地方再生を叫ばれる今、九州に特化した本作り、をしたりはしません

 伽鹿舎について説明しようとするとき、必ず相手が言うことがある。
「いやいや、九州だけなんて、成り立たないでしょう」
「九州の作家ったってねぇ。住んでる人はあまりいませんよ」
 もちろん、そのとおりだ。
 そして、伽鹿舎は九州の人だけに本を買ってもらおうというわけではないし、九州の作家にこだわって本をつくるわけでもない。
 
 伽鹿舎がこだわるのは「九州から発信すること」「九州の本屋さんを元気にすること」である。
 
syun 来たる10月23日。
 伽鹿舎は、書籍『片隅』を九州限定配本で刊行する。
 持ち歩いてほしいから、A5変形の小さな本にした。
 厚さは1センチ程度、30ページちょっとがカラーページだ。
 巻頭に、詩人・谷川俊太郎さんにお願いして詩を掲げさせていただいた。
 「隅っこ」
 そうタイトルが付けられた詩は、福岡の画家・田中千智さんの素晴らしい画を添えて、とても素敵に仕上がった。
 熊本が誇る天才・坂口恭平さんにも、九州芸術祭文学賞を受賞した沖縄の佐藤モニカさんにもご寄稿いただいた。
 WEB連載でおなじみになっている、いつもの作家陣にも執筆してもらった。圧巻は元お笑いコンビ・キリングセンスの萩原正人さんによる書き下ろし小説60枚だ。
 とても、良い本だと自負している。きっと、楽しんでいただけると思う。
 
 たとえば東京の出版社が、東京の作家だけを取り扱うわけはないし、東京でしか売らない、わけでもない。
 同じことを、九州でやろう、というだけのことだ。
 ただ、せっかく九州に居るのだから、九州の本屋さんにまず元気でいてほしくて、九州限定配本をするのである。
 
 九州で限定して配本されたら、九州外のひとは手に入らないじゃん。
 
 そういう人もいるかもしれない。
 だが、北海道限定のスイーツを、北海道の人しか買えないじゃん、と文句を言う人はあまり聞かない。
 北海道旅行の楽しみにしたり、お土産にしたり、注文して届けて貰ったり、北海道の友人知人に頼んで買って送って貰ったり、する。
 本だって、同じことが出来るんじゃないか、と私たちは思っている。九州で作った本だから、九州の本屋さんから買ってほしい。ただそれだけだ。そして、それだけで、本屋さんはずっと元気になれる。
 あなたが九州に旅行する、あるいは出張するときに、そうだ伽鹿舎の本が買えるなと、ちょっとだけ楽しみが増える、そんな存在になれたらいいと、そう思う。
 
 もちろん、九州の作家さんは積極的に応援していきたい。
 九州の面白いものや楽しいもの、素敵なものもご紹介したい。
 WEB片隅では特にそれに力を入れていきたいと思っているし、書籍「片隅」でだって、それは盛り込んでいく。
 「あらゆる意味で」この「ご時勢」に、本がもたらしてくれるものはもっとずっと人びとに必要とされる筈のものだ。国境線は変わらずあっても、隣国も地球の裏側さえも随分と近くなった。本が与えてくれる知恵も知識もぬくもりも厳しさも、「今」を生きる人には絶対に必要なものだ。
 東京の、出版社がひしめく場所の匂いや空気の中でセレクトされ編まれて送り出される本と、地方でセレクトされ編まれて送り出される本は、少しずつ違っているだろう。それこそが、その「土地」の強味だ。
 
 九州から、みなさんへ。
 ここから何をお届けするのか、どうか楽しみにしてください。

『片隅は、そこに立てば中心になる』

 

書籍『片隅』
2015年10月23日刊行
A5変形・フルカラーカバー・本文128頁
定価:税込1,000円
九州限定配本 ISBN 978-4-908543-01-2
取扱取次:熊本ネット
九州外への通販受付書店 キルプ書房(阿蘇)
※キルプ書房さんによる通販予約受付を近日中に当サイトで開始します。今しばらくお待ちください。

 
※九州外の方への通販を行うことが出来る書店さんは受付方法と共に是非当舎にお知らせください。当サイトでご紹介させていただきます。
 katasumi*kaji-ka.jp まで(*を@に変えて送付してください)

空色の地図 ~ロンドン編~5 バラマーケット 久路

 ロンドンでおいしいものを食べるにはどうすればいい? と尋ねられる事がある。必ず「バラマーケットに行くといいよ」と答える。木曜日から土曜日のみの営業だが、もしも日程があえば是非、と勧めるのだ。
 250年以上もの歴史を持つこのマーケットは、地下鉄に乗りロンドンブリッジ駅を降りてすぐの場所にある。バラハイストリートを道なりに曲がれば、緑色の屋根に覆われた市場を見付けることもできるが、私はサザワーク大聖堂横の、細い路地を入ることが多い。ここに美味しい屋台(ストール) があるからだ。
 [tcy]12[/tcy]時を過ぎると行列のできるこの屋台も、開店直後ならばじっくりと見る事が出来る。大きな鉄板には肉やソーセージが所狭しと並べられ、香ばしいにおいに誘われてふらふらと近づくと、すかさず「おひとつどう? うちのは美味いよ」と声がかかる。ひとつください、と言うと「ひとつだけでいいの?」と茶目っ気たっぷりの店員さん。答えるようにお腹がぐうと鳴るがここで譲るわけにはいかない。「ひとつだけ」とつつましく答えて小さな紙皿を受け取るのが正解だ。
 路地を抜けてサザワーク大聖堂の壁沿いに曲がると、屋台のひしめき合うマーケットに出る。開店してすぐだというのに、観光客や地元の人ですでに混雑していた。手にしたソーセージを囓りながら、のんびりと歩く。
 手作りの焼き菓子やケーキ、オーガニックの蜂蜜や瓶詰めのピクルス。もちろん魚や肉、新鮮な野菜の屋台も多い。だが私の目当てはローストビーフをたっぷり挟んだサンドイッチだ。
 文字通り山と積み上げられたチョコレートの脇をすり抜け、5人ほどの列に並んだ。
 ロンドン名物ソルトビーフサンドも捨てがたいが、手にしたたるほどのグレイビーソースと、盛大にはみ出したローストビーフのサンドイッチを受け取る客の姿を見ると、もう他の選択肢はなかった。
 順序よく並んだ列がすすみ、私の番がやってくる。素早くパンをカットする青年に「ローストビーフサンドイッチひとつ」と告げると、彼は無造作にローストビーフをパンに押し込んだ。肉の欠片が落ちるが、気にした風もない。ぎゅうぎゅうと音がしそうなほど詰め込まれた肉の塊に、これまたたっぷりとソースをかける。クレソンとホースラディッシュをのせて紙ナプキンで包むとできあがり。手早さに感心しながら代金を支払うと、もう彼は次の客の注文をとっていた。
 屋台の傍らに設えられたテーブルで、がぶりとひとくち。口いっぱいにローストビーフを頬張るこの瞬間、つかの間のロンドナーの気分を味わう事ができるのだ。

魂に背く出版はしない 第4回 渡辺浩章

第4回 闘争の倫理

  
 私の人生に強く影響を及ぼした奇妙な人たち。藤島大さん(以下・大さん) に続いて今回ご紹介するのも、早稲田大学ラグビー部の先輩たちです。大さんと作った単行本『人類のためだ。』も、元を辿れば早稲田ラグビーが発生源です。
 そもそも私が早稲田のラグビーを志向するようになったのは、大学対抗・早明戦をNHKの生放送で観戦したのがきっかけです。1981年12月6日。いまはなき国立競技場には6万人を超える観衆が集まりました。戦前の予想は「明治絶対有利」。平均体重で[tcy]10[/tcy]キロも体格差のある明治“重戦車” フォワードを相手に、早稲田の小さなフォワードは[tcy]80[/tcy]分間ひるまず戦い抜いて、見事な勝利を収めました。私が高校2年の冬の出来事でした。
 [tcy]10[/tcy]年に一度あるかどうかの番狂わせ。その真剣勝負を目撃してしまった多くの若者が、瞬時に心臓を鷲掴みにされ、口々に感動を叫びました。しかし、私が強烈に惹かれたのは、グラウンドに立っていた[tcy]30[/tcy]人の選手のなかの、「ただ一人の男」の存在でした。
 まるで修行僧のような風貌。破天荒すぎるプレーに、私は目を奪われ、仰天し、驚愕して、どうにも惹きつけられてしまったのです。背番号は7、私と同じ「フランカー」というポジション。フォワードの一員でした。
 渡邉隆さん、愛称は「ドス」さん。福島の高校時代にラグビー経験はなく、大学入学からラグビーを始め、4年生の秋になってレギュラーの座を摑み取ったという異色の経歴の持ち主です。
 [tcy]80[/tcy]分間走りに走り、攻撃では味方を助け、守備においてはチームの先頭に立って敵へとタックルに向かう、それがフランカーです。
 早明戦における「ドス」さんの異形を今でも忘れることができません。明治FWに顔面からタックルする姿は、小獣が巨熊に飛びつき襲いかかるかのようなスタイル。早稲田にはこんなラグビー選手がいるのか。こんなプレイヤーを輩出する早稲田ラグビーとは、いったいどのようなクラブなのか。探求心が突如、芽生えてしまったのです。
 大学は慶應でラグビーを、と思っていた私は、あっさりと進路を早稲田に変更。入学してすぐラグビー部に入部すると、異形のフランカー「ドス」さんを生んだ名指導者の存在を自分の目で確認しました。大西鐵之祐(てつのすけ) 先生です(故人)。ラグビー日本代表監督として数多の偉業を成し遂げた勝負師であり、もちろん、1981年の早明戦当時の監督です。
 ところが、私の在学中には大学教授でありながら監督・コーチの立場にはなく、大病を患っていたこともあり、大西先生から直接指導を受けることはできませんでした。
 私は違和感を覚えました。私の人生を一変させた、あの修行僧にして獣のような男「ドス」さんを生んだ早稲田ラグビーで過ごす日常は、想像とはほど遠いものでした。4年時には大学選手権準優勝、日本一まであと一歩という成績も挙げました。けれども、[tcy]81[/tcy]年のあの冬の一日に直感した、何かある、というその何かを体得することは叶いませんでした。私は途方にくれました。
 ラグビーのゲームは、そこに至るまでの訓練の日々も試合も、すべてが苛酷であり、残酷です。過酷さ、残酷さゆえに、人はラグビーの本質を見失いがちです。私も見失っていました。また、技術の取得や体力向上の日々、仲間たちとのレギュラー争いに明け暮れ、夢中になり、レギュラーとなっても勝負の駆け引きに溺れ、酔いしれてばかりいました。
 ラグビーの本質とはなにか。人間はなぜラグビーをするのか。ラグビーが人間に問いかけているものはなにか。早稲田に行けばその問いに対するヒントを得られるのではないか。そのような思考に先導されて進んだ道で、私は迷子になっていたのです。
 では、早稲田ラグビーで過ごした4年間に意味は無かったのか? そうではありません。1987年、私が現役生活に一区切りをつけて5年生となった春に、大西先生は『闘争の倫理 スポーツの本源を問う』というスポーツ哲学書を刊行しました。大さんの強いすすめもあり、読みました。またもや感動しました。
「無意味な戦争に血を流すのなら、現在の貴重な平和を守るために命がけで戦う覚悟が必要であろう。」
 そのようにまえがきで述べてから、スポーツの、本物の闘争の最中に、フェアなプレーを自ら選択することのできる人間を、スポーツを通して育成するのだ、と熱く語っています。ジャスティスよりもフェアネス。ルール上は合法であっても汚いプレーをしない。真剣勝負の極限の状況下でズルをしない。倒れている相手選手を蹴飛ばしてでも勝ちたいというときに、ちょっと待てよと、自分の意思でいいほうに選択していくことができる人間を育てる。その修練の場として、スポーツという闘争の場が必要であると説くのです。
 そのためには日々どうあるべきか。「闘争の倫理」を取得する目的は何か。私が見失っていた道が、『闘争の倫理』一冊のなかに、すっかり記されていたのです。出版社は二玄社。1999年に中央公論新社が復刻するも、また絶版に。
 2015年9月、『闘争の倫理』を鉄筆文庫として復刻します。この作業もまた、私にとって必然なのです。(つづく)

【鉄筆の本】

空色の地図 ~台湾編~4 公園 久路

 容赦なく照りつける太陽の下、建物の影を踏んで歩く。首筋を伝う汗も一向に涼を運んではくれない。じっとりと肌にまとわりつく空気の重さすら感じる台湾の夏は、暑さが苦手な私にとって厳しい季節だ。
 向かいの屋台で買ったレモンジュースを頬に押し当てる。受け取ったばかりのプラスチックカップに、びっしりとまとわりついた結露が顔を濡らした。スライスしたスターフルーツが目にも涼しい一杯を啜ると、ようやく息が出来るような気がする。
 永康街、と呼ばれる観光地に位置するこの公園は、こぢんまりとした三角形をしている。台湾の公園にしてはめずらしく、すべり台などの遊具があり、子供たちが走り回っていた。彼らにとってこの暑さは日常なのだ。一方私は日差しを遮る木陰を探して身を潜めるようにしながら、カップの中身を吸い上げる。てのひら以外の全部が暑い。
 永康街を歩く観光客は、殆どが公園の横を通り過ぎるだけで、設えられたベンチに腰掛ける人は少ない。付箋の貼られたガイドブックを手にめあての店へ向かう人の流れを眺めながら、カップの底に残ったジュースを飲み干した。
 台北には大小とりまぜて公園がいくつもある。とりわけ私が良く通るのが林森公園だ。台北の中心部、中山駅から東へ歩いて5分ほどすると左手に大きなガジュマルの木が見えてくる。台湾の公園でよく目にする『気根』と呼ばれる根を枝から地上へと長く伸ばし、太い幹にぎっしりと葉を茂らせたその姿は、私の知る観賞用のガジュマルからはかけはなれている。気根は土にもぐり、やがてその表面を幹と同じような樹皮が覆う。まるで無数の幹が絡まりあい、天へと手を伸ばしてくかのようだ。
 私が林森公園を訪れるのは、たいていが朝早くか夕暮れ時だ。朝は設置されたレンタルサイクルを借りるため、夕暮れ時は散歩にくる犬を眺めるのが楽しい。
 今朝は少し離れた早餐店(朝ご飯専門店)へ行くために、林森公園の入り口にあるレンタルサイクルステーションを訪れた。黄色い自転車を引き出しながらふと見ると、ガジュマルの下、木のベンチに年配の男性がふたり腰掛けている。友人同士なのだろうか、まだ朝の7時前だというのに、すっきりとした表情でなにやら楽しげに見えた。声高に交わされる中国語を聞き取るだけの力はまだ私にはなくて、次いでおきた笑い声を背に自転車にまたがる。
 気根を長く垂らしたガジュマルを横目にペダルを踏み込む。生い茂る葉の下に濃い影を落とすこの木は、うだるような台湾の夏を謳歌しているように思えた。

空色の地図 ~ロンドン編~4 公園 久路

 高い柵の向こう、白くそびえるバッキンガム宮殿は美しく、濃い青を溶かした空に国旗がはためいていた。
 立ち止まり見上げていると、道の向こうからジョガーがやってきた。短パンにランニングシャツ。ひとまとめにした金髪をゆらし軽快なリズムを刻みながら、すれ違いざまにふわりと風を残していった。
 日中は観光客でごったがえすバッキンガム宮殿も、早朝は閑散としていて、その広さばかりが目につく。正確には、バッキンガム宮殿の正面を通る車道の「ザ・マル」を隔てた北側は「グリーンパーク」で、黄金に輝くヴィクトリア記念碑の向こうが「セントジェームズパーク」だ。グリーンパークは大きな敷地のほとんどが芝生で、運が良ければ木から木へと伝い走るリスを見る事が出来る。茶色いしっぽを膨らませて軽快に駈ける姿は愛らしく、時折立ち上がってあたりを見渡す仕草なども観光客に人気だ。7月に入り、日中は半袖でちょうどいい気候だが、朝夕は羽織る物がなければ肌寒い。湿度も低くからりと晴れの日が続くロンドンの夏は、暑さが苦手な私にとって世界一過ごしやすい夏だ。
 ホテルから歩いて5分ほどのこの公園を、ゆっくり散歩するのは帰国する今日が初めてだった。昼前には発たなくてはならず、残された数時間をどう過ごそうかと悩んで思い出したのが、昨日レンタルサイクルで通りがかったこの公園だった。ツアーガイドの説明を聞きながら、時間を取れたらゆっくり散策してみたいと思っていたのだ。
 初夏から初秋にかけて、ロンドナーはこぞって公園で日光浴を楽しむ。ハイドパークをはじめに「スクエア」「ガーデン」などと呼ばれる小さな公園まで、ロンドンには無数の公園が存在する。夏場、それらの公園には有料のチェアが設置されるのだそうだ。うっかり腰掛けると料金をとられてしまうから気をつけて、とツアーガイドのエリーも言っていた。お金を払ってでも陽を浴びたいというのは、日本に比べ緯度の高い英国ならではの光景だろう。だがさすがに時間が早いためか、見かけるのはジョガーか通勤途中の会社員ばかりだ。
 毎朝バッキンガム宮殿を横目に通勤するのはどんな気分だろう、と考えながら緩やかに曲がる小径を行く。点々と並ぶベンチを横目に、私は本を持ってこなかった事を後悔した。
 名前は分からないが、おおぶりの枝をいっぱいに広げた木の下、ほどよい木陰で本を読んだなら、素晴らしく気持ちが良いに違いない。数日しかないロンドンでの滞在で、ただ公園で本を読むというのは、なんという贅沢な時間だろうか。首の後ろのうぶ毛が逆立つくらい、最高の思いつきだ。
 よし、次は文庫本を携えて来ようと心に誓う視界の隅っこを、2頭のレトリーバーが駈けていった。飼い主の投げたボールを取りに行ったようだ。鋭い指笛が高い空に響き、犬たちは跳ねるように大地を蹴った。

魂に背く出版はしない 第3回 渡辺浩章

第3回 人類のためだ。

 
 今、7月[tcy]30[/tcy]日発売予定の、単行本の編集作業に没頭しています。『人類のためだ。』というのが本のタイトルで、著者はスポーツライターの藤島大さん(以下、大(だい)さん)。ラグビーエッセー選集です。
 第1章は「反戦とスポーツ」。冒頭エッセーの書き出しはこうです。
「夏、スポーツと平和を考える。スポーツをすれば平和が訪れるのか。そんなに甘くはない。」――「体を張った平和論」より。
 ナンバー、ラグビーマガジン、東京(中日) 新聞、J―SPORTS HP、スズキスポーツHPなどで[tcy]30[/tcy]年余り執筆し続けてきたコラムやエッセーのなかから[tcy]50[/tcy]篇を選りすぐり、一冊の思想書としてまとめ上げました。
 果たして、スポーツことにラグビーを観点とした反戦論は成立するのか。私が編集者として挑んだその成果については、ぜひ『人類のためだ。』を読んで確認していただきたいと思います。
 
 鉄筆社を起ち上げ、この本を刊行することもまた、私にとって必然でした。このテーマは、連載3回目にしてすでに命題になりつつあります。
 大さんとの出会いは[tcy]32[/tcy]年前。[tcy]18[/tcy]歳、私は福岡の修猷館高校を卒業し、早稲田大学に入学しました。大さんは、私が門を叩いた、早稲田大学ラグビー部の先輩でした。
 文学部5年生。4年のシーズン終了後は現役を退き、残された単位を拾う学業の傍ら、週刊誌の専属ライターとして活躍していました。卒業後はスポーツ新聞社に入社、退社後はフリーで執筆しながら、都立国立高校や早稲田ラグビー部のコーチもしています。筋金入りのラグビーマンです。
 大さんは、よく飲み、よく語る人です。私の大学入学早々から、現在に至るまでも、酒場の議論といえば、その中心人物は大さんです。大さんの記事を読み、飲んで、語って、多くのことを学びました。
「東大は真剣勝負のラグビーをすべきだ。人類のためだ。」
「われわれは戦争をしないために、戦争をさせないために、ラグビーをするのだ。」
「ラグビーをすれば、大人のズルや、きたないことが分かる人間になれる。目の前に積まれた大金を拒める人間になるために、ラグビーをするのだ。」
 こんなこと断言するスポーツライター、滅多にいません。(大さんは必ず断言します。)
 私が、名付け親の野口定男先生(前回紹介) から「新聞記者になれ!」と言われたにもかかわらず、出版社(光文社) に就職した理由の一つは、大さんの次の言葉があったからです。
「新聞は自由に書けない。」
 大さんの実体験を経たこの言葉は、私の進路に強く影響を及ぼしました。(実際は、出版社ですらも自由は消滅しつつあります。)
 
 これは、ずいぶん後になって知ったことですが、大さんの父親と私の父(第1回で紹介) は福岡の唐人町という海辺の町(当時) で共に育ち、家も近く幼馴染? だったのだそうです。そして二人とも、修猷館高校に進学し、ラグビーを覚えました(同級ではありません。) 高校卒業後は、大さんの父親は早稲田へ、私の父は立教へ。最上級生の時には両者ともラグビー部主将を務め、「早稲田には一度も勝てなかった」と酔うたび必ず悔しがる私の父は、大さんの父親に嫉妬し続ける人生を送ってきました。
 大学卒業後、大さんの父親は共同通信社に勤め、早稲田ラグビーの監督就任時には日本一を達成しています。私の父親は保険会社勤務を捨てて独立し、突如、立教大学ラグビー部監督となり「明治には勝った」というのが自慢です。とくに対照的でもない二人なのでこれ以上のエピソードは記しませんが、その息子たちが今、出版業界で共同作業を始めたことは、当事者の私にとって、とても感慨深いものがあります。
 出版社にももはや自由は存在しないと見切りをつけ、自由を求めて独立し、いよいよ大さんの本を編集し、出版する……。
 これは、必然なのだ、と。(つづく)

 

【鉄筆の本】

空色の地図 ~台湾編~3 スーパーマーケット 久路

 ドラゴンフルーツにライチ、パイナップルやスイカ。台湾のスーパーは南国フルーツの宝庫だ。とりわけマンゴーに目がない私は、夏場に訪れる台湾でフルーツを買い込むのがお決まりだ。
 日本では高価なマンゴーも、ここ台湾ではびっくりするほど安価で手に入れられる。スーパーに入ってカゴを手にすると、私は一目散に果物売り場へ向かった。
 台湾愛文芒果(アップルマンゴー) が盛られた篭の値札には「79元(日本円で300円程度)」と書かれている。ひとつではない。ふたつでこの値段だ。安い。日本での価格を考えると、信じられないくらいに安い。オレンジ色の皮がほのかに赤く色づいて、表面は粉を吹いたように白いが、これは「ブルーム」と言って甘い証拠だ。
 マンゴーの濃厚な香りがただよう中、私は品定めを始めた。
 地元の人などはおそらくまだ熟れ切っていないものを買いおいて、熟してから食べるのだろうが、私はこれからホテルに持ち帰りすぐに食べるつもりだ。
「美味しいマンゴーをおなかいっぱい食べる」という夢が、ここ台湾においては比較的容易に実現する。
 完熟のものを探すべく、ひとつひとつを取り上げては裏返し、マンゴーの「おしり」を確認する。蜜がしみ出していて、持つと少し手がべたべたするくらいがちょうど食べ頃だ。
 甘い香りが強く、指がべたつきずしりと重みを伝えてくるマンゴーを選んで、カゴに入れる。
 本当なら5つくらい買って食べたい所だが、ここ台湾で美味しいのは、マンゴーだけではない。今晩の食事の為にも胃袋のスペースを空けておかなくては。なに、また明日も買いに来ればいいだけだ。ゆるむ頬を引き締めて、私は次の棚へ足を向けた。
 インスタント麺の並ぶ棚はカラフルだった。オレンジに緑、赤。キッチュなデザインのキャラクタが描かれたパッケージを手に取り、私は表面の漢字に目を走らせる。言葉は分からずとも、字を見ればなんの味かおよその見当がつく。牛肉麺や排骨味。日本では見たことのない字面に心が躍る。
 家に帰って作った時、独特の香辛料が台所にたちこめるのだろう。その香りに包まれて台湾を思う瞬間を、私は「おまけの旅」と勝手に呼んでいる。
 どんな旅でも、終わりに近づくにつれ、物寂しいようなじりじりとした思いにとらわれるのは、きっと誰も同じだ。帰国の前日、スーツケースに荷物を詰めながら、再び訪れる「日常」の影に少しだけため息をつく。でもそんな時には「おまけの旅」があるさ、と自分に言い聞かせるのだ。「おまけの旅」の中で私は、このスーパーの棚で逡巡した事を思い出すだろう。マンゴーの品定めをしたこともまた、鮮やかによみがえる。そうしてまた次の旅行の計画をたてればいい。
 次の旅のまたその次も。きっと私はこうしてスーパーの棚の前にいるのだろう。

空色の地図 ~ロンドン編~3 スーパーマーケット 久路

 見慣れないパッケージが一面に飾られた棚の前で、立ったりしゃがんだりを繰り返してもう半刻になるだろうか。焦れた家族が「決まった?」と話しかけてもなお、私はぐずぐずといくつかの箱を手にとっては棚に戻すという動作を繰り返していた。
 ロンドンのスーパーに立ち寄った時、最初に向かうのが、紅茶を売っている一角だ。アッサムにキーマン、ダージリンにもちろんイングリッシュブレックファースト。紅茶のコクがストレートに味わえるうえに、ミルクとの相性がいいイングリッシュブレックファーストが気に入りではあるが、ダージリンの持ついかにも紅茶らしい香りも好きだし、ウバのさわやかな渋みも捨てがたい。
 とはいえ、銘柄や淹れ方にこだわるほど紅茶に詳しくもない私は、ティーバッグで手軽に飲める事が最優先だ。棚にならぶ半分以上がティーバッグの紅茶だということは、ロンドナーの中にも、茶葉から淹れるのは面倒だと考える人が多いのだろう。
 これ以上家族を待たせるのも気が引ける。意を決して棚に手を伸ばし、ワイヤー製のカゴにいくつかを放り込む。6つ入れてから少し考えて、もう4つ追加した。大きな箱は自分が飲むためのもの。2種類買っておけば安心だろう。残りは友人やお世話になっている方への土産に。スーパーのプライベートブランドの紅茶だが、いかにもといったロンドン土産よりも喜ばれる事が多い。勿論味は折り紙付きだ。
 すでに一杯になったカゴを手に、次に向かうのが飲み物のコーナーだ。日本でも目にするよく知ったブランドを避け、あえて得体の知れないラベルのついたものを選ぶ。ホテルへ持ち帰り、飲む瞬間のドキドキがたまらない。美味しければラッキーだし、もしそうでなくても、いい土産話になるからだ。総じて果物系の飲料は美味しいものが多いけれど、ヘルシーさを謳ったものは、飲みきるのが難しいような味のものに時折出会う。冷やされたボトルを数本カゴへ。持ち手が腕に食い込む。だいぶん重たくなったけど、まだまだ買い物はこれからだ。
 日本では見たことの無いようなカラフルなグミに、私の大好きなチョコレートも、沢山の種類が置いてある。使ったことのない調味料がずらりと並ぶ棚の前では、ひとつひとつ手にとって眺めてしまうし、重たくて沢山は買えないけれど、ジャムも美味しそうなものばかりだ。
 ロンドンのスーパーは、私にとっておもちゃ箱のようで、隅から隅まで見て回っている間にすっかりと辺りは暗くなっていた。荷物は少し重たいけれど、しばしホテルまでの散歩を楽しもう。買い物袋を抱えた私を、真っ黒なオースチンのヘッドライトが追い越していった。

空色の地図 ~台湾編~2 地下鉄 久路

 足下でランプが青く光る。その明滅するイルミネーションさながらの美しい光に誘われるように、列車が到着した。ホームに滑り込んできた車体の電光掲示板には漢字と英語で行き先が表示され、開いたドアから吐き出された人たちは、一斉に出口へ向かった。
 ガラス扉で仕切られた列車とホームも、東京の地下鉄によく似ている。既視感に襲われた私の背を、発車のメロディが押しこんだ。
 実を言うと、今回の旅の始まりはちょっとツイていない。さっき買い物にでかけた時、段差に躓いてひどく足首を捻ってしまったのだ。
 今日は日曜日、病院もあいていない。バスルームでひとまず患部を冷やし、さらに氷でアイシングを。粗忽な性格ゆえか、しょっちゅう捻挫にみまわれていたため、処置なら慣れている。だが捻り方が拙かったのだろう。冷やしている間にも、みるみるうちに足首は腫れ上がった。
 買ってきて貰った湿布と包帯で、患部をぐるぐる巻きにする。動かないように固定して、おそるおそる靴を履いてみる。うん、少しくらいなら歩けそうだ。
 そういうわけで、私は足を引きずりながら地下鉄に乗り込んだ。
 真新しい車体の中、プラスチックのシートは地元の人と観光客で埋まっていた。ほどほどに混雑した地下鉄の中は、通い慣れた通勤列車を思い起こさせる。
 空いていたつり革につかまると、目の前に腰掛けていた青年がおもむろに席を立った。どうぞ、と目顔で示されて、実のところ私は狼狽えた。なぜ席を譲られたのか、分からなかったのだ。
 そしてはたと思い当たる。彼は、包帯が巻かれた私の足首に気づいたのだ。もしかすると、足を引きずっている様子を見ていたのかもしれない。
「謝謝、」
 感謝の言葉をもごもごと口にして、譲ってもらったブルーのシートに座る。青年は少し離れたつり革につかまって、本を読んでいた。
 この日はあと2回地下鉄に乗ったのだが、必ず誰かが席を譲ってくれた。おかげで、私は痛む足で踏ん張らなくとも済んだ。
 私はこれまで台北の地下鉄には数え切れないくらい乗ったし、これからも乗るだろう。そしてその度に、ほのあたたかい気持ちになれるのだ。

空色の地図 ~ロンドン編~2 地下鉄 久路

 世界で初めての地下鉄が運営された頃、日本はまだ江戸時代だった。新撰組が結成された年だ、と書けば、ロンドンの地下鉄の歴史を少しは感じてもらえるだろうか。
 いや、そんなことを知らなくても、実際に乗ってみればいい。
 ロンドンの地下鉄は、ひどく狭い。幅も狭いように思うし、なによりも天井が低い。時折、頭を低くして地下鉄に乗車する英国紳士、なんていう光景を目にするのも珍しい事ではないのだから。
 ロンドンの地下鉄車内が狭いのには、理由がある。当時の技術では、これ以上おおきな「穴」を掘ることが困難だったというのだ。不可能ではないが、コストがかかりすぎる。「シールド」と呼ばれる円筒形の掘削機を使い掘り進んだ結果、その形状から「チューブ」と呼ばれるロンドンの地下鉄は完成した。
 網目のように張り巡らされた地下鉄は、ロンドナーにとって無くてはならないだけでなく、私のような観光客にも便利な交通手段だ。観光地をめぐり、地下鉄でホテルに戻る。大英博物館もロンドンブリッジも、バッキンガム宮殿だって地下鉄を使えばすぐだ。
 博物館の帰り、テムズ川沿いを散策しながら地下鉄の駅に向かう。鈍色の空からは今にも雨が降りそうだが、誰も傘なんて持っていない。
 幸いにも降り出す前に地下鉄の駅が見えた。良かった、と胸をなで下ろした時、入り口に柵が降りている事に気がついた。
「どうしたの?」
 通りすがりの英国人女性が、柵の前でうろうろしている私に話しかける。「この駅、日曜日は閉まっているのよ。隣の駅を使いなさい」
 泣き出しそうな空の下、棒になりかけた足を引きずって仕方なく私は歩き始めた。こんな事なら博物館のそばから、地下鉄に乗っておけば良かった。
 明けて月曜日、地下鉄は通勤客でごったがえしていた。狭い車内で、背の高い英国人の頭は天井にくっつきそうだ。
 窮屈そうに首を竦める紳士の姿に、ああ、ここはロンドンなのだと改めて感じるのだった。