映画『しあわせはどこにある』原作小説再登場! 12月23日、九州限定配本

 
Mais qu’est ce que le bonheur, au fond ?
Pour vous, quelle est la recette du bonheur ?

 
65-2サイモン・ペッグ主演で映画化された「しあわせはどこにある」の原作本「幸福はどこにある」を刊行します!
本国フランスを始め、全世界で100万部を超えて大ベストセラー! 続編も着々と出ているシリーズ一冊目です。
翻訳は2014年本屋大賞翻訳小説部門第1位『HHhH プラハ、1942年』の高橋啓先生。
装画は福岡の田中千智さんにお願いしました!
またもや印刷所を悩ませた装丁ですが、これはもうとっても素敵になること請け合いです! 画像では分かりにくいですが、是非実物でご確認くださいね!
KADOKAWAさんから発売のソフトと1日違いで発売される原作本。クリスマスに大事な人と、あるいは自分の為に、贈り物に、是非どうぞ!
 

幸福はどこにある──Le Voyage d’ Hector
 


「きみは、しあわせかい?」
自分に満足していない精神科医ヘクトールは、患者を幸福にしてやれないと悩んでいた。
はっきりした不幸の原因もないのに不幸だと感じてやってくる患者が多すぎる!
疲れてしまった彼は、ある日旅に出ようと決心する。
世界各地をめぐって、そこに住む人が幸福についてどう考えているのかを尋ね歩き、
幸福のレッスンを発見して手帳に書きつけようというのだ。
 
──集まった幸福のレッスンは全部で二十三。
迷えるおとなのためにフランスから届いたエスプリたっぷりの現代寓話。


 
フランソワ・ルロール著 高橋啓訳
ISBN:978-4-908543-02-9
ライブラリー版サイズ(160mm×110mm) 240頁
定価:税込み千円

 
九州外のみなさまの為の通販は、下記をよくお読みください
※九州全県配本です。
 
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空色の地図 ~ロンドン編~8 フィッシュアンドチップス 久路

 ロンドンを訪れると、必ずと言って良いほど食べるフィッシュアンドチップス。なぜならロンドンでは数少ない「はずさない」メニューだからだ。初めてロンドンに行く人には、困ったらフィッシュアンドチップスをオーダーするように勧めている。白身魚のフライにポテト。衣の種類によっては多少の好き嫌いがあるかもしれないが、おおむねどこで食べても美味しい。ただひとつ気をつけるとすれば、忘れずにディップ用のソースを貰うこと。たいていの店では全く味付けをしないで提供するので(塩こしょうすらしていない!)、カウンターやテーブルにある塩とビネガーを振りかけて食べることになるのだが、正直途中で飽きてしまう。皿からはみ出すほどのフライは、大人が両手を広げても、まだ足りないくらいに大きい。塩とビネガー、レモンで乗り切るには、少々難しい大きさだ。最初から添えてくれる店もあるが、たいていは注文しないとソースをもらえない。ここはディップで味の変化をつけて楽しみたいところだ。
 日本で最も有名なイギリス人シェフ、ジェイミーオリバーお勧めだというフィッシュアンドチップスの店は、注文の都度揚げるフライが美味しいと評判だ。小さいサイズを選んだが、それでも皿から熱々のフライがはみ出している。天気が良いので外のテーブルで食べることにした私は、勿論タルタルソースとケチャップのディップを貰うことも忘れない。塩とビネガーを振ってひとくちの大きさに切り分ける。サク、と小気味よい音にいやが上にも期待がつのった。フォークの上でほろほろと崩れる白身を慌ててほおばると、香ばしさが口いっぱいにひろがる。日本だとあまり食べない白身魚のフライが、ロンドンにくるとどうしてこうも美味しく感じられるのだろうか。
 付け合わせのポテトも平らげて満たされた後は、近くのポートベローマーケットまで散策だ。ヨーロッパ最大級の骨董市と言われるだけあって、ゆるやかな坂道沿いにずらりとストールが並んでいる。アンティークの懐中時計や服にはじまり、花や野菜を売っている屋台もある。観光客だけでなく、地元の人も多く訪れているようだ。歩き疲れたころに、ちょうどオープンカフェが目についたのでそこで紅茶をオーダーした。大きな木の下のテーブルがみるからに涼しげで、やはりここでもテラス席で休ませて貰うことにする。
 日本にもチェーン店があるそのコーヒーショップは、見ると殆どの人がコーヒーを飲んでいる。なるほど、イギリス人は家で紅茶を、外ではコーヒーを飲むと聞いたが本当なのだな、と納得する風景だ。ほどなくして大小の紙コップがふたつと、ティーバッグが載ったトレイが手渡された。見ると大きいコップにはお湯、小さいコップにはミルクがなみなみと注がれている。さすがはロンドン。木漏れ日の踊るテーブルでいただく紅茶は、とびきり美味しい一杯だった。

空色の地図 ~台湾編~7 台湾の建物 久路

 中山駅を出て大通りを歩く。ひとつめの大きな交差点を曲がり中山北路を行くと、ガジュマルの木に囲まれた白い洋館が見えてくる。その名も「台北之家」という。
 もとは米国領事館だったという建物が、今は映画をテーマとしたサロンやカフェとなり、日中であれば誰でも入ることができる。台北で私の好きな場所のひとつだ。交通量の多い通りに面していながら、そこだけ別の時間が流れているような気分になれるからだ。気候の良い時期などは、テラス席でお茶を飲むのもいいだろう。
 初めて台湾を訪れる時、知人が私に告げたのは「台湾の道路はつまづきやすいから気をつけて」だった。アスファルトで舗装されてはいるけれど、あちこちに窪みや段差があるし、歩道であっても平気でスクーターが乗り上げてくる。油断しているとつま先を引っかけたり急に現れた段差に足を踏み外したりしかねない。くれぐれも歩きやすい靴で、というのが知人の忠告だった。
 なるほど、台湾を少し歩いてみればそのとおりだ。だがここ数年ほど台北市内では舗装のやり直しや道路工事が進み、以前に比べればだいぶん歩きやすくはなった。自転車用のレーンが設けられた場所などもある。道路と同じで、建物も建築ラッシュだ。およそ10年前に完成した台北101の付近はきれいに整備され、新しい百貨店やホテルが建ちならんでいる。
 それでも心惹かれるのは、歴史を重ねてきた建物が多く残る地域だ。中でも19世紀から20世紀初頭の台湾の姿を色濃く残す迪化街は、興味深く何度訪れても飽きることがない。
 中国福建省の伝統的な建築様式を踏襲したものや、バロック式の装飾が多く豪奢な建物などが、今も現役で店舗として活躍している。その美しい石造りのモチーフを見上げていると、「台湾産のドライマンゴーだよ。おひとつどう?」と声がして、試食用のマンゴーを差し出された。ひとつつまんで口に放り込むと、濃厚な甘さと香りが口に広がる。乾物屋や漢方薬局が多い地域なので、ドライフルーツを物色しながら散策するのもまた楽しい。
 迪化街に限らず、台湾では軒先にアーケードが設置されていることが多く、雨の日であっても濡れずに買い物ができるし、また夏の暑い日でも、強い陽射しを避けながら歩くことができる。歴史と活気ある街並みを存分に楽しんだ私は、土産に買ったドライフルーツの包みを鞄へと仕舞おうとした。「危ない!」だがその時、道の段差に足をとられ、よろけてしまった。
 アーケードを支える柱に手をついて間一髪、転ぶのを免れた私の脳裏に知人の言葉がよみがえる。そうそう、こういう場所ほど段差が多いのだった。皆様も、台湾に行かれるときはどうぞ足下にはじゅうぶんにお気を付けて。

魂に背く出版はしない 第6回 渡辺浩章

第6回 起きんか! ひろあき

 死ぬかと思った……という体験を何度かしました。
 4歳のころ。無邪気に走りながら車道に飛び出して、眼前で車が静止するまでの、スローな数秒間。
 7~9歳にかけて。深夜、団地の階段に響き渡る軍靴のような足音、近づいてくる気配に目を覚まし、連れ去られる、という観念に脅えて、トイレに籠っていた数時間。
 高校時代。ラグビーの試合中に脳震盪をおこして意識不明となり、丸一日たって、この世に意識が戻ってからの数分間。
 週刊誌編集者時代。肛門から脳天まで貫いた激痛に絶叫し、大量の下血、友人に担がれて、病院へと運ばれていく最中。と診察室での触診。
 さらに週刊誌編集者時代。冬の真夜中、ガレージの中で車のエンジンを掛けたまま居眠りをして、一酸化炭素中毒に……。ボーン、ボーン、ボーン、柱時計の音。眼の前には、和服姿で腕組みをした、眼光鋭い、短髪で白髪の、口髭を生やした老人が立っていて、
「ひろあき! 起きんか!」
 強い口調で言われて、今度は本当に意識が戻って、よく見ると、車から這い出て床に腹ばいになっている自分がいる。しかも失禁している。ああ、死んでたな、と思いました。
 この奇妙な体験を母に話すと、「あなたの曾祖父(ひいおじいさん) だね」という返事。後日、どこからか曾祖父の写真を探し出してきて、私に見せてくれました。眼光、風貌、まさしく夢で会ったあの人です。以後、私は夢の人=曾祖父に対して強く興味を抱くようになりました。
 夢の人は私の曾祖父でありながら、姓は渡辺ではなく「香江」という、福岡でも希少な名字でした。香江と書いて「こうのえ」と読みます。唐人町の医者で香江家の六代目、誠さん、それが私の曾祖父です。
あるとき、香江誠さんの四男・順四郎が、男子の跡継ぎのいない渡辺家を継ぐために、香江家を出て養子となりました。ここから新しい渡辺家の系譜が始まります。(あくまでも男の血筋の話ですが。) 渡辺順四郎の子が私の父・雄二で、孫が私。逆進すると、私の父が渡辺雄二、祖父が渡辺順四郎、曾祖父が夢の人、香江誠です。
 公になっている香江家の家系図があります。香江家の六代目から遡って見ていくと、二代目は、こちらも養子でした。

(2)白石氏道格之養子トナル
 道悦

 

 家系図にはそう記されています。
 白石(道悦) 氏、道格(香江家初代) の養子となる――。なんと香江家の二代目は、白石家からの養子だったのです。
 あれ、と思いまいました。「白石」の姓は福岡で珍しいというわけではありませんが、それでも、香江家二代目となった白石道悦氏と、白石一文さんの祖先が、もしも血縁関係にあったなら……と、つい想像してしまいます。なにしろ、渡辺も香江も、血脈(あくまでも男の) を辿れば「白石」の血を引き継いでいる事実が、家系図に明記されているのですから。白石さんも私も共に福岡出身です。実際に、白石さんと血縁関係にあるかどうかは分かりませんが、私のルーツは「白石」だったと知って、特別な感情が沸いたのは事実です。
 
 白石一文さんと初めてお会いしたのは2002年8月[tcy]20[/tcy]日。小説『僕のなかの壊れていない部分』が光文社から刊行されたときでした。当時、私は文芸書の営業担当者でした。この小説を読んだ私は、なんとしてでもこの本を売るぞ、強くそう思い、行動しました。その後も、白石さんの作品の営業に、私は深く関わっていくことになります。
 私は出版社入社から退職までずっと書籍編集志望だったのですが、一度も配属されぬまま、2009年2月、とうとう書籍編集部への異動を断念せざるを得ない立場(営業管理職) に追い込まれました。その時に捻りだしたアイデアが、書店向け広報誌「鉄筆」の創刊です。この「鉄筆」誌上で連載小説を掲載して、本を作り、販売する。つまり、自分で作って、自分で売る。
 組織のルールに抗うような無茶な提案を、当時の会社はよくぞ受け入れてくれたものです。そしておそらく、白石さんはそのような行動をとる人間が大好きで、「鉄筆」創刊を誰よりも熱く応援してくださいました。もちろん、「鉄筆」に最初の連載小説を書いてくれたのは白石さんです。この試みは未完のままで休止しましたが、一年の後、白石さんから新たな書下ろし小説が届きました。『翼』です。一読、痺れました。身体を電気が駆け巡る衝撃。
「ひろあき! 起きんか!」
 と、夢の人の声も脳内に響きます。
 2010年の暮れから、2011年の大震災をまたいで『翼』の編集作業は進み、「鉄筆」誌上で連載後、6月に単行本を刊行しました。『翼』は、作品の持つ精神性(霊性) のみならず、あらゆる意味で、前職時代の私にとっての最高傑作です。
 その『翼』を文庫本として刊行し、「鉄筆文庫」を創刊することが、小さな出版社・鉄筆を起ち上げた私の最初の仕事となるのですが、この話は、また後日にします。
 
(つづく)

空色の地図 ~ロンドン編~7 ロンドンの建物 久路

 小学3年生のころだろうか、ご多分に漏れず私はシャーロック・ホームズの虜になった。学校の図書室でシリーズ作品を読み、近くの図書館では少年探偵ものを借りた。インターネットも無く今ほど情報が豊富でない時代、本の中に描かれるロンドンはどこか薄暗く、常に霧がたちこめる街だった。一頭立ての辻馬車を『ハンサム』と呼ぶのだと、私はその中で知った。馬の蹄が石畳に触れてたてる硬質な音や、霧にけぶるガス灯、ホームズが高速蒸気船に乗ったテムズ川。テレビで見たことも、勿論行った事もなかったけれど、本の中のロンドンは、確かに小学生だった私の中に存在していた。
 大人になり、ロンドンが想像だけの場所でなくなった今でも、訪れる度に私は軽いめまいにも似た興奮を感じる。子供の頃思い描いていた「ロンドン」がそこにあるからだ。
 勿論当時と違って『ハンサム』は走っていないし当然ガス灯なんて無い。それでもウエストミンスター寺院やロンドン塔、マーブル・アーチなどは昔と変わらずロンドンの街を見つめ続けている。石造りの橋も、もしかすると当時と同じかもしれない。古いほど価値があるとされるイギリスにおいては、百年以上前の建造物が当たり前に街中にあって、当たり前に使われているのだ。
 名作「オペラ座の怪人」が上演されるハーマジェスティーズシアター(女王陛下の劇場、の意) もそのひとつだ。二度の焼失を経て150年近く前に再建された建物が、現役で使われている。
 観客でごった返すロビーを通り抜け、受付で予約していたチケットを受け取る。エントランスで飴色に輝く柱も繊細な壁の細工も、どれを目にしてもため息しか出ない。天井の美しい装飾に目を奪われながら客席へ入ると、えんじ色のシートの半分が既に埋まっていた。高い天井にこだまするのは、アイスクリームやパンフレットを販売する売り子の声だ。観客は皆チケットとシートの番号を見比べながら自分の座席を探している。私も舞台にほど近い席に座る。きっと150年前もこの劇場は同じように、開幕前の静かな興奮に満たされていたのだろう。
 日本人の私には高すぎる座面も、舞台が始まる頃には気にならなくなっていた。素晴らしい俳優と美しい劇場。この二つが相まって一気にお芝居に引き込まれたからだ。
 ロンドンの街を歩いてみたなら、貴方はこの劇場だけが特別ではないことに気づくだろう。石造りの壁や美しい路地裏の教会を眺め、ホームズの歩いたかもしれない石畳を踏みしめる。ロンドンの街を歩きながら一世紀前に思いをはせるたび、私は小学生の頃に憧れた世界に飛び込むことができるのだ。

魂に背く出版はしない 第5回 渡辺浩章

第5回 独考独航
 
りかからず」
 詩人の茨木のり子さんが残した言葉です。
 

もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない
もはや
できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや
できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくない
ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある
倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ
(詩集『倚りかからず』筑摩書房刊より)

 

 かつて、茨木さんは早稲田大学ラグビー部のグラウンド近くに住んでいたと聞いたことがあります。だからなのか、少なくはないラグビー部員が、茨木さんの詩に接して、なにかしら影響を受けた時期がありました。私も学生時代に茨木さんの多くの詩を読み、感化された経験があります。
 
「独考独航」
 好きな言葉です。こちらは、作家の辺見庸さんが、サイン会で著書にサインをするときによく書かれていたメッセージです。
 独りきりで考え、独りでわたり歩く。私とは、人間とは、いったい何者であるのか。私の存在する世界とは、いったい何なのか。誰にも寄りかからず、独りきりで、どこまでも深く考え、生きていくほかに道はない、という覚悟の語でしょう。
 
 辺見庸さんとは、私が週刊誌の編集者時代に知り会いました。1996年3月、前年末に刊行された小説集『ゆで卵』の著者インタビューでした。
 1995年、1月[tcy]17[/tcy]日未明(午前5時[tcy]46[/tcy]分[tcy]52[/tcy]秒)に阪神・淡路大震災発生。同年3月[tcy]20[/tcy]日午前8時、地下鉄サリン事件発生。事件に遭遇した辺見さんは、当時は共同通信社に勤務、独考独航ののちに小説「ゆで卵」を発表しました。以下、インタビュー記事を抜粋。

<仕事場近くで地下鉄サリン事件に出くわす。「座り込んでいる人もいたけれどいつも通り機械的に会社へと行進している人たちもいて」テレビはバタバタ倒れる被害者たちなど分かりやすい風景しか映そうとしない。
「水槽に真っ赤な熱帯魚がひらひら泳いでいる前でへたっている人と通勤客と。異様だったな。俺だったらあの光景を撮るな」
 どんな大事件も報道されるなかで脚色されたり作りものになり、消費されていく。むしろ、〝俺〟が過ごした「食って飲んでヤッてタレて寝る」一日のひとつとして3月20日を描いた。生きてゆで卵を食べる〝俺〟とそのにおい・味が呼びおこす死の記憶。五感で受けた刺激を言葉にしたぶん、リアルだ。それにしてもベストセラーになった『もの食う人びと』の硬派な印象とは違って……助平ですね。
「人間って単層だけから成ってるんじゃないから、ね」。初めて、ニヤリ、と笑った。>
(「週刊宝石」より)

 鉄筆文庫で復刻した『反逆する風景』の精神そのままに、助平な週刊誌のインタビューに快く応じてくださいました。(『反逆する風景』は、当時も今も、私にとってバイブルです。)
 日記を繰ると、取材当日は「辺見氏取材、六本木カラオケ→ゴールデンガイ 朝まで」と記されています。辺見さんはとにかく酒が強かった。ラグビー部で胃袋も鍛えていたはずの私は、ついていくのがやっとでした。以後、おもにゴールデン街の酒場で、何度かお話を伺う機会を得ました。
 辺見さんは早稲田大学の先輩ですが、早稲田の先輩後輩の付き合いを、縦横斜めほとんどすべての繋がりを嫌っていた風に感じました。
 学生運動が盛んだったころ、辺見さんも少しは運動に参加した季節があったそうです。あるとき大学は、体育会の運動部員を駆り出して、デモ活動を行う学生を、大学構内から排除する動きをとりました。雇う大学も、請け負う体育会の学生も、どちらも許せなかった、と辺見さんは語っていたと記憶しています。
「でも、早稲田のラグビー部だけは違う。特別なんだよ。ラグビー部だけは、大学側のデモ排除に手を貸さなかった。だからお前とは飲む」
 そう聞いたとき、私はラグビー部の先輩たちのとった態度に共感し、ラグビー精神の意義をあらためて認識しました。
 そして、群をなして行動することをよしとせず、独り体制に抗う自由を追求することと、個人の自由を尊重し、何事にも寛容であろうとするラグビー精神とは、深い部分で結ばれている気がします。
 その後、辺見さんとは飲む機会はあっても仕事をする機会は数えるほどしかありませんでした。にもかかわらず、私が光文社退職を決意した時には、白石一文さん同様、熱く応援してくださいました。
 出版社・鉄筆は、鉄筆文庫の創刊からスタートしましたが、初の単行本は、辺見さんの『霧の犬』です。「鉄筆社創立記念」として書下ろし小説の原稿を託されました。編集者として、これほど嬉しいことはありません。このコラムを読んでくださっている方には、一度は『霧の犬』を読んでほしい、そう切望します。
 
 初めて辺見さんとお会いした日、私は、『ゆで卵』にサイン執筆をお願いしました。そしてもちろん、私の『ゆで卵』にも、辺見さんからのメッセージは記されています。それは、「独考独航」ではなく、「どんぶらこ」。
 どっこう、どっこう。どっこどっこ。どんぶらこ……。
 私の祖先は、遠い昔、独考独航、どんぶらこっこと、大陸から海を渡って、九州に移り住んだと言い伝えられています。なんとなく、私と鉄筆社には、「どんぶらこ」のほうが似合っている気がします。(つづく)

空色の地図 ~台湾編~6 タクシー 久路

 台北市に向かう高速道路は混雑していた。
 関空を飛び立ち到着した桃園空港は、台北から車で1時間ほどの距離にあった。市内へ向かう方法としてはリムジンバスとタクシーが一般的だ。生憎と私の泊まるホテルは、リムジンバスの停車駅から少し離れているため、タクシーを選ぶ事が多い。今回も私は大きめのボストンバッグを抱えながら、タクシーへ乗り込んだ。
 黄色い車体は混雑した高速道路を飛ぶように走っていた。
 台北へ向かうこの道路は、渋滞の一歩手前くらいの混雑具合で、連なった車列がずっと先まで続いている。その間をすり抜けるようにして、タクシーは走る。まるで映画で見るカーチェイスのような有様に、私は息をつめてシートベルトを握りしめた。だがそういう走り方をしているのはこの車だけではない。一般車もトラックも、バスですらひっきりなしに車線変更をしながら、我先に前の車を追い抜こうとする。ホテルまでの小一時間、車の中で仮眠でも、なんてのはよほどの心臓でなければ難しい。
 なので無事にホテルに到着した時は、心底ほっとした。メーターの示す料金を支払い、力が入りすぎて強張った肩を回す。いつもの事だが、台湾でタクシーに乗るというのはちょっとばかりのスリルを伴う体験だ。
 ただ運転の荒いタクシーばかりではない。
 その日は冬の台湾にしては珍しく、きれいに晴れ渡った空が広がっていた。朝から大好きな小籠包を食べに行こうと、ホテルの前からタクシーに乗る。台湾のタクシーは日本にくらべるとかなり料金が安いので、短い滞在の時や夏場は頻繁に利用することにしていた。
 乗り込んだタクシーの運転手は女性だった。珍しく英語が話せるようで、行き先を告げるとしばらく会話が弾んだ。
 ほどなくして目的地に到着する。予想より安いメーターの料金に、私は小銭を持っていないことを彼女に告げた。
「大きいお札しかないんですが、おつりはありますか?」
「朝だから生憎とお札が無いのよ」
とすまなそうに眉尻を下げる。連れを車で待たせて、近くのコンビニで崩して来ます、と提案した私に、彼女は「小銭は全然ないの?」と言った。財布の中から小銭を全て取り出し数えてみると、六〇元と少し。メーターは七四元だから、少しだけ足りない。
「じゃあそれでいいわよ」
 まけておくわ、と微笑む彼女は「だって今日はこんなにいいお天気だもの!」と空を指す。
「台湾を楽しんでいってね」
 言い置いて颯爽と走り去るタクシーの黄色い車体に、きらりと陽の光が反射した。

空色の地図 ~ロンドン編~6 タクシー 久路

『間に合うかな』内心のドキドキを友人に悟られないよう、急ぎ足で階段をのぼる。薄暗い地下鉄の通路を抜けると、地上の光が見えた。明るさに慣れない目で辺りを見渡す。ツアーの時間まであと20分。すぐにタクシーを捕まえなくては、間に合わない。
 集合場所を勘違いしていた私は、うっかりと全く違う駅で列車を降りてしまっていた。再び地下鉄で二駅戻り、ベイカールーラインへ乗り換えるべきか。いや、いくらロンドンの地下鉄が便利だとはいえ、通路は長くエスカレーターやエレベータも少ない。乗り換えにかかる時間を日本と同じように考えていると、痛い目を見るのだ。友人には初めてのロンドンをがっかりした思い出にしてほしくはない。ここは多少お金はかかるがタクシーをひろおう。
 ロンドンのタクシーは通称「ブラックキャブ」の通り、元は黒塗りのオースチンだ。コロンと丸みを帯びた外観と、正面に掲げる「TAXI」のオレンジランプ。21世紀になった今もなおクラシカルな雰囲気をたたえるその姿は、ロンドンの街にとても似合っている。近頃はラッピングタクシーが増え、カラフルな広告をまとったものが多いが、伝統的な漆黒のタクシーに乗ると少し嬉しくなってしまう。
 道路に身を乗り出すようにしていると、すぐにオレンジランプを光らせたタクシーが見つかった。手を挙げて呼び止め、2人で後部座席に乗り込む。
 行き先の地図を見せると、運転手の男性は大きく頷いた。資格を取るまでに三年かかるとも言われるブラックキャブの運転手は、皆ロンドンの街並みに精通している。「10時半までに行かなくちゃいけないんだけど…」おそるおそる切り出した私に、「あと15分だろ?大丈夫さ」との頼もしい返事。そこでようやくほっとした私は、革張りのシートにどっかりと背中を預けた。
 オースチンの車内は、向かい合わせで5人が座れるようになっている。後ろ向きのシート2席は普段折りたたまれているため、足下はとても広く乗り降りも快適だ。スーツケースも4つくらいは楽に積めるだろう。
 私達を乗せたオースチンは、複雑に道路が交差するロンドンの街並みを滑るようにして駆け抜ける。やがて目的地に到着した時間は10時27分。運転手の言うとおり無事間に合った。
「有り難う、助かりました」御礼と共にチップを手渡した私に、「どういたしまして」と茶目っ気たっぷりのウィンクで返す運転手。ロンドンのタクシー「ブラックキャブ」は、かように便利で頼もしい乗り物だ。

書籍版『片隅』発刊! 10月23日、九州限定配本で登場!

 私たちは、ここからどこへ行けるでしょうか。
 文藝は、この世界に何を実らせられるでしょうか。

 
 
katasumikatasumi-obi

 10月23日、伽鹿舎は書籍版『片隅』を発刊します。
 九州から、みなさまへ。
 
 九州の本屋さんからしか手に入れられない、とびきりの贈り物になりました。どうぞ、あなたのお手元にも、ご一緒に。
 

2-3- 巻頭詩:谷川俊太郎 画:田中千智
 ──いつの間にか片隅に立っている/私ひとりじゃない
kuro コラム「空色の地図 飛行機」 久路
 ──「空を飛ぶから」
aoki 「伽鹿舎・青木のぎゃん行こ隊/熊本城」 青木勝士
 ──「宇土櫓」を巡る長年の「謎」を解きに出掛けましょう!
kyohe 詩と写真「ザ ベスト プレイス」 坂口恭平
 ──子供だったら いつまでも君といれるのに
hagi 小説「ダメアナ」 萩原正人 画:坂口亭タイガース
 ──ダメ穴だって相当だろ? いったい何が、どんな感じにダメなのか
matusita エッセイ「友よ」 松下隆一
 ──「なるようにしかならんで。開き直るしかないのとちがうか」
isozaki 小説「時はめぐりぬ」 磯崎愛
 ──ぼくはただの絵描きですよ*ルネサンス期フィレンツェの画家のものがたり
iwao コラム「古書市のない都市から」 岩尾晋作
 ──市というのは蠱惑的な一語である。
sotaro ブックレビュー「宗太朗の本棚」 山田宗太朗
 ──「好き」という言葉は単純ではない。『猫本屋はじめました:大久保京(洋泉社)』ほか2冊
satoh エッセイ「神の島から」 佐藤モニカ
 ──つい最近、神の島と呼ばれる久高島へ行った
nian ハイパーノベル「ぼくらは未来の手の中」 弍杏 画:Rin
 ──神様、わたしはワクワクしたいの
milk エッセイ「たかなしみるく流、お一人様のスゝメ」 たかなしみるく
 ──悩みとか、迷いとか、戸惑いとか。この旅先の空に、放ってしまいたいよ。
suiko 小説「花翳の魚」 葛引すい子 画:ひらのにこ
 ──つかむ針を、じぶんで選んだ魚なのです
ino 小説「Raven」 井野裕 画:Akatsuki
 ――も、う、い、ち、ど、
syasendoh 小説「白糠セントバーナード」 斜線堂悠李
 ──私、帰って来たんだよ。白糠セントバーナードがその証明だよ、ね?
kanno 小説「銃眼」 菅野樹 画:Akatsuki
 ──少年は城壁の壁に開く銃眼から村を見た。
miyao 巻末詩:宮尾節子
 ──じゅんび は ばっちりだ

 
 手を添え、土に触れ、植えられたそれらが、もう一度豊かに広がりゆくことを。
 この、片隅から。

 
 

書籍『片隅』
2015年10月23日刊行
A5変形・フルカラーカバー・本文160頁(創刊号記念増頁!)
定価:税込1,000円
九州限定配本 ISBN 978-4-908543-01-2
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空色の地図 ~台湾編~5 夜市 久路

 ポケットから取り出したスマホの画面を見る。午後5時[tcy]47[/tcy]分の表示に軽く舌打ちをひとつ。再びポケットにスマホを戻すと、私は舗装が荒れた道を猛然と歩き始めた。
 中山駅から歩いて[tcy]10[/tcy]分もかからない道の筈だが、早く早く、と思うほどに遠く感じる。近づくにつれてちらほらと見かけるほどだった観光客の数が増えてきた。寧夏路夜市、書かれた光る看板の角を曲がると、そこが夜市の始まりだった。
 台湾を一度でも訪れた事のある人ならば知っているだろう。夜市とは文字通り夕暮れ時から始まる屋台村だ。昼間は人も車も通る普通の道が、夜になると道の両脇にびっしりと屋台が建ち並ぶ。屋台で売られているのは服や小物、果物のジュースや人の顔ほどもある大きな唐揚げに、臭豆腐という強烈な食べ物までと様々だ。
 この寧夏路夜市は、南北に走る寧夏路で毎日開かれる、こぢんまりとしているが食べ物が美味しい夜市だ。そのためか地元の人でいつも賑わっている。南の入り口から入ると手前は主にゲームの屋台が並び、中程から食べ物となる。だがゲームの屋台にさしかかったあたりから、既に雑多なにおいが立ちこめていた。腸詰めを焼く香りに、嗅いだことのないスパイスのにおい。臭豆腐にはだいぶん慣れたが、それでも前を通る時には少し息を止めてしまう。4車線ほどの道路も、屋台と人でびっしりと埋まり、今は狭く思えた。予定ではもう少し早く着くつもりだったのに、と再び舌打ちをしたい気分に襲われながら、建ち並ぶ屋台の隙間を、文字通り人をかき分けて歩いた。
 目的の屋台の裏手には、既に長い行列が出来ていた。屋台の横の狭いスペースには簡素なテーブルと丸い座面に脚がついただけの椅子が置かれており、屋外食堂のようになっている。座ると隣の人と肩が触れあうほどの距離だが、1人でも多く座れるよう、誰もが配慮している。屋台の鉄板の前では、まだあどけない顔立ちの男の子が額の汗を拭う間もなく調理をしていた。焼きそばのような麺料理だ。真っ黒の麺は一見しょっぱそうに見えるのだが、実はとてもあっさりとしていて美味い。見惚れるほどのコテさばきで、手早く一人前が出来上がった。すかさず空いた鉄板に卵を落とし流れるような動きで目玉焼きを作る。100元札と引き替えに皿を受け取った少女が、嬉しそうに麺をかき込む姿を眺めていると、ようやく順番がきた。道路に直接置かれているのでぐらぐらと不安定な椅子に腰掛け、店員さんに声を掛ける。テーブルの上の写真を指さして注文を済ませると、いやというほど湿気をはらんだ空気が流れ、辛うじて風が吹いたと感じとれる程度の涼をもたらした。じっとりと汗がしみ出す首筋を拭い、ペットボトルのお茶を呷ると、ようやく水面に顔を出せた心持ちになる。このおぼれそうな熱気と活気こそが、私を惹きつけて止まないのだけれど。