油をひいたフライパンで揚げ焼きにされた目玉焼きは、白身のふちのカリカリがたまらない。となりに添えられたベイクドビーンズを一緒にフォークに乗せ頬張ると、ロンドンに来たのだと改めて実感する。独特な香りのする英国のソーセージは、実はすこし苦手。だからベーコンをお願いしたのだけど、ひときれがとても大きくて、ちょっとしたステーキみたいだ。油断するとすぐにお腹が一杯になってしまうので、ロンドンでの朝食は要注意だ。
 私は香ばしいパンを楽しみながら、砂糖をたっぷり入れたミルクティーを啜る。色とりどりの花の飾られたホテルの窓から見えるのは、通勤途中の紳士淑女だ。彼らも今朝は同じようにトーストを囓ってきたのかと思うと、すこしだけロンドンの空気にまじわれた気がする。
 さあ、完璧な朝食を食べ終えたら公園へ行こう。

神様にむかって、書くと思う ──夢枕獏(作家)

先日、作家の夢枕獏氏のトークショーに参加した。
東京駅のまん前、八重洲ブックセンターさんで行われたものだ。
夢枕獏氏を知らない、という人はめったにいないと思うのだが、それでも映画「陰陽師」の原作者であるといえば大体「ああ!」と言っていただける、そういう作家だ。
加地は夢枕獏という作家がとても好きで、トークショーがあると聞いた瞬間、参加を決めた。
これがまた、面白かったのである。

敬意を込めてこう呼ばせていただくとして、獏さんの作品というと、加地にとっては「キマイラ」が真っ先に来て(これは父が買っていたので知ったのであった。まだ続いている) 餓狼伝にせよ、伝奇や格闘技の人、という印象が強かった。エロとグロと暴力の、ほとんど生命力というものが形をとった、としか思えない物語世界が構築され、それは力強く、随分と切なく、馬鹿らしくも爽快で明るさのなかに底知れぬ闇がある、そんな物語群だった。
が、そこへ「陰陽師」が登場した。
淡々とした筆致の中に四季折々が息づいて、軽妙なやりとりと歯切れの良い文章にするりするりと読まされ、得も言われぬ術に掛かったように呆ける、不可思議で美しく妖しく怪しい愉快な小説だった。こんな風にも書ける人なのかと驚嘆したわけである。そういえば、こんな風に思った事は記憶に新しかったはずなのに、この作品もかれこれ既に三十年近く書き継がれている。

獏さんは、エンタメ作家だ。

ただ、と加地はいつも思う。
エンタメと純文学と、何がそこまで違うというのだろう。
面白い作品は面白さの種類が違うだけでどちらも面白いのである。古典と文豪と現代作家と、何が違うというのだろう。素晴らしいものは素晴らしいし、読むことの価値に軽重はない。

言ってしまえば、すべての小説は謎をはらんでいる。
作家が何を言いたいのか、何を現出せしめようとしているのか、それは絶対に読み終わるまで解けない謎だ。
だったら小説というものは全部がミステリだと、言ってしまっても嘘ではあるまい。加地は、そういう意味での広義のミステリが本当に好きだ。

実は昨年、大分のカモシカ書店の店主と呑んだ時に「現代作家とか、小説とか、読む理由がちょっとよくわからない」と言われた。哲学書や古典でいいじゃないか、ほかに何が必要だというのかと。
彼は哲学科を出ており、彼の哲学に従って古書店を営んでいる。
「すべての小説は哲学を孕むでしょう」と加地は答えた。
どんな文章も、小説でなくとも、必ず哲学を孕む。文章というものは書き手の意志で紡がれるのであり、何をどう繕ったところで、その繕ったという事実さえもが書き手の哲学を反映する。哲学のない人間は存在しないし、ぼくは哲学なんてないですよという人には哲学などないという哲学があるのだ。
現代を生き、ましてや小説を書いて何事かを世の人々に読ませたいと思う人間の書いたものはその人の哲学を反映している。だとしたら、それを一切知らないまま『哲学』を語っても、絶対に何かが足らない筈だ。
加地はそう思うから、すべての小説を、出来る限りたくさん読みたいし広めたい。

娯楽小説に、そんな大層な意義はないよ、とは、書き手さえそう言うことがある。
無論、正しい。
たとえば獏さんも、とある事実と事実を結び付けて「なんと、そんなことになっていたのか!」と発見した際に「これで小説一本書ける! 書けないわけがない。これで小説書けないとか嘘でしょう」と思ったと笑って語った。
ただただ「面白い!」と思い、思いついたことを提示したいがために書かれる小説も、もちろんあるし、それは実に面白い。
だが、それだって哲学は孕むじゃないか。書き手が意図的であるとかないとか、そんなことはどうでもいいのだ。

加地は小説が好きだ。
面白かったり深かったり悲しかったり愕然とさせられたり、感情を揺り動かす小説というものが好きだ。
だからこそ、自分でも書いてみたいと思ったし、書いていた。
加地の場合は、だがそれは読者ありきの創作だった。読んだ人が面白いと言い素晴らしかったと言い、もっと読ませてくれと言ってくれるからこそ書いていたのであって、もしも誰も読まないのなら、自分ひとりで考えて考え付いただけで楽しくてそれだけでいい。
だが、獏さんがこう言った。
「ぼくは、人生をもう一回やってもいいくらい、書くネタあるんだよ」
なるほど、ネタだけなら加地にだって多分、ある。しかし獏さんの言葉は更に続いた。

「ぼくはね、無人島でだって書きますよ。誰もいなくても、うん、神様に向かって、書くと思う」

これが作家だ、と思った。
『片隅』で、小説を掲載する際には、『作家』であることを、何より求めたいと、そう思っている。

Photo:「キロクマ」御船町の菜の花