魂に背く出版はしない 第7回 渡辺浩章

第7回 予言

 
 前回に書いた夢の人=曾祖父の声を、数年後にも耳にしました。より適確に表現すれば、頭の中に言葉が走った、メッセージが侵入してきた、という感じです。[tcy]20[/tcy]世紀最後の冬、2000年[tcy]11[/tcy]月[tcy]19[/tcy]日日曜日の正午過ぎ、一人で富士山を登山中のことでした。
「身辺整理をしなさい。生活を立て直しなさい。」
 そのようなメッセージが頭の中で響いていました。
 当時、勤務していた男性週刊誌のテコ入れ問題で社内は紛糾していました。体制派はグラビア系週刊誌への変身を主張していました。私は存続派=少数派でした。結局、年明け1月に休刊となり、編集部は解散しました。
 その最終号に富士山での体験記が掲載されているので読み返してみます。
 
〈広い雲海を眺め、俺はあの世とこの世の境目に立っているような気分になった。そして頭に言葉が走った。“『週刊○○』とはお別れだ。生活を立て直せ” と。〉
 
 このような声は自分の内側から発せられているようにも思うのですが、その正体はもちろん分かりません。ともかく声に従い実行しようと試みました。でも実際には雑誌休刊に伴う諸事情に対応するだけで手一杯となり、しばらくはそんな余裕はありませんでした。それでも、営業へ異動してから1年余りの時間をかけて、身辺整理、生活の立て直しなど、予言のとおりに実践しました。
 一段落ついたころ、2002年8月[tcy]20[/tcy]日の午後、白石一文さんと初めてお会いしました。単行本『僕のなかの壊れていない部分』のサイン本を作る会場で。翌年2月には次作『草にすわる』の刊行に携わり、2004年2月には、白石さんが出版社を退職して独立後初となる作品『見えないドアと鶴の空』が発売され、私はその営業に注力しました。
 このとき、作家独立記念として白石さんの地元・福岡の紀伊國屋書店でサイン会を行いました。その2日前に私は福岡入りして、白石さんと会い、サイン会や地元の書店廻りやラジオ番組への出演などのスケジュール確認を行いました。喫茶店でコーヒーを飲みながら、ひと通りの説明を終えて、打ち合わせが終了すると、白石さんが不意に、質問しました。
「ところで渡辺さん、いまつき合っているひとはいるの?」
 いえいえ、と私。離婚を経て、いまは独身を楽しんでいます、池袋の北口にハルピン出身の男が営んでいる餃子屋があって、そこの常連は[tcy]30[/tcy]代、[tcy]40[/tcy]代の独身男ばかりで、私もその店に入り浸って夜を過ごしています。そんなことを私は話しました。
「それでは渡辺さん、東京に帰ったらお見合いしてください。二人でその餃子屋に行ってください。」
 福岡での仕事を終えて東京に帰った週末に、私はその女性を餃子屋に案内しました。現在は鉄筆社の経理や事務を担う私の妻との出会いです。いまにしてみれば、福岡での白石さんの言葉のなかには、すでに予言のようなものが含まれていたのかもしれません。
 鉄筆社を起ち上げるときには、こんな助言と予言を授かりました。
「独立するからにはやはり最初が肝心、業界があっと驚くようなことをやってまあそこそこです。鉄筆社の創立第一作は『翼』を文庫化して新しい文庫レーベルを創刊してください、それぐらいのことをやらないと。」
 白石さんに提案されたとき、まさしくその通りだと実感しました。そして予言は的中しました。最初に『翼』の文庫化があったからこそ、鉄筆社は3期目を迎えることができました。
 白石さんはさらにこんな予言も。
「『翼』の文庫化は絶対に話題になります。取材依頼もたくさんきます。すべての取材を断らずに受けてください。朝日新聞も必ず取材にきます。」
 もちろん的中しました。
 もうひとつ、忘れられない予言があります。2011年1月に『翼』を書き上げた白石さんの言葉です。
「この小説は必ず百万部売れます。」
 これも当然、的中すると私は信じています。
 黙っていても実現するということはあり得ませんが、いつか来るその日を楽しみにしながら活動に励んでいます。
 
(つづく)

 

【鉄筆の本】
新刊!

 
既刊

映画『しあわせはどこにある』原作小説再登場! 12月23日、九州限定配本

 
Mais qu’est ce que le bonheur, au fond ?
Pour vous, quelle est la recette du bonheur ?

 
65-2サイモン・ペッグ主演で映画化された「しあわせはどこにある」の原作本「幸福はどこにある」を刊行します!
本国フランスを始め、全世界で100万部を超えて大ベストセラー! 続編も着々と出ているシリーズ一冊目です。
翻訳は2014年本屋大賞翻訳小説部門第1位『HHhH プラハ、1942年』の高橋啓先生。
装画は福岡の田中千智さんにお願いしました!
またもや印刷所を悩ませた装丁ですが、これはもうとっても素敵になること請け合いです! 画像では分かりにくいですが、是非実物でご確認くださいね!
KADOKAWAさんから発売のソフトと1日違いで発売される原作本。クリスマスに大事な人と、あるいは自分の為に、贈り物に、是非どうぞ!
 

幸福はどこにある──Le Voyage d’ Hector
 


「きみは、しあわせかい?」
自分に満足していない精神科医ヘクトールは、患者を幸福にしてやれないと悩んでいた。
はっきりした不幸の原因もないのに不幸だと感じてやってくる患者が多すぎる!
疲れてしまった彼は、ある日旅に出ようと決心する。
世界各地をめぐって、そこに住む人が幸福についてどう考えているのかを尋ね歩き、
幸福のレッスンを発見して手帳に書きつけようというのだ。
 
──集まった幸福のレッスンは全部で二十三。
迷えるおとなのためにフランスから届いたエスプリたっぷりの現代寓話。


 
フランソワ・ルロール著 高橋啓訳
ISBN:978-4-908543-02-9
ライブラリー版サイズ(160mm×110mm) 240頁
定価:税込み千円

 
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魂に背く出版はしない 第6回 渡辺浩章

第6回 起きんか! ひろあき

 死ぬかと思った……という体験を何度かしました。
 4歳のころ。無邪気に走りながら車道に飛び出して、眼前で車が静止するまでの、スローな数秒間。
 7~9歳にかけて。深夜、団地の階段に響き渡る軍靴のような足音、近づいてくる気配に目を覚まし、連れ去られる、という観念に脅えて、トイレに籠っていた数時間。
 高校時代。ラグビーの試合中に脳震盪をおこして意識不明となり、丸一日たって、この世に意識が戻ってからの数分間。
 週刊誌編集者時代。肛門から脳天まで貫いた激痛に絶叫し、大量の下血、友人に担がれて、病院へと運ばれていく最中。と診察室での触診。
 さらに週刊誌編集者時代。冬の真夜中、ガレージの中で車のエンジンを掛けたまま居眠りをして、一酸化炭素中毒に……。ボーン、ボーン、ボーン、柱時計の音。眼の前には、和服姿で腕組みをした、眼光鋭い、短髪で白髪の、口髭を生やした老人が立っていて、
「ひろあき! 起きんか!」
 強い口調で言われて、今度は本当に意識が戻って、よく見ると、車から這い出て床に腹ばいになっている自分がいる。しかも失禁している。ああ、死んでたな、と思いました。
 この奇妙な体験を母に話すと、「あなたの曾祖父(ひいおじいさん) だね」という返事。後日、どこからか曾祖父の写真を探し出してきて、私に見せてくれました。眼光、風貌、まさしく夢で会ったあの人です。以後、私は夢の人=曾祖父に対して強く興味を抱くようになりました。
 夢の人は私の曾祖父でありながら、姓は渡辺ではなく「香江」という、福岡でも希少な名字でした。香江と書いて「こうのえ」と読みます。唐人町の医者で香江家の六代目、誠さん、それが私の曾祖父です。
あるとき、香江誠さんの四男・順四郎が、男子の跡継ぎのいない渡辺家を継ぐために、香江家を出て養子となりました。ここから新しい渡辺家の系譜が始まります。(あくまでも男の血筋の話ですが。) 渡辺順四郎の子が私の父・雄二で、孫が私。逆進すると、私の父が渡辺雄二、祖父が渡辺順四郎、曾祖父が夢の人、香江誠です。
 公になっている香江家の家系図があります。香江家の六代目から遡って見ていくと、二代目は、こちらも養子でした。

(2)白石氏道格之養子トナル
 道悦

 

 家系図にはそう記されています。
 白石(道悦) 氏、道格(香江家初代) の養子となる――。なんと香江家の二代目は、白石家からの養子だったのです。
 あれ、と思いまいました。「白石」の姓は福岡で珍しいというわけではありませんが、それでも、香江家二代目となった白石道悦氏と、白石一文さんの祖先が、もしも血縁関係にあったなら……と、つい想像してしまいます。なにしろ、渡辺も香江も、血脈(あくまでも男の) を辿れば「白石」の血を引き継いでいる事実が、家系図に明記されているのですから。白石さんも私も共に福岡出身です。実際に、白石さんと血縁関係にあるかどうかは分かりませんが、私のルーツは「白石」だったと知って、特別な感情が沸いたのは事実です。
 
 白石一文さんと初めてお会いしたのは2002年8月[tcy]20[/tcy]日。小説『僕のなかの壊れていない部分』が光文社から刊行されたときでした。当時、私は文芸書の営業担当者でした。この小説を読んだ私は、なんとしてでもこの本を売るぞ、強くそう思い、行動しました。その後も、白石さんの作品の営業に、私は深く関わっていくことになります。
 私は出版社入社から退職までずっと書籍編集志望だったのですが、一度も配属されぬまま、2009年2月、とうとう書籍編集部への異動を断念せざるを得ない立場(営業管理職) に追い込まれました。その時に捻りだしたアイデアが、書店向け広報誌「鉄筆」の創刊です。この「鉄筆」誌上で連載小説を掲載して、本を作り、販売する。つまり、自分で作って、自分で売る。
 組織のルールに抗うような無茶な提案を、当時の会社はよくぞ受け入れてくれたものです。そしておそらく、白石さんはそのような行動をとる人間が大好きで、「鉄筆」創刊を誰よりも熱く応援してくださいました。もちろん、「鉄筆」に最初の連載小説を書いてくれたのは白石さんです。この試みは未完のままで休止しましたが、一年の後、白石さんから新たな書下ろし小説が届きました。『翼』です。一読、痺れました。身体を電気が駆け巡る衝撃。
「ひろあき! 起きんか!」
 と、夢の人の声も脳内に響きます。
 2010年の暮れから、2011年の大震災をまたいで『翼』の編集作業は進み、「鉄筆」誌上で連載後、6月に単行本を刊行しました。『翼』は、作品の持つ精神性(霊性) のみならず、あらゆる意味で、前職時代の私にとっての最高傑作です。
 その『翼』を文庫本として刊行し、「鉄筆文庫」を創刊することが、小さな出版社・鉄筆を起ち上げた私の最初の仕事となるのですが、この話は、また後日にします。
 
(つづく)

魂に背く出版はしない 第5回 渡辺浩章

第5回 独考独航
 
りかからず」
 詩人の茨木のり子さんが残した言葉です。
 

もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない
もはや
できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや
できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくない
ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある
倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ
(詩集『倚りかからず』筑摩書房刊より)

 

 かつて、茨木さんは早稲田大学ラグビー部のグラウンド近くに住んでいたと聞いたことがあります。だからなのか、少なくはないラグビー部員が、茨木さんの詩に接して、なにかしら影響を受けた時期がありました。私も学生時代に茨木さんの多くの詩を読み、感化された経験があります。
 
「独考独航」
 好きな言葉です。こちらは、作家の辺見庸さんが、サイン会で著書にサインをするときによく書かれていたメッセージです。
 独りきりで考え、独りでわたり歩く。私とは、人間とは、いったい何者であるのか。私の存在する世界とは、いったい何なのか。誰にも寄りかからず、独りきりで、どこまでも深く考え、生きていくほかに道はない、という覚悟の語でしょう。
 
 辺見庸さんとは、私が週刊誌の編集者時代に知り会いました。1996年3月、前年末に刊行された小説集『ゆで卵』の著者インタビューでした。
 1995年、1月[tcy]17[/tcy]日未明(午前5時[tcy]46[/tcy]分[tcy]52[/tcy]秒)に阪神・淡路大震災発生。同年3月[tcy]20[/tcy]日午前8時、地下鉄サリン事件発生。事件に遭遇した辺見さんは、当時は共同通信社に勤務、独考独航ののちに小説「ゆで卵」を発表しました。以下、インタビュー記事を抜粋。

<仕事場近くで地下鉄サリン事件に出くわす。「座り込んでいる人もいたけれどいつも通り機械的に会社へと行進している人たちもいて」テレビはバタバタ倒れる被害者たちなど分かりやすい風景しか映そうとしない。
「水槽に真っ赤な熱帯魚がひらひら泳いでいる前でへたっている人と通勤客と。異様だったな。俺だったらあの光景を撮るな」
 どんな大事件も報道されるなかで脚色されたり作りものになり、消費されていく。むしろ、〝俺〟が過ごした「食って飲んでヤッてタレて寝る」一日のひとつとして3月20日を描いた。生きてゆで卵を食べる〝俺〟とそのにおい・味が呼びおこす死の記憶。五感で受けた刺激を言葉にしたぶん、リアルだ。それにしてもベストセラーになった『もの食う人びと』の硬派な印象とは違って……助平ですね。
「人間って単層だけから成ってるんじゃないから、ね」。初めて、ニヤリ、と笑った。>
(「週刊宝石」より)

 鉄筆文庫で復刻した『反逆する風景』の精神そのままに、助平な週刊誌のインタビューに快く応じてくださいました。(『反逆する風景』は、当時も今も、私にとってバイブルです。)
 日記を繰ると、取材当日は「辺見氏取材、六本木カラオケ→ゴールデンガイ 朝まで」と記されています。辺見さんはとにかく酒が強かった。ラグビー部で胃袋も鍛えていたはずの私は、ついていくのがやっとでした。以後、おもにゴールデン街の酒場で、何度かお話を伺う機会を得ました。
 辺見さんは早稲田大学の先輩ですが、早稲田の先輩後輩の付き合いを、縦横斜めほとんどすべての繋がりを嫌っていた風に感じました。
 学生運動が盛んだったころ、辺見さんも少しは運動に参加した季節があったそうです。あるとき大学は、体育会の運動部員を駆り出して、デモ活動を行う学生を、大学構内から排除する動きをとりました。雇う大学も、請け負う体育会の学生も、どちらも許せなかった、と辺見さんは語っていたと記憶しています。
「でも、早稲田のラグビー部だけは違う。特別なんだよ。ラグビー部だけは、大学側のデモ排除に手を貸さなかった。だからお前とは飲む」
 そう聞いたとき、私はラグビー部の先輩たちのとった態度に共感し、ラグビー精神の意義をあらためて認識しました。
 そして、群をなして行動することをよしとせず、独り体制に抗う自由を追求することと、個人の自由を尊重し、何事にも寛容であろうとするラグビー精神とは、深い部分で結ばれている気がします。
 その後、辺見さんとは飲む機会はあっても仕事をする機会は数えるほどしかありませんでした。にもかかわらず、私が光文社退職を決意した時には、白石一文さん同様、熱く応援してくださいました。
 出版社・鉄筆は、鉄筆文庫の創刊からスタートしましたが、初の単行本は、辺見さんの『霧の犬』です。「鉄筆社創立記念」として書下ろし小説の原稿を託されました。編集者として、これほど嬉しいことはありません。このコラムを読んでくださっている方には、一度は『霧の犬』を読んでほしい、そう切望します。
 
 初めて辺見さんとお会いした日、私は、『ゆで卵』にサイン執筆をお願いしました。そしてもちろん、私の『ゆで卵』にも、辺見さんからのメッセージは記されています。それは、「独考独航」ではなく、「どんぶらこ」。
 どっこう、どっこう。どっこどっこ。どんぶらこ……。
 私の祖先は、遠い昔、独考独航、どんぶらこっこと、大陸から海を渡って、九州に移り住んだと言い伝えられています。なんとなく、私と鉄筆社には、「どんぶらこ」のほうが似合っている気がします。(つづく)

書籍版『片隅』発刊! 10月23日、九州限定配本で登場!

 私たちは、ここからどこへ行けるでしょうか。
 文藝は、この世界に何を実らせられるでしょうか。

 
 
katasumikatasumi-obi

 10月23日、伽鹿舎は書籍版『片隅』を発刊します。
 九州から、みなさまへ。
 
 九州の本屋さんからしか手に入れられない、とびきりの贈り物になりました。どうぞ、あなたのお手元にも、ご一緒に。
 

2-3- 巻頭詩:谷川俊太郎 画:田中千智
 ──いつの間にか片隅に立っている/私ひとりじゃない
kuro コラム「空色の地図 飛行機」 久路
 ──「空を飛ぶから」
aoki 「伽鹿舎・青木のぎゃん行こ隊/熊本城」 青木勝士
 ──「宇土櫓」を巡る長年の「謎」を解きに出掛けましょう!
kyohe 詩と写真「ザ ベスト プレイス」 坂口恭平
 ──子供だったら いつまでも君といれるのに
hagi 小説「ダメアナ」 萩原正人 画:坂口亭タイガース
 ──ダメ穴だって相当だろ? いったい何が、どんな感じにダメなのか
matusita エッセイ「友よ」 松下隆一
 ──「なるようにしかならんで。開き直るしかないのとちがうか」
isozaki 小説「時はめぐりぬ」 磯崎愛
 ──ぼくはただの絵描きですよ*ルネサンス期フィレンツェの画家のものがたり
iwao コラム「古書市のない都市から」 岩尾晋作
 ──市というのは蠱惑的な一語である。
sotaro ブックレビュー「宗太朗の本棚」 山田宗太朗
 ──「好き」という言葉は単純ではない。『猫本屋はじめました:大久保京(洋泉社)』ほか2冊
satoh エッセイ「神の島から」 佐藤モニカ
 ──つい最近、神の島と呼ばれる久高島へ行った
nian ハイパーノベル「ぼくらは未来の手の中」 弍杏 画:Rin
 ──神様、わたしはワクワクしたいの
milk エッセイ「たかなしみるく流、お一人様のスゝメ」 たかなしみるく
 ──悩みとか、迷いとか、戸惑いとか。この旅先の空に、放ってしまいたいよ。
suiko 小説「花翳の魚」 葛引すい子 画:ひらのにこ
 ──つかむ針を、じぶんで選んだ魚なのです
ino 小説「Raven」 井野裕 画:Akatsuki
 ――も、う、い、ち、ど、
syasendoh 小説「白糠セントバーナード」 斜線堂悠李
 ──私、帰って来たんだよ。白糠セントバーナードがその証明だよ、ね?
kanno 小説「銃眼」 菅野樹 画:Akatsuki
 ──少年は城壁の壁に開く銃眼から村を見た。
miyao 巻末詩:宮尾節子
 ──じゅんび は ばっちりだ

 
 手を添え、土に触れ、植えられたそれらが、もう一度豊かに広がりゆくことを。
 この、片隅から。

 
 

書籍『片隅』
2015年10月23日刊行
A5変形・フルカラーカバー・本文160頁(創刊号記念増頁!)
定価:税込1,000円
九州限定配本 ISBN 978-4-908543-01-2
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地方再生を叫ばれる今、九州に特化した本作り、をしたりはしません

 伽鹿舎について説明しようとするとき、必ず相手が言うことがある。
「いやいや、九州だけなんて、成り立たないでしょう」
「九州の作家ったってねぇ。住んでる人はあまりいませんよ」
 もちろん、そのとおりだ。
 そして、伽鹿舎は九州の人だけに本を買ってもらおうというわけではないし、九州の作家にこだわって本をつくるわけでもない。
 
 伽鹿舎がこだわるのは「九州から発信すること」「九州の本屋さんを元気にすること」である。
 
syun 来たる10月23日。
 伽鹿舎は、書籍『片隅』を九州限定配本で刊行する。
 持ち歩いてほしいから、A5変形の小さな本にした。
 厚さは1センチ程度、30ページちょっとがカラーページだ。
 巻頭に、詩人・谷川俊太郎さんにお願いして詩を掲げさせていただいた。
 「隅っこ」
 そうタイトルが付けられた詩は、福岡の画家・田中千智さんの素晴らしい画を添えて、とても素敵に仕上がった。
 熊本が誇る天才・坂口恭平さんにも、九州芸術祭文学賞を受賞した沖縄の佐藤モニカさんにもご寄稿いただいた。
 WEB連載でおなじみになっている、いつもの作家陣にも執筆してもらった。圧巻は元お笑いコンビ・キリングセンスの萩原正人さんによる書き下ろし小説60枚だ。
 とても、良い本だと自負している。きっと、楽しんでいただけると思う。
 
 たとえば東京の出版社が、東京の作家だけを取り扱うわけはないし、東京でしか売らない、わけでもない。
 同じことを、九州でやろう、というだけのことだ。
 ただ、せっかく九州に居るのだから、九州の本屋さんにまず元気でいてほしくて、九州限定配本をするのである。
 
 九州で限定して配本されたら、九州外のひとは手に入らないじゃん。
 
 そういう人もいるかもしれない。
 だが、北海道限定のスイーツを、北海道の人しか買えないじゃん、と文句を言う人はあまり聞かない。
 北海道旅行の楽しみにしたり、お土産にしたり、注文して届けて貰ったり、北海道の友人知人に頼んで買って送って貰ったり、する。
 本だって、同じことが出来るんじゃないか、と私たちは思っている。九州で作った本だから、九州の本屋さんから買ってほしい。ただそれだけだ。そして、それだけで、本屋さんはずっと元気になれる。
 あなたが九州に旅行する、あるいは出張するときに、そうだ伽鹿舎の本が買えるなと、ちょっとだけ楽しみが増える、そんな存在になれたらいいと、そう思う。
 
 もちろん、九州の作家さんは積極的に応援していきたい。
 九州の面白いものや楽しいもの、素敵なものもご紹介したい。
 WEB片隅では特にそれに力を入れていきたいと思っているし、書籍「片隅」でだって、それは盛り込んでいく。
 「あらゆる意味で」この「ご時勢」に、本がもたらしてくれるものはもっとずっと人びとに必要とされる筈のものだ。国境線は変わらずあっても、隣国も地球の裏側さえも随分と近くなった。本が与えてくれる知恵も知識もぬくもりも厳しさも、「今」を生きる人には絶対に必要なものだ。
 東京の、出版社がひしめく場所の匂いや空気の中でセレクトされ編まれて送り出される本と、地方でセレクトされ編まれて送り出される本は、少しずつ違っているだろう。それこそが、その「土地」の強味だ。
 
 九州から、みなさんへ。
 ここから何をお届けするのか、どうか楽しみにしてください。

『片隅は、そこに立てば中心になる』

 

書籍『片隅』
2015年10月23日刊行
A5変形・フルカラーカバー・本文128頁
定価:税込1,000円
九州限定配本 ISBN 978-4-908543-01-2
取扱取次:熊本ネット
九州外への通販受付書店 キルプ書房(阿蘇)
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魂に背く出版はしない 第4回 渡辺浩章

第4回 闘争の倫理

  
 私の人生に強く影響を及ぼした奇妙な人たち。藤島大さん(以下・大さん) に続いて今回ご紹介するのも、早稲田大学ラグビー部の先輩たちです。大さんと作った単行本『人類のためだ。』も、元を辿れば早稲田ラグビーが発生源です。
 そもそも私が早稲田のラグビーを志向するようになったのは、大学対抗・早明戦をNHKの生放送で観戦したのがきっかけです。1981年12月6日。いまはなき国立競技場には6万人を超える観衆が集まりました。戦前の予想は「明治絶対有利」。平均体重で[tcy]10[/tcy]キロも体格差のある明治“重戦車” フォワードを相手に、早稲田の小さなフォワードは[tcy]80[/tcy]分間ひるまず戦い抜いて、見事な勝利を収めました。私が高校2年の冬の出来事でした。
 [tcy]10[/tcy]年に一度あるかどうかの番狂わせ。その真剣勝負を目撃してしまった多くの若者が、瞬時に心臓を鷲掴みにされ、口々に感動を叫びました。しかし、私が強烈に惹かれたのは、グラウンドに立っていた[tcy]30[/tcy]人の選手のなかの、「ただ一人の男」の存在でした。
 まるで修行僧のような風貌。破天荒すぎるプレーに、私は目を奪われ、仰天し、驚愕して、どうにも惹きつけられてしまったのです。背番号は7、私と同じ「フランカー」というポジション。フォワードの一員でした。
 渡邉隆さん、愛称は「ドス」さん。福島の高校時代にラグビー経験はなく、大学入学からラグビーを始め、4年生の秋になってレギュラーの座を摑み取ったという異色の経歴の持ち主です。
 [tcy]80[/tcy]分間走りに走り、攻撃では味方を助け、守備においてはチームの先頭に立って敵へとタックルに向かう、それがフランカーです。
 早明戦における「ドス」さんの異形を今でも忘れることができません。明治FWに顔面からタックルする姿は、小獣が巨熊に飛びつき襲いかかるかのようなスタイル。早稲田にはこんなラグビー選手がいるのか。こんなプレイヤーを輩出する早稲田ラグビーとは、いったいどのようなクラブなのか。探求心が突如、芽生えてしまったのです。
 大学は慶應でラグビーを、と思っていた私は、あっさりと進路を早稲田に変更。入学してすぐラグビー部に入部すると、異形のフランカー「ドス」さんを生んだ名指導者の存在を自分の目で確認しました。大西鐵之祐(てつのすけ) 先生です(故人)。ラグビー日本代表監督として数多の偉業を成し遂げた勝負師であり、もちろん、1981年の早明戦当時の監督です。
 ところが、私の在学中には大学教授でありながら監督・コーチの立場にはなく、大病を患っていたこともあり、大西先生から直接指導を受けることはできませんでした。
 私は違和感を覚えました。私の人生を一変させた、あの修行僧にして獣のような男「ドス」さんを生んだ早稲田ラグビーで過ごす日常は、想像とはほど遠いものでした。4年時には大学選手権準優勝、日本一まであと一歩という成績も挙げました。けれども、[tcy]81[/tcy]年のあの冬の一日に直感した、何かある、というその何かを体得することは叶いませんでした。私は途方にくれました。
 ラグビーのゲームは、そこに至るまでの訓練の日々も試合も、すべてが苛酷であり、残酷です。過酷さ、残酷さゆえに、人はラグビーの本質を見失いがちです。私も見失っていました。また、技術の取得や体力向上の日々、仲間たちとのレギュラー争いに明け暮れ、夢中になり、レギュラーとなっても勝負の駆け引きに溺れ、酔いしれてばかりいました。
 ラグビーの本質とはなにか。人間はなぜラグビーをするのか。ラグビーが人間に問いかけているものはなにか。早稲田に行けばその問いに対するヒントを得られるのではないか。そのような思考に先導されて進んだ道で、私は迷子になっていたのです。
 では、早稲田ラグビーで過ごした4年間に意味は無かったのか? そうではありません。1987年、私が現役生活に一区切りをつけて5年生となった春に、大西先生は『闘争の倫理 スポーツの本源を問う』というスポーツ哲学書を刊行しました。大さんの強いすすめもあり、読みました。またもや感動しました。
「無意味な戦争に血を流すのなら、現在の貴重な平和を守るために命がけで戦う覚悟が必要であろう。」
 そのようにまえがきで述べてから、スポーツの、本物の闘争の最中に、フェアなプレーを自ら選択することのできる人間を、スポーツを通して育成するのだ、と熱く語っています。ジャスティスよりもフェアネス。ルール上は合法であっても汚いプレーをしない。真剣勝負の極限の状況下でズルをしない。倒れている相手選手を蹴飛ばしてでも勝ちたいというときに、ちょっと待てよと、自分の意思でいいほうに選択していくことができる人間を育てる。その修練の場として、スポーツという闘争の場が必要であると説くのです。
 そのためには日々どうあるべきか。「闘争の倫理」を取得する目的は何か。私が見失っていた道が、『闘争の倫理』一冊のなかに、すっかり記されていたのです。出版社は二玄社。1999年に中央公論新社が復刻するも、また絶版に。
 2015年9月、『闘争の倫理』を鉄筆文庫として復刻します。この作業もまた、私にとって必然なのです。(つづく)

【鉄筆の本】

魂に背く出版はしない 第3回 渡辺浩章

第3回 人類のためだ。

 
 今、7月[tcy]30[/tcy]日発売予定の、単行本の編集作業に没頭しています。『人類のためだ。』というのが本のタイトルで、著者はスポーツライターの藤島大さん(以下、大(だい)さん)。ラグビーエッセー選集です。
 第1章は「反戦とスポーツ」。冒頭エッセーの書き出しはこうです。
「夏、スポーツと平和を考える。スポーツをすれば平和が訪れるのか。そんなに甘くはない。」――「体を張った平和論」より。
 ナンバー、ラグビーマガジン、東京(中日) 新聞、J―SPORTS HP、スズキスポーツHPなどで[tcy]30[/tcy]年余り執筆し続けてきたコラムやエッセーのなかから[tcy]50[/tcy]篇を選りすぐり、一冊の思想書としてまとめ上げました。
 果たして、スポーツことにラグビーを観点とした反戦論は成立するのか。私が編集者として挑んだその成果については、ぜひ『人類のためだ。』を読んで確認していただきたいと思います。
 
 鉄筆社を起ち上げ、この本を刊行することもまた、私にとって必然でした。このテーマは、連載3回目にしてすでに命題になりつつあります。
 大さんとの出会いは[tcy]32[/tcy]年前。[tcy]18[/tcy]歳、私は福岡の修猷館高校を卒業し、早稲田大学に入学しました。大さんは、私が門を叩いた、早稲田大学ラグビー部の先輩でした。
 文学部5年生。4年のシーズン終了後は現役を退き、残された単位を拾う学業の傍ら、週刊誌の専属ライターとして活躍していました。卒業後はスポーツ新聞社に入社、退社後はフリーで執筆しながら、都立国立高校や早稲田ラグビー部のコーチもしています。筋金入りのラグビーマンです。
 大さんは、よく飲み、よく語る人です。私の大学入学早々から、現在に至るまでも、酒場の議論といえば、その中心人物は大さんです。大さんの記事を読み、飲んで、語って、多くのことを学びました。
「東大は真剣勝負のラグビーをすべきだ。人類のためだ。」
「われわれは戦争をしないために、戦争をさせないために、ラグビーをするのだ。」
「ラグビーをすれば、大人のズルや、きたないことが分かる人間になれる。目の前に積まれた大金を拒める人間になるために、ラグビーをするのだ。」
 こんなこと断言するスポーツライター、滅多にいません。(大さんは必ず断言します。)
 私が、名付け親の野口定男先生(前回紹介) から「新聞記者になれ!」と言われたにもかかわらず、出版社(光文社) に就職した理由の一つは、大さんの次の言葉があったからです。
「新聞は自由に書けない。」
 大さんの実体験を経たこの言葉は、私の進路に強く影響を及ぼしました。(実際は、出版社ですらも自由は消滅しつつあります。)
 
 これは、ずいぶん後になって知ったことですが、大さんの父親と私の父(第1回で紹介) は福岡の唐人町という海辺の町(当時) で共に育ち、家も近く幼馴染? だったのだそうです。そして二人とも、修猷館高校に進学し、ラグビーを覚えました(同級ではありません。) 高校卒業後は、大さんの父親は早稲田へ、私の父は立教へ。最上級生の時には両者ともラグビー部主将を務め、「早稲田には一度も勝てなかった」と酔うたび必ず悔しがる私の父は、大さんの父親に嫉妬し続ける人生を送ってきました。
 大学卒業後、大さんの父親は共同通信社に勤め、早稲田ラグビーの監督就任時には日本一を達成しています。私の父親は保険会社勤務を捨てて独立し、突如、立教大学ラグビー部監督となり「明治には勝った」というのが自慢です。とくに対照的でもない二人なのでこれ以上のエピソードは記しませんが、その息子たちが今、出版業界で共同作業を始めたことは、当事者の私にとって、とても感慨深いものがあります。
 出版社にももはや自由は存在しないと見切りをつけ、自由を求めて独立し、いよいよ大さんの本を編集し、出版する……。
 これは、必然なのだ、と。(つづく)

 

【鉄筆の本】

魂に背く出版はしない 第1回 渡辺浩章

 世の中に、出版社は星の数ほどあります。いわゆる五大出版社を除けば、あとは小さな出版社がひしめいているのが出版業界です。
 そんななか、本当にごく小さな出版社さん、敢えて地方である九州でがんばっている出版社さんに、今この時代に出版社をやっていることの意味を、是非とも語っていただきたいな、と思い立ちました。
 トップバッターで登場してくださったのは、福岡出身の渡辺浩章さん。やわらかい物腰の渡辺さんは、いたずらっぽく目を輝かせて、伽鹿舎を応援するよと言ってくださいました。その渡辺さんに、お忙しい中、お願いしてコラムを執筆していただきます。
「100年後に残る本を」と、しっかりした目で選び抜いた本を出版する「鉄筆」さんの物語、ぜひ、堪能してください。(加地 葉)

 
 
第1回 カネに魂を売るな
 
 誰にでもありえることだと思いますが、半世紀余りの人生の中で、私にもいくつかの運命的な出会いがありました。それらはすべて、[tcy]50[/tcy]歳を目前にして小さな出版社「鉄筆」を起ち上げたことに強く影響を及ぼしています。
 ですから、「何故出版社をやろうと思ったのか、出版社とはなんだと思っているか」についてお話しするには、私が運命的に巡り会い、影響を受けた人たちについて語ることを避けて通れないのだろうなと思っています。
 また、「どのような本をつくりたいのか」という問いに対しても同様です。創業して最初の仕事が鉄筆文庫の創刊となったいきさつや、「魂に背く出版はしない」という奇妙な社是を掲げた理由などについて説明しようとすれば、やはり、先に述べたような人たちとの出会いについてお話しするのがもっとも分かりやすかろうと考えている次第です。
 今回、小さな出版社・在九州の出版社によるコラム用に原稿を書け、と加地さんに熱心に誘われましたので、私は在九州ではないけれども福岡出身者であるし、確かに弱小出版社を経営してもいるので、加地さんの期待に応えられるようなものを書けるかどうかは分かりませんが、与えられたテーマにできるだけ沿った内容になるようにこれから執筆していきたいと思います。
 
 私が出会った運命の人たちは、みな奇妙な人たちでした。そして、私が最初に出会った奇妙な人は、私の父です。
 私は1964年に北海道の札幌で生まれ、翌年には父の転勤に伴い福島に移住しました。ですからもの心ついた土地は福島です。社宅の庭先には犬小屋があり、私は縁側に座って犬に向かい何かものを投げつけたり、話しかけたりした記憶が残っています。父の運転する車の後部座席に座って毎日のように郊外へ出かけては、野山を駆け回っていました。昭和[tcy]40[/tcy]年代の福島は、私の記憶では相当な田舎でした。そして父は、平日の日中に会社を抜けだして子どもと遊んでいたのです。
 父にとっては、夜の酒場こそが仕事の主戦場でした。父は生命保険会社の営業職であり転勤族でした。福島に異動した時には[tcy]30[/tcy]代後半で、日本各地の営業所を相当渡り歩いていたようです。行く先々の酒場で挌闘した結果として、これまた相応のつけが溜まっていたそうです。
 父は[tcy]40[/tcy]歳目前にして、突然会社を辞めてしまいました。会社の方針に納得できず、上司に反発した結果なのだそうです。とても潔い話に聞こえますが、その後の生活の保証はまったくありませんでした。しかも飲み屋のつけは大量に残ったままでした。
 無計画のままに夜行列車に飛び乗って、一家で東京に移動をしました。巻き込まれた妻子を憐れに思った父の大学の先輩が、自分の会社の社宅を住処として提供してくれたそうです。そのような状況下にもかかわらず、父は突如、母校の大学ラグビー部の監督を始めます。仕事はどうしたかというと、周囲のすすめもあり、保険の代理店を開業しました。当時としてはまだ珍しかった代理店業ですが、多くの仲間の協力もあって、いつのまにか親子5人が暮らせるほどには成長しました。しかし、それでもまだ飲み屋のつけは大量に残っています。これをどうするか、それも問題でした。
 父は福岡の唐人町というところで生まれ育ち、高校卒業までを地元で過ごしました。幼馴染の中には地元の名士も大勢います。そこから自然に知恵も集まり、開発中の宅地を購入して、金融機関から購入資金を借り、その一部をつけの支払いにあてる、という方法が父に提案されました。父は実践します。そして、すべては解決、解消されました。
 そんな父がよく口にしていた言葉があります。
「金の力に負けるな」
「金に魂を売るな」
 お金に執着しすぎてはいけない。お金の誘惑に負けてはいけない。金儲けの誘惑に負けて人間として大事なことを見失ってはいけない。お金なんかに人生を左右される男になってはいけない。事あるごとに父は息子につぶやき続けました。
 私が[tcy]50[/tcy]歳を目前に大手出版社を辞める決意を固めた際には、打算なく突然会社を辞めた父の行動と、このお金に対する父の姿勢とが、もっとも参考になりました。多くのひとから無謀と言われながらも会社を辞めて独立する私に最も影響を与え続けた人物は、奇妙な私の父なのでした。(つづく)

 
画:井上よう子「希望の光」
 

【鉄筆の本】

神様にむかって、書くと思う ──夢枕獏(作家)

先日、作家の夢枕獏氏のトークショーに参加した。
東京駅のまん前、八重洲ブックセンターさんで行われたものだ。
夢枕獏氏を知らない、という人はめったにいないと思うのだが、それでも映画「陰陽師」の原作者であるといえば大体「ああ!」と言っていただける、そういう作家だ。
加地は夢枕獏という作家がとても好きで、トークショーがあると聞いた瞬間、参加を決めた。
これがまた、面白かったのである。

敬意を込めてこう呼ばせていただくとして、獏さんの作品というと、加地にとっては「キマイラ」が真っ先に来て(これは父が買っていたので知ったのであった。まだ続いている) 餓狼伝にせよ、伝奇や格闘技の人、という印象が強かった。エロとグロと暴力の、ほとんど生命力というものが形をとった、としか思えない物語世界が構築され、それは力強く、随分と切なく、馬鹿らしくも爽快で明るさのなかに底知れぬ闇がある、そんな物語群だった。
が、そこへ「陰陽師」が登場した。
淡々とした筆致の中に四季折々が息づいて、軽妙なやりとりと歯切れの良い文章にするりするりと読まされ、得も言われぬ術に掛かったように呆ける、不可思議で美しく妖しく怪しい愉快な小説だった。こんな風にも書ける人なのかと驚嘆したわけである。そういえば、こんな風に思った事は記憶に新しかったはずなのに、この作品もかれこれ既に三十年近く書き継がれている。

獏さんは、エンタメ作家だ。

ただ、と加地はいつも思う。
エンタメと純文学と、何がそこまで違うというのだろう。
面白い作品は面白さの種類が違うだけでどちらも面白いのである。古典と文豪と現代作家と、何が違うというのだろう。素晴らしいものは素晴らしいし、読むことの価値に軽重はない。

言ってしまえば、すべての小説は謎をはらんでいる。
作家が何を言いたいのか、何を現出せしめようとしているのか、それは絶対に読み終わるまで解けない謎だ。
だったら小説というものは全部がミステリだと、言ってしまっても嘘ではあるまい。加地は、そういう意味での広義のミステリが本当に好きだ。

実は昨年、大分のカモシカ書店の店主と呑んだ時に「現代作家とか、小説とか、読む理由がちょっとよくわからない」と言われた。哲学書や古典でいいじゃないか、ほかに何が必要だというのかと。
彼は哲学科を出ており、彼の哲学に従って古書店を営んでいる。
「すべての小説は哲学を孕むでしょう」と加地は答えた。
どんな文章も、小説でなくとも、必ず哲学を孕む。文章というものは書き手の意志で紡がれるのであり、何をどう繕ったところで、その繕ったという事実さえもが書き手の哲学を反映する。哲学のない人間は存在しないし、ぼくは哲学なんてないですよという人には哲学などないという哲学があるのだ。
現代を生き、ましてや小説を書いて何事かを世の人々に読ませたいと思う人間の書いたものはその人の哲学を反映している。だとしたら、それを一切知らないまま『哲学』を語っても、絶対に何かが足らない筈だ。
加地はそう思うから、すべての小説を、出来る限りたくさん読みたいし広めたい。

娯楽小説に、そんな大層な意義はないよ、とは、書き手さえそう言うことがある。
無論、正しい。
たとえば獏さんも、とある事実と事実を結び付けて「なんと、そんなことになっていたのか!」と発見した際に「これで小説一本書ける! 書けないわけがない。これで小説書けないとか嘘でしょう」と思ったと笑って語った。
ただただ「面白い!」と思い、思いついたことを提示したいがために書かれる小説も、もちろんあるし、それは実に面白い。
だが、それだって哲学は孕むじゃないか。書き手が意図的であるとかないとか、そんなことはどうでもいいのだ。

加地は小説が好きだ。
面白かったり深かったり悲しかったり愕然とさせられたり、感情を揺り動かす小説というものが好きだ。
だからこそ、自分でも書いてみたいと思ったし、書いていた。
加地の場合は、だがそれは読者ありきの創作だった。読んだ人が面白いと言い素晴らしかったと言い、もっと読ませてくれと言ってくれるからこそ書いていたのであって、もしも誰も読まないのなら、自分ひとりで考えて考え付いただけで楽しくてそれだけでいい。
だが、獏さんがこう言った。
「ぼくは、人生をもう一回やってもいいくらい、書くネタあるんだよ」
なるほど、ネタだけなら加地にだって多分、ある。しかし獏さんの言葉は更に続いた。

「ぼくはね、無人島でだって書きますよ。誰もいなくても、うん、神様に向かって、書くと思う」

これが作家だ、と思った。
『片隅』で、小説を掲載する際には、『作家』であることを、何より求めたいと、そう思っている。

Photo:「キロクマ」御船町の菜の花