【出版社物語】伽鹿舎:本恋う鹿は笛に寄る 第7回

可能性と現実の話
 
 レーモン・ルーセルの「アフリカの印象」を抄訳とはいえ新訳で、と打診するに当たって、まずは誰か翻訳者を紹介して欲しい、と思って高橋啓先生に話を振った。
 高橋先生はご自分への依頼と思われたようだ。即座に「無理」と回答があった。ルーセルは難しいし、ましてや抄訳となると随分とやりにくい、というのがその理由だった。
 そのまま高橋先生とは「幸福はどこにある」を再刊する話に進んでしまったので、ここで道は一度途切れてしまった。いや、ある意味では違う道が開けたのだが、少なくともルーセルをどうするか、は宙に浮いた。
 普通そこで諦めませんか、とのちに色んな人に言われたのだが、基本的に伽鹿舎の方針は「縁があればどこかで勝手に繋がる」である。結果的に、そうなった。
 
 WEB片隅で素晴らしいロシア文学に関するコラムを連載していただいた沢月先生が、ご自分の伝を頼ってたくさんの方に打診してくださったのだ。
 途中、松本和也先生が思いがけず「翻訳とは関係ないけれども、評論やりたいです」と申し出てくれるなど、素晴らしい出会いもあった。
 最終的に、辿り着いたのが國分俊宏先生で、これは願ってもないとんでもない素晴らしい話だった。國分先生はフランス文学に関しては名の知れた方だ。光文社古典新訳文庫でのゾラの翻訳は素晴らしかった。
 是非、お願いしたいと思ったが、ここでまたもや問題があった。
 
 そもそも、伽鹿舎は採算がとれない。とれない以上、最低限の部数しか発行できない。だからと言って、本の売価が高くなるのは「本に親しむ人を増やしたい」という目的に反する。
 伽鹿舎が身銭を切っているのは全く問題ないが、作家や翻訳者に身銭を切らせるわけにはいかない。すでに名だたる仕事を成して来ている方への当然の敬意としても、それは出来ない。出来ないのだが、いかんせん部数は少ない。
 正直に、申し出た。恐らく千円前後の売価で、3千部程度しか刷ることが出来ず、新訳していただく労力には、とても見合わないと思います。なんとか8%の印税は確保したいと思うのですが、いかがでしょうか?
 國分先生は、構いませんと言ってくださった。驚いた。この頃では随分と配慮いただいたほうだと思いますともおっしゃった。二度驚いた。
 本を取り巻く情勢は、やはりとてつもなく、悪いのだと身に染みて実感した。
 
 少し、考えてみて欲しい。
 一冊の本を書くのに、どれだけの時間が掛かるだろう。同時に、その書かれた外国語の本を訳すのに、どれほどの労力が掛かるだろう。
 数ヶ月、年単位で取り組むことが多いのは自明だ。なのに印税と来たら高くても[tcy]10[/tcy]%である。
 これが翻訳となると、原著者や原出版社への印税や手数料だって掛かってくるから、勢い印税の率が下がらざるを得ない。
 印刷代は、どんなに足掻いたところで一定の額からは下がらない。下がらないはずだ。原版を作るのには十万部だろうと1冊だろうと同じだけの費用が掛かる。そこを無理に下げている印刷所がないとは言わないし、下げさせる出版社がないとも言わないが、そんなことをしていたらいずれ出版文化は死滅する。絶対にそんなことをしてはいけない。
「本って高いじゃん」
 という人をたくさん知っているし、あまつさえ作家志望の人ですら「高いから買いません」とにこにこしていたりするが、正直、それはちょっと待って欲しいといつも思う。
 あなたが、半年ずっと根をつめて創り上げたものに対して、例えば10万円しか貰えなかったら、これは職業として成り立たない。違うだろうか?
 だが、今の出版は、そういうふうに出来ている。
 せめて、せめてももう少しマシなことにしたい、と伽鹿舎では思っている。素晴らしい仕事をした人に、その仕事に見合うだけの対価はお支払したい。
 言ったところで、ない袖は振れないのが現実だ。今できる限度一杯をやって、いずれもっと報いられるようにしたい、と願っているし死に物狂いだが、その前に力尽きる可能性もそれなりに高い。いかんせん、伽鹿舎は非営利団体に過ぎず、青木の言葉を借りれば「江戸時代みたいなもの」で、儲けも手間賃も度外視、ないものとして、ただただ本を世に送り出すことしか出来ていないし、それも手持ちの資金が尽きたところで終わりなのである。
 
 いやいやいや、と思われた方があると思う。
 3冊も本を出版してるんだから、その分の利益があるでしょう?
 実は、ない。
 「片隅」については、知名度もなく実績もない伽鹿舎がどんな本を出したいと思っているのか知っていただきたいと思って、完売しても利益が全部で100円くらいしかない、という設定になっている。
 そんな馬鹿なと思うかもしれないが、「片隅」は01が千部、02が12百部である。
 たとえば片隅の装丁だと、印刷代にはおおよそ55万円くらいが必要で、これは1も2も同じだ(それにしても、藤原印刷さんだからこれで済んでいるのであって、本当ならもっと掛かっている筈だ)。一冊単価が千円だから、そもそも全部売れたら百万円なわけだが、印刷代を除けば既に半分以下の45万円になる。そこから原稿料と装画の使用料を払い、著者謹呈分をお配りすると、実は何も残らない。残らない上に、伽鹿舎が売価の千円受け取るケースは直売に限られていて、書店には7掛けで、取次には5掛け(手数料を引くとそのくらいになる) で卸しているから、マイナスになるのである。
 そんな馬鹿な商売があるか! と思われる向きには全くその通りですとお答えするしかない。そうしてでも、「千円で買ってもいいと思える本」を作りたかったのだ。
 物としての価値について、今の世の中はとてもシビアだ。豊かになって目が肥えているし、一昔前では考えられないくらい、インテリアにだって誰もがこだわるようになった。限りなく上質なものが求められるし、本のように「生活必需品」でないものには、純粋に娯楽として楽しめる、知的好奇心を満たす、などというだけでは足らず、物として持っていたいと思わせる価値がなければ、千円を出していただくのは難しい。
 ましてや、「片隅」には新人さんを多く起用している。原稿料の兼ね合いの問題も無論あるが、そもそも新人が世に出る場を作りたくて始めたのだから、出来るだけ新人さんをたくさん載せたい。となると、本が好きで本を読む人にとっては冒険になる。伽鹿舎同様、海のものとも山のものともしれない作家、作品に、千円を出していただかなくてはならない。
 谷川俊太郎先生の新作の詩が載っているだけで千円安いですよ、と言ってくれる方も勿論ある。あるがしかし、大多数の「別に本なんかなくても困らない」人にとってはそうじゃない。千円あればサービスデイに映画が見られるし(厳密には消費税分足らないが) 特売のTシャツがどうかしたら2枚買えるし、ちょっといつもより良いランチが食べられたりもする。それらを押しのけて、「片隅」に千円出してもらうと言うのは、とてつもないことだ。
 だから、何一つ妥協しないギリギリを詰め込んだ。自分たちなら持っていたい、持ち歩きたい本にした。リビングにぽいと置いておいても絵になる、素敵なカフェで広げても絵になる、そういう本にしよう、と思って作った。本に親しみのない人でも、気軽に読めるものにしたかったし、案外、文章を読むってのも悪くないなと思って欲しかった。
 本が好きな人は、抛っておいても本を読む。本に興味のない人に、本を手に取らせなければならない。そう出来るかもしれないものを作ろうとして、「片隅」は完成した。
 だから、マイナスでも良いのだ。良くはないが、伽鹿舎という出版社を知って貰うための投資だと決めてそうしたのだ。
 勿論、そんなことだけやっていたら単に貯金が尽きて終わるだけの話になってしまうから、そうならないために、片隅を刊行する合間に単行本を出すことにした。
 片隅には著者が多い。勢い、著者献本の冊数も多いし原稿料もケチらなくてはならなくなって作家にも相当申し訳ないことになっている。
 単行本なら話は別だ。著者、エージェント、翻訳者、デザイナーに画家、頑張ればこのくらいの相手だけでいい。
 たとえば、「幸福はどこにある」は、著者と原出版社に6%程度の使用料を払った。間に入ってくれたエージェントには送金から手続きまでしていただいて、それらの経費もろもろで3万円程度の手数料にしていただいた。掛かったのは売価千円の本を2千部だから、15万円程度だ。翻訳家の高橋啓先生には8%で諒解いただいた。既に刊行されたものの再刊だから、これで呑んでくださったのだと理解している。他に、素晴らしい装画を提供してくださった田中千智さんに画像使用料を払い、あの誰もが驚くカバーのアイデアをくださったテツシンデザイン事務所さんと、合わせて十万円程度。印刷代はざっと75万円に納まった。
 つまるところ、経費は120万円程度だ。これまた、全部売れたら200万円だが、実際には取次から55%、直取引先から平均65%の入金になるので、利益は知れている。
 ついでに、取次というところは1500部卸しても、まずはその半分の仮払いなので、750部の55%、要するに殆ど4分の1しかお金は入ってこない。
 次の本が出るまでに、全部売れて全部回収できたりは当然しないし、しかし経費は払わなくてはならないから、爆発的なベストセラーを生み出さない限りは一年365日常に資金繰りを考えていなければならないのだった。
 
 なんという夢も希望もない話だ! と思われるかもしれない。
 ここに普通どおり社員の給料を賄おう、などと考え出したらもっと悲惨だ。
 これでも本が高い、と思うだろうか。勿論、生活必需品としては高い。払わなければ払わないでも済むからだ。
 ただ、「よく生きよう」とするとき、本は必需品だ、とそう思う。
 それはどんなに低俗でくだらないといわれる本であっても、「よく生きる」為には必要なものだ。その人がそれを読み、何かしらを考え、あるいは笑い、あるいは憤り、あるいは悲しんでいる時間は、その本を読んでしか得られないものだからだ。
 人はただ食べて飲んでさえいればそれでいい生き物ではない。そうであってはあまりにも淋しい。
 
 だから。
 伽鹿舎は本を作る。作らせてもらえる間は、作って届ける。
 熊本地震に見舞われた九州で、本に何が出来る、と言われても、何もない場所から立ち上がる力をくれるのも、また本であって欲しいと思う。
 どうか、「本なんて」と思うあなたのところにこそ、届いて欲しいと願っている。
 夢はしばしば現実に押し潰されるけれども、それでも撥ね退ける力もまた、本が持っていると信じてやまない。
 
(つづく)

【出版社物語】伽鹿舎:本恋う鹿は笛に寄る 第6回

『クラフトブック』をやりたいんだ――
 
 この度の大きな地震に際し、たくさんの励ましの言葉、ねぎらいと応援をいただきました。
 ここに厚くお礼申し上げます。
 徐々に日常を取り戻しつつある地域がある一方、未だ非日常の真っ只中に取り残されている地域もあります。
 伽鹿舎の熊本スタッフは、地域への支援を直接的に行うことの出来る仕事が本業です。精一杯、取り組むことで熊本の為になると信じます。
 それとは別に、伽鹿舎として何が出来るか、ゆっくり考えています。目の前の傷が塞がって、それで終わりでない事を、私たちはもうとっくに知っているはずなのです。911も311も、それを深く刻んでいきました。
 ひとは、目の前にないことに思いを馳せることがむずかしいものです。
 ですが、ひとは、ひとだけは、知らないものを、ありもしないものを、そしてあるかもしれない現実を「想像」することが出来ます。
 文藝は、きっとそれらのために、何かが出来るのだと、そう思っています。
 
 
 
 前回、この連載は「印刷所探し」で終わっていた。
 結論から言えば、印刷所は長野の藤原印刷さんになった。
 出来ることなら印刷も九州で、と考えたが、そこは「片隅」である以上、輸送費その他の条件で、どうやっても経費が嵩んでしまうのだった。
 伽鹿舎のやり方がうまく行けば、九州で本を作ることはもっと増えるはずだ。そうやって需要が出来れば、いずれ印刷をめぐる情勢だって変わる。
 その為に、まずは無理せずお願いできるところにお願いしよう―― そう決めて、全国幾つかの印刷所に問い合わせをした。
 基準はわがままだった。面白い印刷を手掛けているところが良かったし、印刷は当然綺麗でないと駄目だった。いわゆる写真集を手掛けられる精度のあるところ、というのが一つの基準にもなった。
 気に入った手持ちの本を引っ張り出し、奥付の印刷所を片っ端から確かめた。
 そうやって、辿り着いたのが藤原印刷さんだ。
 ためしにお願いした文庫3千部の条件に、余所の半額程度の見積りが返ってきて正直に言えば目を疑った。
 本当にこれで出来るのですかと言った加地に、藤原さんは笑って言ってくれた。
「面白いことには、参加しなくっちゃ! 応援しますよ!」
 今となっては、藤原さんはこれを少し後悔しているのでは、と疑っている伽鹿舎だ。何しろ、一冊目からとんでもない苦労を掛けることになった。この紙が良いだのああいうのが良いだの、軽くなきゃいやだだのカラーと一色で紙を変えたくないのでどちらも映える紙、だのと好き放題に注文をつけた。奔走してくださった藤原さんがいなければ、伽鹿の本は出来上がらなかった。ありがたすぎて、いつかもっと、たくさんの注文が出来るようになることで恩返ししたいと思っている。
 何故、長野なのか、と思ったが、長野は印刷の歴史が長い。切磋琢磨されていく中で、安価で上質な印刷をするところが生き残っているのだと、そう聞いた。いわば、印刷の町、だ。九州だって、だったら本の島になれるに違いない。
 
 伽鹿舎の本は、出せる、と目処がたった。
 印刷所が決まり、流通方法が確保され、入稿データを作成する技術はある。よし、作ろう、と思った。
 坂口恭平さんの絵のレーモン・ルーセルは、絵が届いてから考えるしかないし、そもそもせっかくなら新訳でやりたい、と欲張った。
 絵が百枚もある以上、最低でも百頁あるわけだから、大長編であるルーセルの「アフリカの印象」をそのまま収録するには頁が嵩みすぎる。第一なにより、平凡社ライブラリーさんから岡谷公二さんの訳で最高の本が今も出版されている。やるんだったら新しいことをしないと意味がない。じゃあ、と考えて、抄訳かつ新訳、に辿り着いたのは必然だった。
 恭平さんの絵と印象深い一節を並べて、詩画集であるかのように作るのがいい、と思った。
 ルーセルは難解だ。内容がというより、言葉がそもそも難しく、かっちりしていてとっつきにくい。それの何が面白いのかを伝えるための、軽くて楽しい本にしようと思った。何しろルーセルというひとは言葉の魔術師で、言葉遊びから「アフリカの印象」を作ったのだ。アフリカになど、彼は一度も行ったことがない。
 アフリカに一度も行った事のないフランス人が書いた言葉遊びの、しかし何故だか堅苦しくて難解な(そこが面白みなのだけれど) アフリカの小説と、アフリカに一度も行った事のない日本人の坂口恭平がルーセルの本を読んだだけで好き勝手にイメージして描いた絵。
 こんな愉快な組み合わせはそうそうない。
 とにかく新訳に挑んでくれる翻訳者を探さねばならない。これは長期戦になることが容易に想像できた。だが、やりたかった。そうでないなら出さなくて良い、とまで思った。
 なぜなら、伽鹿舎は「自分たちが欲しい本を創る」ためにあるからだ。
 
 この「自分たちが欲しい本を創る」というシンプルに過ぎる欲求は、実はクラフトビールに似ているな、と思っている。
 今や日本でもすっかり定着しつつある「クラフトビール」は、元はといえばアメリカで始まった。
「自分が飲みたいビールがアメリカにはない」
 アンカー・ブルーイング社のフリッツ・メイタグ氏がそう唸って始めたのがクラフトビールであるらしい。
 それは徐々に広まり、「自分たちの飲みたい味」「自分たちの飲みたいスタイル」を目指すクラフトビールは紆余曲折の後、市民権を得ることになる。
 既存のものでは満足できないなら、自分でつくればいいじゃない!
 クラフトビールに出来たことが、本で出来ないとは思わない。
 伽鹿舎がやろうとしているのは、いわば「クラフトブック」なのだろう。
 熊本に伽鹿舎が、他の土地には他の出版社があって、それぞれにご当地でしか買えない本があったら愉快に決まっている。
 本を求めて日本中をふらふら旅し、旅の合間に本を読み、ご当地の美味いものを食い、自然に触れ、面白いことを体験する。
 そういう生活が当たり前になる未来を信じている。
 
 こんな風に、伽鹿の本作りは始まった。
 
(つづく)

空色の地図 ~台湾編~12 かき氷 久路

 沖縄を僅か南西へ下った場所に位置する台湾の夏は、暑い。それはもう、容赦なく暑い。陽の高いあいだは、日傘やサングラス無しに歩くのは無謀とも言うべきで、とりわけ暑さに弱い私などは、冷房の効いた店から漏れ出る涼風を僅かでも浴びようと軒先ぎりぎりを歩いたりもする。湿気と陽射しと、車やバイクの排気ガス。道を歩いているとそれらが一斉に熱風となって襲ってくるのだから、少しくらい冷房のおこぼれをもらったとしても、バチは当たらないだろう。
 日が暮れてからは、肌を突き刺すような陽射しはないものの、アスファルトから立ち上る湿気と熱は日中以上だと感じる。それでも幾分か歩きやすいのは事実で、暗くなった頃を見計らって夜市へ繰り出すことにした。道の両脇にずらりと並んだ屋台をひやかしながらそぞろに歩いていると、「雪花冰」という看板が目に飛び込んだ。
 雪花に冰とはどういう意味だろうか、と近づいてみると、色とりどりのフルーツをのせたかき氷の写真があった。スイカにマンゴー、パイナップルなどの南国フルーツもあれば、小豆やタピオカといったトッピングもある。そう言えば「冰」とは「氷」の意だ。雪花はさて、雪片のことだと思うが、何はともあれ蒸し暑い上に人混みで更に熱気の増した夜市、氷を食べて涼を取るのは良いアイデアだと、屋台の軒先に並べられたテーブル代わりの長机に友人と向かい合って陣取った。
 すぐさま店の人が注文をとりにやってきた。迷うことなくマンゴーがどっさり盛られた写真を指さす。店員がひとさし指を立てて「ひとつ?」と言うので、ひとつ、と日本語で答えた。大きく頷いた店員が、程なくしてかき氷を運んできた。
 目にした瞬間、わあ、と二人思わず声が出る。カレー皿くらいの大きな皿に、どっさりと盛られたかき氷。さらにその上へこぼれ落ちんばかりに積み上げられたマンゴー。写真のまま、いや、実物の迫力はそれ以上だ。普段食べているかき氷の倍以上のボリュームで、わあ、という声は、感嘆も勿論だがこの大きさを果たして食べきれるかという不安も含んでいた。
 二つ添えられたスプーンをそれぞれに手に取り、かき氷の山に差し込んでみる。ふわ、とまるで上等な雪のような、手応えとも言えないそれに、友人と目が合う。驚きはそれだけではなかった。マンゴーソースと練乳のかかった氷は、匙で口に運んだとたん、舌の上で消えたのだ。さわやかな甘さと冷たさだけを残して解けて無くなった氷は、文字通り「雪花」だった。その不思議な食感の虜になり、友人と争うように氷の、いや雪の山へとスプーンを差し込んでは口に運ぶ。マンゴーの甘さと酸味もさることながら、雪花冰自体も杏仁ミルクの味がしてほの甘く美味しい。こんなかき氷がこの世にあったのか。
 皿はあっという間にカラになった。ひと皿ずつでも良かったねと笑いあい、友人と席を立つ。かき氷で涼んだ私達の足取りは、さっきよりも数段軽くなっていた。
 その後も台湾へ行くたびに色んな店でかき氷を食べ歩くようになった。だが涼しい店内で食べるものよりも、うだるような暑さの中屋台でかき込む雪花冰が、やはり一番美味しいと思うのだ。

魂に背く出版はしない 第8回 渡辺浩章

第8回 未知との遭遇

 
 前回の投稿日を見直すと[tcy]12[/tcy]月5日となっているので、3カ月近くこの連載をさぼっていたことになります。そこで、今回は読者サービス? のつもりで少し脱線して、筆を滑らせてみようと思います。
 これまで、私の出版活動に強く影響を及ぼした身近な人々について書いてきました。そこで今回は、強く影響を受けたけれども縁もゆかりもない人ども、さらには現実には存在しないと思われているもの、たとえば幽霊、つまり未知との遭遇について、その実体験を簡潔に書いてみます。なぜこのような書き出しになるかというと、鉄筆の社是「魂に背く出版はしない」にある魂について、さらに理解を深めてもらうことができるのではないかと期待するからです。
 
 最初のお話は、二十歳のころの真夏の夜の出来事です。私は大学三年生。ラグビー部の練習はオフでした。それでも夜になると自主トレを行う者が少なからずグラウンドに集まって、夜間照明の下で汗を流していました。
 熱帯夜でした。私は自主トレを終えてシャワーを浴びて、部室でタオルを手にしていました。そのとき、尋常でない蒸し暑さに耐えきれず、私は裸のまま部室の外に出て、身体に夜風をうけて涼むことにしました。
 部室の出口から眺めると、ラグビーグラウンドの手前にはサッカーグラウンドがあり、そのサッカーグラウンドのタッチラインに沿って走る人影が眼に入りました。白いTシャツが一人静かに走っています。
 時刻は0時だったか1時だったか。それ以前にはサッカー部員の自主トレ姿を見かけなかったので、こんな深夜になって自主トレを始めるとは熱心な人だ、と感心しながら見つめていました。走るフォームが良い。体格も良い。これはなかなかの選手に違いない、と私は直感しました。
 大向こうを左回りに走る白いTシャツはコーナーを二つ曲がって私の前を通りすぎ、階段状になっている観戦用スタンドの裏に姿を隠しました。そのまま直進するとラグビーグラウンドに突入するから、次のコーナーを曲がってまた姿を現わすだろう、と熱帯夜の風景を凝視します。けれども[tcy]10[/tcy]秒……[tcy]20[/tcy]秒……いくら待っても白いTシャツは現われません。
 転んだのか。それともスタンドに腰掛けて休んでいるのか。[tcy]30[/tcy]秒も過ぎたころ、私は一歩を踏み出して、スタンドの裏側を覗きに行きました。白いTシャツの姿はありません。
 さてはラグビーグラウンドまで走っていったかと、そちらにも足をのばしてみましたが、そこにも白いTシャツの姿はありません。これは、その先の塀をも乗り越えて、いきつけの飲み屋にまでも走っていったに違いない。この熱帯夜に汗を流してから飲むビールはさぞかし美味しいことだろう。そう結論づけて私は帰路に着きました。
 
 ラグビー部の寮に帰ってみると、予想外な深夜の賑わいが待っていました。笑顔なき賑わいです。聴けば、サッカー部の先輩が夜の首都高速で交通事故に遭い即死したのだといいます。それから先の話は上手に聞くことができませんでした。関東代表でもあり将来はもっと上の代表を狙えるほどの名選手だということをかろうじて理解しました。
 事故の状況などを聞いている最中、白いTシャツの自主トレ姿が脳裏に浮かんできて、動揺し、身体は凍えて震え、涙が止まりません。そのときに私は何を思っていたのか、これは当時も今も上手く表現できません。
 先輩の魂はそれからは、昼夜の別なくグラウンド近くを彷徨っては皆を驚かせ、ついには神主に鎮魂されていったと聞きます。先輩の魂は成仏したのだと聞かされたとき、思いが一つ生まれました。ああ僕は、たとえ明日死んでも悔いを残すことのないように生きよう、と。先輩は悔いを残しただろうか? そもそも自分が死んだことに気づいていなかったのではないだろうか……。
 
 明日死んでも悔いを残さぬよう生きるというのは、なんだか潔い生き方に思えますが、では具体的にはどのような生き方をすればよいのかと考えてみると――これはなかなかの難問です。目標に向かって努力を重ねて、レギュラー選手になったとしても、ライバル校に勝利をしても、たとえ日本一になったとしても(実際には決勝戦で負けました)、その瞬間、明日死んでも悔いなし、とは実感できないものです。多少の達成感を得ることはあっても、その先の生に思いが及んでしまいます。
 生きるとは何か。人間は自分一人幸せに生きるだけでなく他者の幸せのためにも生きなければならない。しかし生きるために人間は他の生物の命を食らう。人間は食うために他者の命を奪うばかりか、昔も今も、人間相互の殺しあいまで行っている。大規模な紛争となれば想像を絶する数の飢えに苦しむ人間を生みだしていく。このような世界で人間の生きる意味とはいったいなんなのだろうか。
 そのようなことを考えているときによく思い浮かべるのが、フランスのノーベル文学賞作家ロマン・ロランが戦争に対する強い怒りを込めて描いた恋愛小説『ピエールとリュース』です。昨年末にこの小説を鉄筆文庫で復刻しました。第一次大戦から第二次大戦にかけて、ロランは実生活において、このような問いに対する一つの答えであるかのように、ヨーロッパでの反戦運動を主導しました。『ピエールとリュース』を読み返すたび、同時代に生きることのなかったロランの魂に接近していく気分が生じます。
 私の場合、前述のような問いに対してもっとも密接に関連してくるのは、宮沢賢治の思想です。(当然ながら賢治とも出会ったことはありません。)その気分を賢治風に言い表わすとすれば、ぜんたい人々がみんな幸福にならないかぎり、私の幸福もありえない、というふうになります。これもまた難解な問いです。
 
(つづく)

 

【鉄筆の本】
新刊!

九州限定文藝誌『片隅02』 4月23日発売!

 私たちは、ここにいます。
 
 
katasumikatasumi-2

 お待たせいたしました!
 九州限定の、中身は何一つ制限のない文藝誌「片隅」の第二号が出来上がりました。
 九州の本屋さんからしか手に入れられない、とびきりの贈り物。どうぞ、あなたのお手元にも、ご一緒に。
 

 

書籍『片隅』
2016年4月23日刊行
A5変形・フルカラーカバー・本文160頁
定価:税込1,000円
九州限定配本 ISBN 978-4-908543-03-6
取扱取次:熊本ネット

20160423-book-13

 

■九州外への通販受付書店(詳細は各店舗にご確認ください)
*W.BARCHEL(大分)097-547-7470 http://wbarchel.thebase.in/ 
 または http://ino57925.owndshop.com/items/2234167
*蔦屋書店熊本三年坂店(熊本) 096-212-9111 営業時間: 9:00~26:00 :代引き対応
*ブックスキューブリック(福岡) 092-711-1180(けやき通り)092-645-0630(箱崎) 営業時間: 11:00~20:00 http://store.shopping.yahoo.co.jp/kubrick/
*天野屋書店(熊本) 096-352-7874 :郵便振替、代金引換又は銀行振込 電話、FAX(096-351-1628)及び電子メール(amanoya@kosho.ne.jp)の何れでも可
*晃星堂書店(大分) 097-533-0231 営業時間: 8:40~20:00 http://www.kouseidou.net/contact.php
*紀伊國屋書店各店(福岡・大分・熊本) :代引き対応
 福岡本店 092-434-3100 営業時間:10:00~21:00
 ゆめタウン博多店 092-643-6721 営業時間:10:00~22:00
 久留米店 0942-45-7170 営業時間:10:00~22:00
 大分店 097-552-6100 営業時間:10:00~21:00
 熊本はません店 096-377-1330 営業時間:10:00~22:00
 熊本光の森店 096-233-1700 営業時間:10:00~22:00
*リブロ大分トキハ店(大分) 097-573-3033 営業時間: 10:00~19:00 :代引き対応
*リブロ福岡天神店(福岡) 092-717-5180 営業時間: 10:00~20:00 :代引き対応
 お好きな対応店様でお申し込みください! あなたの「なじみの本屋さん」が九州に出来ますように!
 
※九州外の方への通販を行うことが出来る書店さんは受付方法と共に是非当舎にお知らせください。当サイトでご紹介させていただきます。
 katasumi*kaji-ka.jp まで(*を@に変えて送付してください)

 

空色の地図 ~ロンドン編~12 パブ 久路

 金曜日の夜ということもあり、オックスフォードストリートに面したそのパブは、ビールや食事を楽しむ人で混雑していた。ぐるり店内を見渡し幸運にも空いていたテーブルを確保し、カウンターへと注文に向かう。
 カウンターは既に注文を待つ人で溢れていた。列になっているのかなっていないのか判然としないが、とりあえず財布を握りしめひとだかりの後ろについてみる。英国のパブは殆どが「キャッシュオンデリバリー」なので、注文の際に代金を支払うためだ。大柄な英国人の中にまざると、日本でも小柄な方の私はすっかりと埋もれてしまった。日本時間で言うと真夜中だし、数時間前にヒースローに降り立ったばかりだし、重たいスーツケースを転がしながらホテルを探してさまよったし、チェックインのあとハイドパークを縦断したし、と、正直私はかなり疲れており空腹でもあった。なのに無秩序なこのひとだかりとは! どっと疲労感が押し寄せる。
 だがそんな私のいらだちを他所に、店員はくるくると良く動き、注文をテンポ良くさばいていた。行列にはなっていないものの、どうやら店員も客も順番を把握しているようだ。長い金髪をひっつめにした彼女は、ようやく順番がきた私の注文を丁寧に聴きとり、「テーブルに持っていくから待ってて」と微笑んだ。
 ほどなくして私達のテーブルには、熱々のフィッシュアンドチップスと、ブラックプディング(英国風豚の血を使ったソーセージ)が運ばれてきた。フィッシュアンドチップスには付け合わせとして茹でたグリーンピースが添えられ、ブラックプティングは山盛りのマッシュポテトの上に鎮座している。イギリスのパブは、こうして食事が取れる店も多く、中にはランチや朝食を提供する店も珍しくないと聞く。元々は「パブリック・ハウス」として簡易宿泊所や雑貨店をかねていた「パブ」は、現在観光客でも手軽に食事を取ることのできる場所となっていた。ビールが苦手ならばソフトドリンクやコーヒーでも構わない。値段はさほど安くないが、Tシャツにジーンズといったラフな恰好でも肩肘張らずに入れるのが有り難い。
 また別の日の夕方、路地の奥にひとだかりを見かけた。何かと思いのぞいてみると、つきあたりのパブ前のテーブルで、立ち飲みをしている人たちだった。平日の、まだ六時にもなっていない時間だが、既に「できあがって」いるのか陽気な笑い声が起きた。翌日も、そのまた翌日も、夕方になれば路地奥のパブは人であふれかえっていた。きっと美味しい酒か食事が楽しめるに違いない。行ってみたいと考えつつも短い滞在で予定が埋まっていたその時は叶わず、帰国となってしまった。
 ロンドンのパブはどこもクラシカルな建物で、軒先には花が溢れている。通りすがりにここも行きたい、あそこも行きたい、とメニューを眺めるだけでも楽しい。短い滞在では一度に全部を廻ることはできないが、次の旅ではどのパブで何を食べよう、と悩むのもまた、旅の醍醐味だと思うのだ。 

空色の地図 ~台湾編~11 九份 久路

 車が着いたのは、坂の上だった。待ち合わせの時間を確認し、車を降りる。晴天。見晴らしも良いし、何より台北市内よりいくらか涼しいのが有り難い。
 九份は台湾北部の山あいにある小さな町だ。台北から車で一時間と少し。山道をくねくねと走り到着したそこは、昔は鉱山として栄え、今は観光地として台湾有数の人気を誇っていた。なるほど、平日の午前中にも関わらず観光客が既に沢山見受けられる。雨が多いと聞いていたが、幸運にもこの日は綿雲の欠片が浮かんでいるだけで、雨の気配は欠片も感じられない。代わりに容赦ない日光が降り注ぐ中、私は目的地へと足を向けた。
 地図が描かれた大きな案内板の脇を通り、人の流れる方へついて行く。ほどなくしてアーケードがあらわれた。土産物や軽食、九份名物の芋圓屋台などがひしめいている。一時間のドライブで喉が渇いていた私は、かき氷を浮かべた芋圓を食べる事にした。初めて食べた芋圓のやさしい甘さは、私の好物のひとつとなった。
 土産物屋をひやかしながら歩いていると、屋台と屋台の切れ間に細い路地を見付けた。街中にあればうっかり通り過ぎてしまいそうなこの道こそが、映画などでも有名なあの「石の階段」だ。
 ひしめいていた店が途切れ、長い石段が山の中腹までずらりと続く。赤い提灯が道の両脇をかざり、急斜面には張り出るように「茶藝館」と呼ばれる台湾茶の店が建ちならんでいた。
 さほど広くない石の階段は、向こうの海まで続いているように見えて、僅かにうねりながら下へと続く。三人並ぶと窮屈な石段を、ひっきりなしに人が行き来していた。こちらでカメラを構える親子もいれば、あちらでは地面にイーゼルをたて絵を描いている人も居た。それに混じって時折猫も行き来する。首輪をしていない彼らは忙しない往来を横目にくつろぎ、顔を洗う。優雅に寝転ぶ猫の脇を通り、私はゆっくりと階段を下った。
 昼を過ぎると、石段にはいっそう人があふれた。カメラを構えるのもままならない混雑を避けて、目についた茶藝館に入る。趣のある木造の店内はアンティークを思わせる間仕切りで区切られており、心地よい風を通す造りになっていた。
 席にある囲炉裏形のコンロを使い、目の前で湯を湧かすのがこの店の淹れ方らしい。見慣れない茶具が運ばれてくるが、店員が日本語で丁寧に淹れ方を教えてくれた。一煎めはやってもらい、二煎めから見よう見まねで淹れてみる。沢山種類のある中から私が選んだのは、東方美人茶だ。ふくよかな香りと口に含むとひろがる甘さの印象的な、すっきりとしたお茶で、疲れた体にじわりとしみこむようだった。レトロな扇風機が空気をかきまぜる店内は、表の喧噪とは別の時間が流れているようで、ひどく居心地が良い。
 ふわあ、とさっき石段で見かけた猫のような欠伸をひとつ。待ち合わせまでは少し早いことだし、しばらくここで一服させて頂こう。鉄瓶で湧く湯の音を楽しみながら、私は三煎めを茶碗に注いだ。たちのぼる茶の香りは甘く、じわりとしみ入るようだった。

【出版社物語】伽鹿舎:本恋う鹿は笛に寄る 第5回

伽鹿はどんな本が出せるのか?
 
 本を書店に並べてもらうためには、直接取引をするか、間に取次に入ってもらうのが普通だ。
 さて、伽鹿舎でどうするか、と考えたとき、直接取引は難しそうだった。何しろ誰も昼間に動くことが出来ない。本業があるのだから当然である。
 必然として、取次を介して大半の書店に配本してもらうしかない、ということになった。手数料分はもちろん痛いが、自分が出来ないことを代わりにやってもらうのだから、そのくらいは当たり前のことだ。
 では取次と契約をしよう。
 と、なるところなのだが、実は事はそう単純ではなかった。
 何しろ伽鹿舎は九州限定でしか本を売らないと決めてしまったのである。
 普通、取次と言って思い出すのはトーハンさんなり日販さんなりの大手取次会社だ。
 彼らは日本中の本を扱っているし、日本中の本屋さんを相手にしている。取次はある種の銀行機能を兼ねるから、取引開始時点では「口座を開く」という言い方をする。では伽鹿舎がこれらトーニッパンに類する取次に口座を開けるか? 答えはノーである。
 取次だって商売をしているのだ。当たり前だが、定期的・継続的に本を出し、利益を生み出してくれる出版社でなければ口座を開く審査に通らない。そんな大手取次でなければ良いのか、というとそうでもなく、だがしかしいずれにせよ、最終的にネックになるのは「九州にしか卸さない」ことだった。
 当たり前である。より多く儲けたい商売人が、何を頓狂に九州に限定する理由があるのか。
 それでも物は試しにいくつかの取次に問い合わせはしてみた。九州に限定したいというと、相手は必ず困惑して言った。
「いや……書店さんから注文があればね、卸さないわけにはですね……」
 そりゃそうだ。あなたは九州じゃないので駄目ですとは、やはりそもそもメンドクサイし無理がある。
 さて困った。どうしたもんか。
 破れかぶれに天下のグーグル先生に訊いてみた。こうである。「九州 配本 取次」驚くなかれ、なんとヒットした。まっさきに目に飛び込んだのが「熊本ネット」さんだった。
 
 熊本ネットさんは、その名に「ネット」と付いているので、出版業界の人ですら最初に聞くと「あ、インターネット販売なんですね」という。違う、このネットは流通ネットワークのネットであって、インターネットは何にも関係がない。
 そもそもは、ローカル雑誌などをメインに取り扱っている、熊本の取次さんだ。その配本範囲は、九州・山口と限定されている。
 これしかない、と思った。思ったので、問い合わせのメールを送った。こういうことをしようと考えているが、御社で可能だろうか。
 驚くべき速さで返事が来た。しかも「打ち合わせましょう。そうですね掛率は通常だと[tcy]65[/tcy]%くらいですが相談して。いつ相談できますか。明後日はどうですか、だめならその次の日でも」ぶっきら棒なうえに前のめり過ぎる。話が飛躍しすぎてもいる。まだこっちは漠然と作戦を練っているだけなのである。
「こわ!」
 一声叫んで、メールをみなかったことにした。更に数時間後、数日後、いつがいいですかまだですかとメールが来た。もう完全に怖くなってしまった。この会社はなんかヤバい!(熊本ネットさんすみません)
 未練がましくほかの方法を探してみた。だが、やはりどうやっても、九州限定で、しかも人の手を借りて本を書店に届ける手段はありそうもなかった。ゼロから構築するには、あまりにも知識も伝手もなさすぎる。
 最終的に、二ヶ月近くも放置していたメールにようやく返事を出した。専務の柴田さんがすぐに返事をくださった。会ってお話をしましょうと、丁寧に言っていただいて、加地は熊本ネットさんに足を運んだ。
 熊本ネットさんは、大きな会社ではない。にこにこと愛想のよい女性が出迎えてくれた。案内された応接室で、初対面した柴田さんは、背の高い男性だった。名刺を差し出してくれながら、目を細めて顔をほころばせた。
「良かった、すごく面白いと思ってたので、ご連絡ないから、もうきっともっと大きいほかの取次に決まっちゃったんだよってみんなでがっかりしてたんです」
 とても熱心に話を聞いてくださった。伽鹿のやろうとしていることは絶対面白いと言ってくださった。応援したいし、是非やらせてほしいとも言ってくださった。
 取次の役割については知っていても、内情はまださっぱりわからない。仕組みもいまいち漠然としている。要するに何もわからない。わからないが、面と向かって話をしているこの人は信頼できると思った。本が好きでね、と照れたようにその人は笑った。僕は中央で出版業界に勤めてたんだけど、戻ってきたんです。本屋の息子なんですよ、ホントはね。だから書籍取り扱いたくて、いっぱい失敗しちゃいましたけど、自分たちでも出してみたり、いろいろ挑戦しては来たんです。
 もう一度、書籍ちゃんと取り扱いたいんです、と言ってくださった、その書籍が伽鹿の本であることは光栄な気がした。奇しくも熊本の会社だ。一緒にやれたら良い、と思った。ちょっと怖かったのでメールできませんでしたなどとは一言ももらさず、加地は身を乗り出した。
「ぜひ、お願いしたいです。よろしくお願いします!」
 
 そんなわけで、九州限定配本は、実現可能になったのだった。
 驚きである。大分の書店員さんに言うと「ああ、良いですね、熊本ネットさんは委託だし、本屋としてはとても助かるんです」と言う。
 そう、小さな取次には、配本はもちろんするのだが、条件を買い切りに設定するところが多い。小さな取次だから、委託にしてしまって返本されると、その割合によっては途端に資金が苦しくなる。だから買い切りにするのだ。買い切りならば、売ったら売っただけが入ってくるシンプルな構造に出来る。
 だが、これは書店としてはリスクなのである。買ってしまっては、売れなかったときに損失になる。当然、発注に二の足を踏む。それよりは、返せるからと気楽に頼んで、積み上げた方が結果としては見栄えもするし客の目にも留まって売り易い。大きなチェーン系書店に勤務しているその書店員さんは、それを強く示唆してくださったのだった。
「加地さん、可能なら絶対、委託が良いです。その方が、書店は絶対とる(注文する) から」
 さすがのにぶい加地にも、本をめぐる色んな構造がすこし見えて来始めた。
 そもそも、買われるか買われないかわからない地方の(人口が少ないのだから仕方がない) 書店には配本自体が少ない。全くない事さえある。全冊配本をうたっていると買い切りだったりする。そうやって書店は本が手に入らず、積むことも出来ず、陳列に苦慮し、客の目には入らず、ますます売れないから配本がなくなる。
 特にチェーン店は配本に頼っている。入ってくる本を吟味して店頭に並べる。だが、それが偏っているとしたら、思うような棚は作れない。あるいは、もう仕方がないとあきらめて、アルバイト任せの、あるものをそのまま並べる棚に成り果てる。そうなればますます、書店から客足は遠のくのではないか、
 せめて、委託であれば、担当者も思い切って発注を掛けられる。実際に入ってくるかはともかく、発注してみることはできる。だが、買い切りであればそれも難しい。
 かくも、書店をめぐる情勢はややこしく難しく、ままならないのだった。
 これはとてもかなしい事だし、さびしい事だ。本屋さんは、売りたいものを売らせて貰えない。
 だとしたら、伽鹿の本だけでも、九州の本屋さんが売りたいだけ並べさせてあげられたなら、今までずっと本好きの我々を支えてくれた地元の本屋さんたちにだって、多少の恩返しにはなるに違いない。
 無論、それには伽鹿の本が、本屋さんが並べたい本である必要がある。
 
 伽鹿はどんな本が出せるのか?
 
 坂口恭平さんの絵は貰えることになった。
 それを誰もが欲しいと思う本にしなければならない。本屋さんが並べたい、売りたいと思う本にしなければならない。出来るのか? やるしかない。
 資金はない。有志の出してくれた資金は、個人としては大金だが、出版社を始める、というときに想定される額にはおよそ笑えるくらいに足りていない。それでも、工夫次第では出来る筈だ。少なくとも、伽鹿舎は現時点では人件費が発生しないという一番ずるい方法をとっている。だからこそ出来る贅沢で素敵な本を、是が非でも出すしかなかった。
 
 先に売価を決めた。
 本来は逆だ。だが、手に取って貰える額、というものを最初に設定しないと駄目だ、と思っていた。
 それだけのお金を出しても手に入れたいと思って貰えるか否か、かろうじてそう深く悩まずともある程度の人なら手が伸びる額は千円札一枚だろう、と思った。それ以上になったら、もう考え込む金額になる。未だ、時給ですら千円は高い方なのである。映画一本と一冊の本は消費のされ方が少し似ている。千八百円を出して映画を観ることを躊躇しても、サービスデイの千円の日にはそれなりに人が行く。だから千円だ。
 前述の書店員さんも賛同してくれた。千円まででしょうね、とそう頷いた。
 九州だけで、知名度のない伽鹿舎が出した本が、何冊だったら売れるのか。これは皆目見当がつかなかった。
 九州の人口はヨーロッパの小国程度はある。あるがしかし、圧倒的に車通勤の多い九州では、本を読む時間を作れる人はそう多くない。それでも、と思った。それこそ、千人だったらどうだろう。少し大きな小学校一つ分。たったそれだけにすら訴求できなかったら、それは伽鹿の本がダメなのだ。
 そうだね千冊なら、と書店員さんも言ってくれた。千冊なら、頑張って売ってみせますよ!
 
 千円を出しても惜しくない本の見た目とは、どんなものだろう?
 果たしてそれは、一冊を千円で売っても回収できる印刷代に収まるのか。たった千冊しか刷らないのである。一冊単価は高くなる。ぎりぎりの線で、一番いいと思える形にしたかった。
 印刷代さえクリアすれば、伽鹿舎は本を出すことが出来る。
 つまり、次の課題は印刷所を探すことだった。
 
(つづく)

原作本再刊行記念・映画「しあわせはどこにある」再上映! 『九州しあわせさがしの旅3DAYS』開催決定

来る2016年3月19日からの三日間、「幸福はどこにある」刊行記念イベントの開催が決定しました!
 
 「幸福はどこにある」はサイモン・ペッグ主演映画「しあわせはどこにある」の原作本でもあります。
 2015年のお気に入り映画になった人も多かったこのキュートでポップで少し考え込む素敵な映画を、九州の二つの映画館が上映してくださることになりました!
 また、特別イベントとして、原作小説の翻訳者、高橋啓先生のスペシャルトーク付き! めったに聞けない貴重なお話をうかがえるチャンスです。是非ご参加ください!!!
 
 春の3連休、九州に旅行がてら、しあわせさがしの旅もごいっしょに、いかがですか? そろそろ桜も咲く季節。とっても素敵な旅になるでしょう!
 

高橋啓
 
takahashi (Kei Takahashi)翻訳家/1953年生まれ。北海道帯広在住
 おもな訳書に、パスカル・キニャール「音楽への憎しみ」(青土社)、 カトリーヌ・ クレマン『テオの旅」(NHK出版)のほか、フィリップ・クローデルを多数手掛けている。
 また、ローラン・ビネ「HHhH プラハ、1942年」が、2014年本屋大賞翻訳小説部門で第1位となった。
 最新刊はエドゥワール・ルイ「エディに別れを告げて」(東京創元社)。

 

■2016年3月19日*熊本 Denkikan
 
shiori03 ・開 場:17時50分
 ・上 演:18時00分(本編119分)
  終演後:高橋啓トーク
 ・前売券:手数料込2,100円/当日券:2,500円
 ・物販・サイン会あります。
  全ての終了時間は21時30分を予定しております(最終退場者)
 
 御存知、熊本の老舗映画館「電気館」さんです。
 お席は全席自由となっています。
 2階に素敵なコーヒーバーがありますので、お願いすれば座席まで持ってきていただくことも可能ですよ!
 
 前売券は、電気館に直接電話予約(Tel: 096-352-2121 当日引き換え) となります。
 なお、前売券のチケットは、画家の田中千智さんのご好意で、今回のみの特別しおり型で作成しました! 表は「幸福はどこにある」カバー装画から、裏面には映画のヘクター先生のカットが入っています。
 映画鑑賞後は、ぜひ「しおり」としてご愛用ください!
 
 当舎でのご予約分につきましては、前売券を発送いたしました。3月18日までに届かない場合は、必ず当舎にお問い合わせください。また、しおりはチケットとなりますので、当日お忘れにならないようお願いします。

 

■2016年3月20日*福岡 ブックスキューブリック
 
hakozaki 映画の上映はありませんが、かわりにたっぷり高橋先生のお話を聞こう! というブックスキューブリックさんです!
 ”九州しあわせさがしの旅3DAYS”in福岡
 『幸福はどこにある』刊行記念 高橋啓トークショー
 時間:19:00スタート(18:30開場)
 会場:カフェ&ギャラリー・キューブリック
 (ブックスキューブリック箱崎店2F・福岡市東区箱崎1-5-14
  JR箱崎駅西口から博多駅方面に徒歩1分)
 入場料:1,800円(ワンドリンク付・要予約)
 出演:高橋啓(翻訳者)
 聞き手:大井実(ブックスキューブリック店主)
  
 ブックスキューブリックさんは、店主の大井さんが「幸福はどこにある」をとても気に入ってくださり、ラジオでもご紹介くださいました!
 大井さんと高橋先生のやりとりは、きっと刺激的で面白いこと間違いなし!!!
 ご予約はこちら! http://peatix.com/event/153200
 なんとこのイベントの前々日(18日) には、柴田元幸さんのイベントがありますから、翻訳漬けのキューブリックさんです。

 

■2016年3月21日*大分 日田リベルテ
 
001 ・上 演:13時30分(本編119分)
  終演後:高橋啓トーク
 ・当 日:2,000円
 ・物販・サイン会あります。
  全ての終了時間は17時00分を予定しております(最終退場者)
 
 「暮らしの手帖」などで御存知の方も多いかもしれません。大分の「日田リベルテ」さん。
 小さく素朴なアナログの、とっても素敵な映画館です。座席は68席。こちらも、全席自由となっています。
 カフェギャラリーが併設されているのですが、当日は飲み物を特別価格にしてくださるとのこと! 是非美味しい飲み物を手に、映画を楽しんでくださいね!
 
 ご予約は、日田リベルテに直接電話予約(電話 & FAX : 0973-24-7534) または、当舎のメールフォームからとなります。
 当日は、ご来場者先着で、熊本Denkikanさんでの前売券と同じ「しおり」を差し上げます!

 
 春の3連休、是非、しあわせさがしの旅、ご一緒しましょう! お待ちしています!!

空色の地図 ~ロンドン編~11 アフタヌーンティー 久路

 黄金色のスコーンを手にした瞬間、その繊細な軽さに思わず友人と顔を見合わせた。しっとりとした温かさを確かめつつ、手元の皿で二つに割る。ふわり、たちのぼる小麦の香りに、いやが上にも期待は膨らんだ。
 それまで何度かロンドンを訪れている私だったが、「アフタヌーンティー」をいただくのは、これが初めてだった。金で縁取られた皿の上にはそれぞれフィンガーサンドにスコーン、フルーツやチョコレートを使った可愛らしいケーキが、本で見たとおりに並んでいる。甘いものが好きで、三段重ねのティースタンドに胸を躍らせない人なんて、果たしているのだろうか。
 予約をしていなかったが、あのキャサリン妃も泊まったというそのホテルでは、運良く空いていたテーブルを用意してもらうことができた。案内されたティーサロンは落ち着いた雰囲気で、豪奢なシャンデリアや暖炉、ヴィクトリア調の壁紙が私達を迎えた。隣のソファでは、年配のご夫婦がゆったりと記念日のプレートを囲んでいる。
 オマール海老のスターターも美味しかったけれど、やはりアフタヌーンティーのお楽しみはスコーンだろう。フィンガーサンドから食べるのが通例らしいのだが、私は温かいスコーンからいただくことにする。まあるく盛られたクロテッドクリームをたっぷりと掬い、半分に割ったスコーンに塗る、というよりものせた。こんもりとしたクリームのとなりに、ジャムをたっぷり添えれば、準備完了だ。
 この際お行儀は気にせず、大きな口をあけてがぶりとひとくち。控えめな甘さの軽い生地に、濃厚なクリームが華を添える。ジャムの甘さがほどよいバランスとなり、それらが一度に押し寄せる幸せと言ったら! スコーンという素朴な菓子は、素朴さゆえに店によって味が異なるが、断言してもいい。今まで食べたどのスコーンよりも、好きな味だ。
 伝統的なキュウリのサンドウィッチを抓んで甘味をリセットすると、次に手を伸ばすべきは、頂上の皿に飾られた美しいケーキだろう。バラの花びらを象ったクリームや帽子の形のケーキなど、心躍るデザインのそれらは、手の上で崩れてしまいそうなほどに華奢だった。そして何より見た目以上に、美味しい。
 サンドウィッチとケーキとを交互につまみながら、ミルクをたっぷり入れたお茶を飲む。かつて英国では朝食と遅めの夕食しか摂る習慣がなかったそうだ。そのため空腹を紛らわし、かつ社交場として上流階級ではじまったとされるアフタヌーンティー。それにならって、この日は昼食を摂らずに来たのだが、美味しいお茶と菓子でほどなくお腹がいっぱいになってしまった。だが心配することなかれ。残ったスコーンは、ドギーバッグに入れて持たせてもらえるのだ。ふと見ると隣の老夫婦は、健啖ぶりを発揮しスコーンのお代わりをしていた。英国人の胃袋、恐るべし。
 手渡されたドギーバッグは、まだほんのり温かかった。今夜の観劇が終わった後にいただくことにしよう。甘い香りに包まれて歩くロンドンの街並みはひときわ鮮やに見えた。